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2017年7月25日火曜日

サラリーマン生活を終えて

少し間が空いてしまったが、2017年6月30日をもって会社員生活に終止符を打ち、小さなコンサルティング会社を立ち上げて独立開業した。その選択が正しいのか誤りなのかはわからないが、二十代の終わりのころから考えていた独立を十年かけて実現にこぎつけたということになる。ひとえに家族、友人、職場の仲間、お客様のお陰であり、陳腐な言葉かもしれないが、赤心より感謝しかない。ありがとうございました。

私事を書き連ねるのはあまりよい趣味ではないが、少し会社員生活を振り返ってみたい。後進の若者の何かの参考に、或いは自己紹介になれば幸甚である。

私は1999年3月に大学を卒業したので、見事に「ロストジェネレーション」の世代であり、就職活動は厳しいものであった。とはいえその渦中にいた時は、景気の良い状況をしらないのであまり大変だとは感じていなかったが。150社ほど資料請求してエントリーシートを書き、30社ほど訪問と面接を繰り返してどうにか一社の内定を得て、大手百貨店の情報システム子会社に入社した。当時は事業会社が情報システム子会社を設立するのが流行しており、商用インターネットの黎明期ということもあって私のような「パソコンに触ったこともない」という学生でも受け入れてくれたのかもしれない。

右も左もわからないので、唯一イメージができる営業部門を希望したが、人手不足の開発部門に配属となり、とりあえず初心者プログラマとして会社員生活をスタートした。しかしすぐにプログラミングという作業がどうにも好きになれないことに気が付き、お客様との折衝や仕様の落とし込みの方が得意となって、わりと早い時期からプロジェクトリーダやプロジェクトマネジャを経験させてもらった。周囲にはプログラマ志望が多かったので、客先に出向いたり、折衝したり、見積や収支計算をすることに対して積極的な人がいなかっただけであって、私が優秀だった訳ではない。

社会人4年目の頃、「報酬は入社後、平行線で~♪」という椎名林檎の「丸の内サディスティック」を聴きながら人並みに、自分の商品価値はどの程度なのだろうか?と疑問を持ち始めた。仕事を一通り覚えた二十代後半の若者がよく陥る考えだが「勝負に出たい!」と思い始めたわけだ。事業会社の情報システム子会社というのは、基本的に事業会社とそのグループ内の情報システムを担う。それゆえに、グループの外については、転職した先輩社員やものの本からしか情報を得ることができない。ちょうど小泉旋風が吹き荒れ、弱肉強食の新自由主義が「正しい」と思われていた頃、自分も見事に「新自由主義者」として、弱肉強食の世界に出たいと考えたわけだ。また、酒飲みだったので給料を上げないとカードの引き落としが回らないという恥ずかしい理由もあった。

「力を試せて高給な職種は?」というなかなか若気の至りな理由で転職支援の会社へ相談すると、コンサルティング会社という選択肢を提示された。「コンサルティング会社で5-6年頑張り、事業会社へ情報システムの部長職へ転職、もしくは独立開業」というアイデアに夢中になり、社会人6年目の頃、米国資本のコンサルティング会社へ転職した。

そこは’UP OR OUT’(昇進かクビか)の文化のある典型的なコンサルティング会社で、製造・流通業を担当する部署に配属されると、早速現場に投入された。ここに転職して驚いたのは、言葉を選ばずに言えば「バカ」がいないということである。考えてみれば当たり前で「使えない」と思われれば即座に実質解雇になるのである。周囲の成長(特に理解力と知識の吸収率)と体力に圧倒され、ついていくのが精一杯という状況であった。例えば明日中国工場に出張して工場長にインタビューするのに、こちらは工場について何もしらないのだ。仕方がないから本を何冊も買い込んで、徹夜で読み込み、飛行機の機内でも読み込み、大慌てで資料を作ってインタビューに臨む、などということが常態である。気が付けば一般論だけならクライアントに負けないだけの知識(だけ)は身についていた。

