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2018年10月6日土曜日

ジョーダン・ピーターソンについて、或いは大人の条件について


◆一人でもやっていけるとは?
もうすぐ5歳の一女の父として「教育」は気になる。「娘がどのような人になってほしいか」について妻と話をした際、「一人でもやっていける人/生きる力がある人」という言葉が出てきた。これについてさほど異存はない。ただ少し曖昧なので少しお喋りを続けた。妻の話をまとめると「自立している人」ということであると私は理解した。すると「自立している」という状態はどういうことかというのが次の問いになる。
先日Facebookのある記事へのコメントに私はこのように書いた。

自立している状態というのは「一人では生きていけない」ことを理解していることであり、その上で「できるだけのことをしてみる」ことであり、「生物として次世代をつなぐ(子をなすだけではない)」ことであり、「世の中を恨まず前を向いて生きること」であり、「可能な限り機嫌よくし続けること」であり、状況によっては「己を顧みないこと」ができるという事だろう。MECEかは知らないが。

短文のFacebookの投稿なので非常に雑ではあるのだが、私が考える「自立している状態」即ち、「大人の条件」は上記の通りで嘘はない。ここはブログなので、もう少し丁寧に、わが娘にクリアしてほしい(私自身もそれを満たしたい)「大人の条件」を書いてみる。

◆大人の条件
  1. 自分は有限であり、死すべきものであり、全知全能ではない。子供や若者の内はなかなか自分が「死すべきもの」であることを自覚することは難しい。また「なんでもできる/できるようになる」と考えるのは子供の子供らしい特権である。限界を弁えつつ、他者と「協力」なり「共生」なり「共依存」なりしていかないと、一人では何もできない上に、生きていけないことを理解しているのが大人である。
  2. 「死すべきもの」と「有限性」を理解した時に「だったら何をやっても無駄」と「拗ねる」のは子供である。「有限」で「寿命」はあるが、その限界がどこで、いつ死ぬかなど分からないのだから、拗ねずに「できるだけのことをする」のが大人である。
  3. 所謂「高尚な」ことばかり追求したり、やたらと神の視座に立ちたがるのは子供である。中二病という言葉が的確にとらえているが、まず我々は「生物」である。生物はドーキンスの言う通り、ある意味で「遺伝子の乗り物」に過ぎない。従って、遺伝子をつなぐことが必要である。直接には子を成し、子を育てることである。しかし、様々な事情により子を成せない人もいる。といって絶望せず、何らかの貢献をすればよい。次の時代につながるような貢献ができれば偉大だし、そうでなくとも、「誰かの役に立つ」ことで、次世代の貢献になるだろう。ほんの僅かでも「よりよき世界」につながれば立派な貢献である。その自覚があるのが大人である。
  4. 「社会が悪い」というのはふた昔くらい前には「学生の特権」だったが、その学生が老いて、今でもそんなことを言っているらしい。当たり前だが、社会や世の中を恨んで生きても何一つよいことはない。人生には良い状態も悪い状態もあるのだし、勝負は勝ったり負けたりするものである。だから、前を向いて、背筋を伸ばして生きるほうがよい。「カラ元気も元気の内」を理解しているのが大人である。
  5. 機嫌の良し悪しがあるのは人間の本性なので当たりまえである。しかし、機嫌が悪くて良いことは何もない。「機嫌の悪さ」が伝わることで、他者からは情報も敬意も愛情も伝えてもらえなくなるだろう。そして機嫌の悪さは自家中毒を起こしやすい。何一つ状況は変わっていないのに、どんどん絶望的な気分になってくる。それを理解し、できるだけ「機嫌よくいる努力をする」ことが大人である。
  6. 状況によっては己の立場や身体を気にせず立ち向かうことができるのが大人である。あまりに理不尽な時、物理的に襲われた時、或いは自分自身よりも大切なものを守る時、言葉であれ暴力であれ、必要に応じて使い立ち向かうことができるのが大人である。

おおよそ、こんなところである。これらを満たすか、満たそうとしている人を私は大人と見做す。

◆ジョーダン・B・ピーターソン教授
最近、ふとしたことからトロント大学の教授を務めるジョーダン・ピーターソン氏を知った。ポリティカル・コレクトネスを批判し、英国は「チャンネル4」で、フェミニズムを振り回す左派のインタビュアを、放送中にやり込めてしまって有名になったらしい。そのピーターソン氏が今年の初めに上梓した「12 Rules for Life: An Antidote to Chaos」という北米や英国でベストセラーとなった本がある。訳すと「人生のための12のルール ~混沌への解毒剤~」だろうか。

平たく言えば処世術本なのだろうが、この12のルールが面白い。勿論私の勘違いも大いにあるだろうが、私が言いたいことを整理してくれている。或いは「我が意を得たり」という思いになったので、自分用のメモを兼ねて紹介したい。
ネット上の拾い物を翻訳したものである。

~12のルール~
  1. 肩を丸めず、背筋を伸ばして立て
  2. 自分のことを助けるべき他者と見做して扱え
  3. 最善を尽くしてくれる友人とだけ付き合え
  4. 他の誰かではなく、昨日の自分自身と比較して成長を確かめろ
  5. 子供が嫌いになるような振る舞いを子供にさせるな
  6. 世界やシステムにケチをつける前に己の行動を律せよ
  7. その場だけの利益ではなく、意義のある理想を追え
  8. 真実を話せ、少なくとも嘘をつくな
  9. 今話している相手は、自分が知らないことを知っているかもしれないという前提で接しろ
  10. 発言には正確を期せ
  11. スケボーしてる子供の邪魔をするな
  12. 道で猫にあったら可愛がれ

近ごろは、「自由・平等・人権を守るためにそれらへの異論は許さない」という全体主義がはびこり始めているようだ。だが、北米や英国など、ポリティカル・コレクトネスの本場のような場所で、見方によっては右翼とレッテル貼りされそうな教授が人気があるということが、一つの救いかもしれない。仕方ないから英語で原著を読もう。翻訳があれば愛読者になれそうな気がする。受ける印象は佐伯啓思か。

◆斬新な切り口?
原著はまだ購入してもいないので、ウェブサイトで記事を拾い読みすると「斬新な切り口」という評価が目立つ。しかし、インタビューなどを読むと「宗教抜きの倫理・道徳はない」「機嫌よくいるのは自分や他者への配慮と責任」など、ある意味で非常に常識的である。これらを「斬新」と見てしまう人々が多いことに驚く。人間の数と同じだけ人間の世界がある。しかし、ズレていつつもそれぞれの世界はかなりの程度重なっていると考えていたが、どうやら間違いらしい。ある種の人々は相当違う世界を生きているようだ。これは「分断」なのだろうか?どうもリベラルが騒ぐ「分断」とは違うと思えてならない。

◆いつか娘に伝わるかな?
ジョーダン・ピーターソンは北米で「若い男性」に人気があるようだ。少なくともフェミニストのような女性に甘い物言いではない。前述のチャンネル4では「男女の賃金格差」について徹底的に論難している。また「人生とは理不尽な混沌(カオス)である」「幸福を求めることは無意味である」というようなニーチェ読みらしい厳しい人生観を持っているようだ。また、こうも言っている「年老いた未熟者ほど醜いものはない」と。全面的に賛成である。
女の子であるとは言え、いつの日か娘にはこうした考えについて私と議論できるようになってほしいとは思う。相当難易度が高いし、学校教育で刷り込まれる現代の「倫理」(≒ポリティカル・コレクトネス)や、マスメディアとそこに安易に登場する評論家の甘ったれた「生きる力」とか「正しさ」とか「学級民主主義」とはかけ離れた内容であるのは百も承知である。
とは言え、子供は「親の行ってほしくない方向に行くもの」なので、親心としては、まあ元気でいてくれればそれでよいし、娘がこれらの条件を理解して真の大人になった頃、私が生きているかは相当に怪しいのだが。