しかし、そんな生活はそう長く続けることはできず、3年目に体調を崩したことと結婚を機に事業会社へ転職することにした。コンサルティング会社での3年間は地獄でもあったが、多くの知己を得たことと世界が広がる契機となった。その意味では大きなターニングポイントであった。

転職相談に行った転職支援企業(実は最初の転職と同じ会社)より、「それならウチにくれば?」とお誘いを受けたので、ちょうどベンチャーを脱したばかりのその会社にお世話になることにした。このころから「コンサルタントを軸として生きていこう」という考えが定まったので、様々な業界の状況を知り、人脈を広げるという(浅はかな)魂胆もあって、「転職志望者を企業へ紹介する営業」として配属の部署で仕事を始めた。

ここは何しろ若い人が多く、上司でさえ年下であり、若者を支援しつつ営業活動をするという毎日で、急成長した企業の御多分にもれず、早朝から深夜まで働きまくるという文化であった。その環境自体はコンサルティング会社で慣れていたのでどうということはなかったが、時あたかもリーマンショックの年で、一気に不況となった際の経営陣の対応が目に余ったので「申し訳ない」という思いを残しつつ、やはりお誘いを受けていた当時の営業先の製造業の会社へ移った。製造業といってもいくつかの事業部を抱えており、製造業向けのパッケージシステムを製造販売している部署であったので、何かの役に立つだろうという確信ともう少し事業会社について知っておこうという考えからオファーを受けることにした。

給料はさほど高くはなかったが、本業のエアコン事業が絶好調であるため、雇用に関する不安等はなく、ともかく製造業の企画・設計・生産準備・品質管理の業務を吸収し、2年間の営業を経て、コンサルティングサービスを立ち上げ、いくつかの会社にコンサルティングを実質一人で提供する機会や、社内のグローバルプロジェクトを手掛けたり、新製品を立ち上げる機会など、8年半にわたり、非常に充実したものとなった。もちろん楽しいだけではなかったし、腐ったりもしたが、ともかく様々な知己を得、終わってみれば感謝である。

結果的にIT・業務・経営のコンサルタントとして独立までようやくこぎつけることができた。それが成功なのか失敗なのかは全くわからないが、少なくとも思い描いたことが実現できたということになるだろう。最初のクライアントにもスムーズに恵まれ、とりあえずよちよち歩きながら、会社をスタートさせることができた。最後の決断には家族や住宅ローンなどもあるので、それなりの勇気が必要だった。しかし妻をはじめとした周囲の理解、これまでご縁のあった方の手助けなどのおかげで、とにもかくにも船出をすることができた。

振り返ると、ひたすらここまでは人に恵まれたというのが実感である。「お陰様」という言葉があるが、この意味をかなり実感を持って噛みしめている。これまでの社会人生活で出会った人々、学生時代の仲間、直接しらなくともWEB経由で知り合った人々、そしてなんといっても家族、とりわけ妻の理解がなければなにもできなかっただろう。


従業員ではなくなり一人になってみたほうが人のありがたさが実感できる。逆説的だがそういうものなのかもしれない。皆様、感謝です。引き続きよろしくお願いします。

2017年6月8日木曜日

光の暴走

19世紀末の西欧世界(イギリス・フランス・ドイツ・ベルギー)において、象徴主義というダークな世界観を特徴とした芸術が成立した。絵画ならモローやクリムト、ワッツ、ムンクなど。文学なら「悪の華」のボードレールを嚆矢として、マラルメ、プルースト、ランボーなどだ。彼らは天使より悪魔を、ユートピアよりディストピアを、幸福より不安を、理論より神秘を表現した芸術家たちだった。世紀末象徴主義と呼ばれ、キリスト教暦の100年期(世紀)末の不安による退廃的なムードを反映した芸術と一般的には乱暴に思われている芸術運動である。


1000年期末(ミレニアム)をお祭り騒ぎの中で終え、今は新しい1000年期と世紀がスタートした直後である。だが、大雑把に言えばグローバリズムの失敗が明らかになりつつある今、少しずつだが確実に洋の東西を問わず、不安が広がっているのは間違いない。
19世紀末の象徴主義(ちなみに、この時代の絵画は好きだ。ムンクの『思春期』など大傑作だと思っている。)は果たしてキリスト教的な、あるいは信仰が失われていくなかの嘆きだったのだろうか。私は違うと思う。これは「産業革命」というテクノロジと経済がすべてを覆うことへのカウンターであり、人の精神の営みを含めて、テクノロジーによってあらゆる闇(即ち無知蒙昧さ)を駆逐されると知識人でない普通の人々までが予感したことへのカウンターだっただろう。つまり啓蒙主義へのアンチテーゼでもあった。

電気の普及はこれからだったが、ガス灯(ディズニーシーへいけば、当時のニューヨークの雰囲気が再現されている)はあり、闇が駆逐されてきた時代、とりあえず芸術家というセンサーの鋭い人々はこれを「光の暴走」と捉えたのではなかったか。その産業革命という光は芸術という「心的な領域」さえも脅かすほど煌々と闇を照らしたがゆえに、それを恐れた芸術家たちは闇を濃く表現しようとした、それが象徴主義であったように思う。


「陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転ずる」という考え方が陰陽五行の思想にある。正しいかどうかは知らぬ。ただ、19世紀半ばは18世紀から続く産業革命の光(陽)が極まった時代であったように思う。そして太極図の反転した小さな円のように生じた陰、それは人々の不安であり、恐れであったとすれば、それに形を与えたのが象徴主義であった。エドワルド・ムンクの『思春期』を見よ。これほどまでに「不安」をキャンバスに表現した絵があるだろうか。「怖い絵」と言われるのもむべなるかな。なぜならそれは「不安」の具現をみているからだ。


その昔、ファイナルファンタジー3というコンピュータゲームを遊んでいた。有名なので説明不要だろうが、ざっくりいうと「闇が暴走して、世界が無に帰そうとしている時に光の戦士に選ばれた少年が世界を救う」というプロットである。こうしたRPGはさまざまな神話や伝説、小説などを下敷き(元ネタ)にしているので、なかなか馬鹿にできない。そのゲームのラスト近くで、こんな話が出てくる。「かつて光が暴走したときに、闇の戦士が世界を救った」という。どちらにせよ、ゾロアスター教的な二元論を下敷き(敵のモンスターに「アーリマン」も出てくる。アーリマンとはゾロアスター教における悪の権化である。)にして、光と闇のバランスをとることが、世界を安定させるという観点で物語が組まれている。


18世紀から19世紀に「産業革命」により光が暴走し、19世紀末から20世紀半ばにはそのカウンターとして「二つの大戦」という闇が暴走した。このとき「アーリマンの帝国」として日本とドイツは断罪され(イタリアは?)、冷戦という「明るすぎず暗すぎない」という時代が過ぎた。20世紀末には「新たな悪(アーリマン)の帝国」ソヴィエト連邦が崩壊し、正義(光)の勝利となり、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり?」を書いた。しかし、私の見るところまた、光が暴走している。

具体的には150年前の「産業革命」にあたるものは明らかに「情報革命」であろう。1970年代から80年代はテクノロジーの一分野に過ぎなかったが、1990年代に入ってから急速に発達し、2017年現在は大量データと人工知能(BiG Data、IoT、AI)を先頭として異常発達を続けており、「将来なくなる職業」などがよく特集され、ビル・ゲイツでさえ「AIが人の仕事を奪うならAIに課税すべきだ」と言い出す状況である。なんというかテクノロジは「今度こそ生命の神秘である精神も征服できる」と意気込んでいるようだ。