2018年2月5日月曜日

コスモグラフィア・ファンタスティカ

※今回は完全に書き散らしの文章です。お時間あれば。

一人っ子ということもあり、子供の頃から想像の世界に遊ぶのが好きだった。平たく言えばボーっと妄想してニヤニヤしてる変な子供だった。ちょうど「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のようなゲームが流行り始めた頃でもあり(ゲームブックというのもあった。)、いわゆる「剣と魔法の世界」にはまり込んでいた。剣と魔法の世界はアメリカの「ダンジョンズアンドドラゴンズ」というテーブルトークRPGが流行らせたもので、古い神話を持たないアメリカ合衆国(ネイティブアメリカンは除く)が「代替品」として作り上げたヴァーチャルな神話世界だと理解している。心理学的に分析しても面白いかもしれない。

このバーチャル神話世界は何しろ後付けバーチャルなのでなんでもありなのだが、およそ欧州、それもドイツ・フランスあたりの神話や民話(叙事詩)、伝説などを下敷きにしている。ベーオウルフや北欧神話がアメリカ人の想像力の元を供給したわけだ。そういった幻想世界をファミコンゲーム(コンピュータゲーム)以前に日本に紹介したのが「澁澤龍彦」というフランス文学者である。ゲームやちょっとした解説書に飽き足らず、小学校高学年から中学生ぐらいにかけて渋澤が衒学趣味的に教えてくれる幻想世界を読み漁った。澁澤龍彦はマルキ・ド・サドの紹介者としても知られ「エロと芸術」のような水掛け論裁判もあった学者なので、思春期の少年にはその方面の想像力も刺激してくれて、しかも知的に優越感が持てるという「お得」な作家だった。


とはいえ澁澤は(仏文学者だから当然だけど)異様に守備範囲が広いので読み手の世界を一気に広げてくれる。「長靴をはいた猫」で知られるシャルル・ペローや「吸血女の恋」のテオフィル・ゴーチェのような作家を知ったのも澁澤からだし、カバラだとか隠秘学(=オカルト)も得意分野だし、オカルトとくれば、ネクロマンシー(口寄せ。恐山のイタコを想像すれば中らずと雖も遠からず)から、中欧の蘇る死者伝説に話が跳び、その中でもセルヴィアの吸血鬼ヴァンパイアと話しが進んだりする。吸血鬼=ヴァンパイアと思い込んでいると、ウピールとかストリゴイだとか、ヴァンパイア以外の吸血鬼も出てきて、ヴァンパイアが吸血鬼のバリエーションの一つでしかないことを知ったりする。しかも、ほとんど前提知識を説明しない(そこが衒学趣味なのだが)ので、知りたかったら自分でほかの書籍を探さなくてはならない。そのおかげで、稲垣足穂やら種村季弘やら四谷シモンやら耽美趣味というかゴシック趣味の「ユリイカ」的な分野にも興味が拡がったりもした。

鬼神学(悪魔学、demonology)という学問を知ったのも澁澤からだった。古くはアグリッパやミルトン、近年ではアレスター・クロウリィのような人々が悪魔というものを真面目に研究していたり、むしろ古くは様々な現象を説明する今でいう「科学」や「社会学」を構成していた。そのことから、科学的アプローチが案外いい加減なものから発達してきたものであることも理解できる。例えば化学はchemistryだが、これはアラビア語のal-chemistry、要するに「錬金術」から発達したものだと語源で分かったりもする。また、鬼神学というのは神話学の裏返しなので、ある神話(宗教)を共有する民族ごとにかなり異なる。これは山本七平だが、「鬼神学を研究すると、その民族の想像力の限界や傾向がわかる」ということもある。日本人が想像する鳳(おおとり)は鳳凰であり典型的にはフェニックスのイメージも併せ持った手塚治虫の「火の鳥」だろう。かつての日本人も大して変わらないことは平等院の鳳凰を見ればわかる。ところが、アラビア人が想像する「おおとり」はロックとかルフとか言われるもので、大空を覆いつくすような大きさである。こんなものは我々は妄想さえしない。ギリシャの多頭の蛇「ヒドラ」とわがわが国の「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」はよく似ているが、「ウロボロス」や北欧神話の「ヨルムンガンド」は大地を一周して自分の尾を咥えていたりする。古代のチャイナにも似たようなものがあるが、我々はそんなものを想像しない。とりあえず、ここに出てきた民族は「誇大妄想」の傾向があることがわかる。(笑)