さらに「共産主義」に勝利した「資本主義」は「新自由主義=グローバリズム」へ発達し、情報革命とも連動しながら、瞬く間にカネを中心に世界を席巻してしまった。もやは情報とモノとカネはインターネットの中で自由に行き来し、佐伯啓思のいうシンボリックアナリストがそれを使って巨大な格差を生み出すにいたっている。

これは光の暴走である。商売とはいえ「テクノロジがすべてを解決できる」「AIが人を駆逐する」という言説を堂々とする企業経営者やマスメディアは多い。端的にいって高い確率で思い上がりである。まともな知性の持ち主ならそれはわかっているだろうが、「マス」あるいは「畜群」たる多くの人々は真に受けているだろう。その状況それ自体が「光の暴走」である。光が暴走するとなにが起こるか、「陽極まれば陰に転じ」るのである。闇が深くなるのである。闇が深くなれば、またぞろアーリマンが活動するのである。

エドワード・ルトワックという戦略論の大家は「パラドキシカル・ロジック」という言葉を使う。「逆説的論理」と言うわけだ。それは世の中は相互作用の世界であるがために、「強くあろうと強気に軍備を拡張すると、周囲の警戒を招いて、結果として相対的に弱くなる」というものだ。ルトワックによれば大国というのは小国に勝つことはできないそうである。それはパラドキシカル・ロジックが働くからだと言うわけだ。逆に小国は大国に勝つことができる。日露戦争がその典型であるとのこと。

話がそれたが世の中は私の見るところ、相互作用で動いており、善悪理非とは無関係に「バランス」の中で動いている。今は光が暴走している。必ずそれは闇の増幅をもたらすだろう。いや、頻発するテロ、解決しない失業問題、実感なき景気回復などすでに増幅を始めているように思える。スターウォーズのような映画ではないから、止めようがない。したがって覚悟するしか仕方がないのだが、芸術家たちが象徴主義のようなものを表現し始めたら、それはアーリマンの警告かもしれない。文学や絵画はもはや往年の力がないが、それはどこかですでに始まっているだろう。




2017年4月25日火曜日

カバン

カバンといっても政治の話ではない。所謂「鞄」の話である。といっておしゃれでもパトロジックな話でもないのでご安心を。

通勤電車で妻に「カバン」を大事にしていないといわれた。今使っているのは吉田カバン(Porter)のカンバス地トートなのだが、確かに平気で床に置くし、一度修理にも出したが、仕事道具を詰め込むので金具周りが痛んでいる。そもそもこの若干カジュアルなカバンを購入したのは、Tumi製のビジネスバッグがビジネスカジュアルにあまり合わないということだったのだが、そのTumi製ビジネスバグの金具が金属疲労で壊れてから、ついつい修理を先延ばしにしてトートを使い続けている。だから今はスーツにトートというよくわからないスタイルで通勤したり、客先にいったりである。


吉田カバンのトートはたしか20,000円弱、Tumiのビジネスバッグは50,000円位だっただろうか。妻は言う「いいカバンを持ったらワクワクとかしないの?」「特にしない」「じゃ、なんでもいいじゃない」このあたりで私が乗り換える新宿駅についた。乗り換えた山手線の車中で、なるほど「ずいぶんカバンに対する位置づけが違う」と考えた。

一般論としては女性にとってカバンとは非常に重要だろう。どんなカバンであれ、何も手に持っていない女性の姿はどこか落ち着かない。モデルだろうとその辺を歩いているオバちゃんだろうとやはり「カバン」を持ってこそサマになる。その意味で、カバンは服と変わらない重要度を持ったアイテムなのだろう。だからこそ買い物などに行くとこちらが呆れる位カバン選びに熱中できるのだろう。むしろカバンに合わせた「服選び」という買い物の仕方もあるくらいだ。

翻って男性である私にとってのカバンとは道具以外の何者でもない。頑丈で使いやすいことが第一義である。ある程度よい物を持つのは端的に言って「馬鹿にされないため」であり、おしゃれという要素はほとんどない。たまに成金風のオッサンが飲食店のカウンターで後生大事になにやら高そうなカバンを隣のイスに混んできても置いていたりすることを見るが、軽蔑とともに叩き落してやろうかと考えたりもする。道具への執着が周囲への気遣いよりも優先する男性は私には理解できない。