学生時代、第二外国語はドイツ語だったが、澁澤龍彦や阿刀田高などのフランス文学系、或いは塩野七生などのイタリア系の著作にはまり込んでいたこともあって、ドイツ語にはさっぱり興味を持てなかった。そこでよせばいいのに捻くれて、アラビア語を一般教養で選択してみた。そもそも選択する学生が少ないので教授にはとてもかわいがっていただいたが、セム=ハム語族の言語はとても1/週の授業で歯が立つものではなく、4年かかって何とかアルファベットが読め、フスハーという母音記号がある子供向けの本ならば、辞書を片手に読めるという体たらくではあったのだが。このアラブ世界への興味も、ゲームやら神話やら、アラビアンナイトやらがスタートだったように思う。「ファイナルファンタジー」シリーズには「イフリート」という炎の魔神が登場する。イスラームは厳格な偶像崇拝禁止の宗教だが、そこはメソポタミアから続く最古の文明の末裔、神話や怪物には事欠かない。イフリートは神に従わなかった堕天使であり、ジン(精霊・妖精・幽霊)の一種とされている。アラビア語を「アリババ」をテキストに勉強しながら、阿刀田高の「アラビアンナイトを楽しむために」を読んで妄想を広げたりしていた。あの厳格なイスラム教徒の物語が相当エロティックなものが多い。そもそもアラビアンナイトの立て付けが「妻に浮気された王が女性不信になって、国中の乙女に夜伽をさせてから殺すという蛮行を繰り返していたが、シェヘラザードとドニアザードの姉妹に夜伽をさせてから聞かされた物語が面白くて殺せず、千と一夜にわたって話を聞き続け、元の聡明な王になった」というもので、到底子供向けのものではない。このイフリートもアラビアンナイトにはよく登場する。強力な魔神なのに案外間抜けなところがあり、日本の鬼に近いイメージだ。格は違うが。

アラブ世界の剣といえば、曲刀である。日本の武士と同様、大人になる(元服する)と一人前の男の証として「ジャンビーヤ」という脇差のような短剣を持ったり、我々のイメージするアラブ世界の刀剣は「シャムシール」だが、実はペルシャ(イラン)起源であったり、トルコの「キリジ」だったりする。中東世界の深さや広さを実感できたりもする。10年ほど前にプロのベリーダンサーと友人になって、本物の「キリジ」を持たせてもらったが、柄が短くて、到底我々の筋力で振り回せる片手剣ではない。日本刀なら両手が基本なのでどうにか扱えるが、馬上民族が戦争に強いことの理由を垣間見た気がした。

剣はどこの文明でも「武器であって武器以上のもの」であることが多い。戦場の武器としては、弓や槍のほうが圧倒的に意味があるだろう。しかし、男性性であったり、権力の象徴は「剣」である。トランプのスペードも「剣」である。イタリア語で剣はSPADAという。象徴的な意味の剣ならば、エクスカリバーだろう。草薙の剣(天の叢雲の剣)というもの我が国にあるが、知名度ではやはりエクスカリバー。
ブリトン人のアーサー王の剣であり、岩に突き刺さったその剣を引き抜くことができたものが王になるという伝説のある剣である。この辺りを調べると、中世欧州で流行した「ロマンス」と呼ばれる物語群を知る。アーサー王の話は「ブリトンの物語」或いは「聖杯物語」「円卓の騎士の物語」と呼ばれており、日本の昔話(今昔物語など)と同様に欧州人の常識というか、共有された物語であることを知ったりする。


全くとりとめのない文章だが、たまにはこういう話をしたかったというだけである。全く「役に立たない」知識は愉しいもので、どちらかというとむしろこちらが人生のメインであるべきなのかもと最近は考える。