さて、「いいカバンを持ったらワクワクする」というのはどういうことなのだろう。このあたりの心の働きはいまひとつわからないのだが、「自己肯定感」ということなのだろうと想像する。大げさに言えば「素敵なカバンを持った自分が素敵」ということだ。その心の働きは否定しないし重要なことだと思うのだが、よい物を持って「自己肯定感」を得るという心の働きが私にはあまりない。どちらかというと「これを持つぐらいには稼げていますよ」という多少の自己顕示欲の満足ぐらいである。

「男は一番身近な自分の妻を通じていい加減に女を理解した気になっている」とどこかで読んだが、それも仕方がない。妻ほど身近で違う環境で育った女性はいないのだから。というわけで勝手なことを書くことをご容赦いただきたい。

ナルシシズムは必要な感情であり、特に女性にとっては「死活的」に重要項目だと感じる。特に見た目の美しさへのこだわりや流行への感度の高さを厳しく相互チェックしながら生きている女性にとっては「ルックスや存在感がイケてる」ということは心の支えになるのだろう。それは美しさやセンスのよさがどれほど生きるうえで有効な武器であるかを肌で感じているからなのだろうと想像する。

男性にとってはどうなのだろう。「ルックスや存在感」をとりあえず分割して「ルックス」に限って考えてみる。人によって著しく異なるだろうが、平均から平均以下ぐらいの容姿の男性は思春期を迎えるころから「ルックス」については生得的なものを超えることがほぼ不可能ということを理解する。従ってこの領域での勝負から下りることが合理的である。女性はフラットな関係のなかの相互チェックを重んじているように見えるが、男性はなんでも「勝負」なので勝てない領域では努力しなくなる傾向がある気がする。

その結果、スーツを着ていればそこそこ見られるが、それ以外は話にならないお父さんが量産される。お父さんは自分のルックスに何の価値も感じていないので非常に無頓着になる。「君子身辺を飾らず」なんて故事を言い訳にしつつ、そこに意識が向かない。妻に指摘されてとりあえず近寄りがたくならないように「清潔感」にだけ気をつける。勿論私も例外ではない。私などは恥を忍んで言えば、ひねくれたナルシシズムを鎮めるために意図的に頓着しないようにしてしまう。

最近ちょっと思うのだ。「女ウケしなけりゃそのカネ、死に金」的な男性向けライフスタイル誌のような価値観にはまったく共感できないけれど、思春期から青春時代に勝負から下りてしまっているので、ルックスはカバンも含めて多くの男性にとって未開拓(あるいは全く開拓が足りていない)の領域なのではあるまいか。
趣味の道具レベルで「身近な洋服やカバン」の良し悪しを見分けられるぐらいになったほうが、少し人生が楽しくなるのではななかろうかと。

我と我が身の容姿の悪さを嘆いていても仕方がない。それよりも、何とか身近なものに楽しさを見出して、少しは見られるように身辺を飾ってみてもよいのではないかと。足が短いなら短足なりに、腹が出てきたならば出腹なりに、顔が悪いなら不細工なりにとりあえず楽しめる範囲で自分の格好を楽しめるようになればよいのではなかろうか。


往々にして休日のオッさんたちは不細工でダサい。少し成金のオッさんは高いものを着ているが、だいたい似たり寄ったりの格好で苦笑いしてしまう。(腕まくりのジャケット、微妙な色味のカットソー、七分丈パンツに、妙なローファー風の革靴というのを近頃はよく見る。何かの制服なのだろうか。)自分なりのスタイル(姿勢/哲学)をちょっと追求することを楽しめれば、自分も楽しいし、妻の機嫌はよくなるし、職場でも明るく振舞える・・・かもしれない。