2018年1月11日木曜日

2018年のゴール

2018年の正月も終わり、鏡開きとなった。サラリーマン時代には目標管理制度というものがあった。半期単位に被評価者が目標案を作成し、上司と合意して目標を設定する。期の終わりが近くなると目標に対してすっかり別のものになってしまった実績の言い訳を書くというものだ。本来的には「被評価者が自主的に目標設定することで納得感をもって業務を遂行する」という趣旨であるが、実際には上手くいっているケースは寡聞にして知らない。海外は知らないが、上下間での議論がうまくできない日本においては恐らく成立しないモデルであろう。少人数のスタートアップでは上手く行くのかもしれないが。

2017年に独立した私には上司が存在しない。従って目標設定は自らの意思でしかない。自分の中で被評価者と評価者を設定して、当然ながら納得ずくで進めていくことになるので、案外と私には向いているかもしれない。そう考えて仕事始めのこの時期に宣言としてブログに書き留めておく。評価者も被評価者も自分なので、ブログの読者に公開することで逃げ場をなくしておくことにする。ただし、公開なので定性的なものが多くなり、しかも書ける範囲にはなることをお断りしておく。

2018年12月の大枠
2018年1月時点では常駐先でのプロジェクト支援が100%である。具体的に言えば週5日間常駐先に詰めているということである。プロジェクト支援のコンサルティングは事業領域に含めている。従って正しいステップを踏んでいると考えているが、当社の事業領域全体は「コンサルティング・研修サービス・パートタイムCIOサービス」である。現時点では「10:0:0」になっている。これを「8:2:0」乃至は「8:1:1」にまで持っていくのが12月の大枠である。商売は生き物なので状況によってどうなるかは分からないが、大枠はこの形にピンを留めて進めていく。

コンサルティング
基本的には現在の姿を継続していくが、知見のある「製造業」の領域でのコンサルティングの切欠を掴んでおきたい。もう少し具体的に書くと、企画、或いは営業からの設計~試作~量産判定までのエンジニアリングプロセス、市場品質管理~上流工程での品質フィードバックによる品質作り込みについて、ITでの「改革・改善」のコンサルティングやアドバイザリである。この領域ではコンサルティングチームを作る、或いは参画するということでもよい。どちらかといえば、2018年は参画する形が望ましいかもしれない。

研修サービス
非IT企業向けのIT研修サービスのコンテンツを用意したい。新入社員向け、若手リーダ向け、MGRクラス向けの1日~1週間程度のコンテンツを用意し、2018年中に1社以上の受注を得たい。事業会社でもITの知識は必須であろう。スマホとSNSだけでは業務系のITの知識は身につかない。情報システム部門に丸投げではなく、ITの常識があれば仕事の進め方も変わってくるだろう。新入社員向け、若手向けには合わせてビジネス文書作成の基礎なども提供したい。ビジネス文書から「させていただく」と「弊社・御社」を撲滅したいところである。細かいところにこだわってパトロジックと思われるかもしれないが、正しい日本語を書くだけでもビジネス的に有利だ。舐められない、馬鹿にされないビジネス文書を書くスキルをワードやパワーポイントのスキルと共に提供したい。

パートタイムCIOサービス
分かりやすく言えば業務IT領域の顧問サービスなのだが、こちらもまずはコンテンツ作り、引合先を獲得したい。非IT系の中小企業では情報システム部門がなく、ITの専門的が社内にいないケースも多い。とはいえ専任要員を確保するほど余力がない、また経営の観点からIT相談ができる相手が欲しいなどのニーズはよく聞く。ありがちではあるが、経営ITコンサルティングサービスとして企画を明確化したいというのが2018年のゴールである。


その他趣味など
音楽活動を再開し、オリジナル曲をYoutubeあたりにアップしたい。またライブに対バン形式で参加したい。そもそもバンドメンバーを集めるところから始めないといけないが。また体が鈍っているので、なにかやったことのないスポーツや武道に挑戦したいところである。柔術でもやろうかしらん。
飛行機のプラモデルはエアブラシを手の内に入れて、今年は12機の完成を目標にする。ちなみに不良在庫となっている「積みプラ」は30機近くある。写真も撮りためているだけの状態なので、仕上げて整理し、フォトブックなどを作る。これは娘中心になるけれど。


そんなところである。このブログの更新頻度も上げていきたい。本年もよろしくお願いいたします。