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2018年1月11日木曜日

2018年のゴール

2018年の正月も終わり、鏡開きとなった。サラリーマン時代には目標管理制度というものがあった。半期単位に被評価者が目標案を作成し、上司と合意して目標を設定する。期の終わりが近くなると目標に対してすっかり別のものになってしまった実績の言い訳を書くというものだ。本来的には「被評価者が自主的に目標設定することで納得感をもって業務を遂行する」という趣旨であるが、実際には上手くいっているケースは寡聞にして知らない。海外は知らないが、上下間での議論がうまくできない日本においては恐らく成立しないモデルであろう。少人数のスタートアップでは上手く行くのかもしれないが。

2017年に独立した私には上司が存在しない。従って目標設定は自らの意思でしかない。自分の中で被評価者と評価者を設定して、当然ながら納得ずくで進めていくことになるので、案外と私には向いているかもしれない。そう考えて仕事始めのこの時期に宣言としてブログに書き留めておく。評価者も被評価者も自分なので、ブログの読者に公開することで逃げ場をなくしておくことにする。ただし、公開なので定性的なものが多くなり、しかも書ける範囲にはなることをお断りしておく。

2018年12月の大枠
2018年1月時点では常駐先でのプロジェクト支援が100%である。具体的に言えば週5日間常駐先に詰めているということである。プロジェクト支援のコンサルティングは事業領域に含めている。従って正しいステップを踏んでいると考えているが、当社の事業領域全体は「コンサルティング・研修サービス・パートタイムCIOサービス」である。現時点では「10:0:0」になっている。これを「8:2:0」乃至は「8:1:1」にまで持っていくのが12月の大枠である。商売は生き物なので状況によってどうなるかは分からないが、大枠はこの形にピンを留めて進めていく。

コンサルティング
基本的には現在の姿を継続していくが、知見のある「製造業」の領域でのコンサルティングの切欠を掴んでおきたい。もう少し具体的に書くと、企画、或いは営業からの設計~試作~量産判定までのエンジニアリングプロセス、市場品質管理~上流工程での品質フィードバックによる品質作り込みについて、ITでの「改革・改善」のコンサルティングやアドバイザリである。この領域ではコンサルティングチームを作る、或いは参画するということでもよい。どちらかといえば、2018年は参画する形が望ましいかもしれない。

研修サービス
非IT企業向けのIT研修サービスのコンテンツを用意したい。新入社員向け、若手リーダ向け、MGRクラス向けの1日~1週間程度のコンテンツを用意し、2018年中に1社以上の受注を得たい。事業会社でもITの知識は必須であろう。スマホとSNSだけでは業務系のITの知識は身につかない。情報システム部門に丸投げではなく、ITの常識があれば仕事の進め方も変わってくるだろう。新入社員向け、若手向けには合わせてビジネス文書作成の基礎なども提供したい。ビジネス文書から「させていただく」と「弊社・御社」を撲滅したいところである。細かいところにこだわってパトロジックと思われるかもしれないが、正しい日本語を書くだけでもビジネス的に有利だ。舐められない、馬鹿にされないビジネス文書を書くスキルをワードやパワーポイントのスキルと共に提供したい。

パートタイムCIOサービス
分かりやすく言えば業務IT領域の顧問サービスなのだが、こちらもまずはコンテンツ作り、引合先を獲得したい。非IT系の中小企業では情報システム部門がなく、ITの専門的が社内にいないケースも多い。とはいえ専任要員を確保するほど余力がない、また経営の観点からIT相談ができる相手が欲しいなどのニーズはよく聞く。ありがちではあるが、経営ITコンサルティングサービスとして企画を明確化したいというのが2018年のゴールである。


その他趣味など
音楽活動を再開し、オリジナル曲をYoutubeあたりにアップしたい。またライブに対バン形式で参加したい。そもそもバンドメンバーを集めるところから始めないといけないが。また体が鈍っているので、なにかやったことのないスポーツや武道に挑戦したいところである。柔術でもやろうかしらん。
飛行機のプラモデルはエアブラシを手の内に入れて、今年は12機の完成を目標にする。ちなみに不良在庫となっている「積みプラ」は30機近くある。写真も撮りためているだけの状態なので、仕上げて整理し、フォトブックなどを作る。これは娘中心になるけれど。


そんなところである。このブログの更新頻度も上げていきたい。本年もよろしくお願いいたします。

2017年12月30日土曜日

年の瀬の振返り

2017年もあとわずかとなった。この辺りで振り返りをしておこうと考えてブログを書いている。このブログは公的なものと私的なものの中間と位置付けている。ある意味で仕事の延長であり、ある意味で遊びの延長でもある。とは言うものの「日本のビジネスマンの考えること」とサブタイトルを打っているので、少し公的、或いは仕事的なものに寄せて振り返ってみたいと思う。

独立と会社設立
2017年の私にとって最も大きな出来事はサラリーマンを止めて独立起業したことである。15年前の2002年(27歳)、当時は百貨店のシステム子会社で駆け出しのSEをしていた。しかし、ある意味人並みだが「このままここで働いていて意味があるのか」と考え始めた。就職氷河期の中で拾ってくれた会社ではあったものの、いわゆる情報システム子会社だったため、グループ内の仕事しかできず「下駄を穿かせてもらっての仕事」と感じていた。今思えばなかなかありがたい境遇ではあったものの「IT革命」やら「新自由主義」が流行り始め、若者らしく野心を燃やし始めたということだっただろう。
そこで「エクスペリエンス」(現:パーソルキャリア)のキャリアコンサルタントに相談したところ「コンサルティング会社で修行し、その後事業会社のIT部門長になる、若しくは独立開業する」というストーリーを吹き込まれた。事業会社のIT部門長はともかく、その独立までのストーリーは当時の私には非常に魅力的に思えた。その後、外資系コンサルティング会社へ転職、結婚する際も「いずれ独立する」と妻に宣言し、それから二回転職し10年、妻からも「するする詐欺だ、いつ独立するんだ!グズグズしすぎ!」と𠮟咤激励を受け、ようやく踏ん切りをつけての独立起業だった。2017年7月10日という会社設立日はこの先どうなろうと決して忘れられない日である。

独立直前に外資系コンサルティング会社時代の同僚に紹介を受け、コンサル仕事も久しぶりだったので「勘を取り戻す」という意味でPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)として現在の常駐先にお世話になることになった。独立してみると様々な偶然が重なっていくことが実感できる。「なるほどこれが『縁』か」と。袖すり合うも他生の縁。よく言ったものである。
お陰様でそれから半年間、それなりの評価を受けて無事に仕事ができている。経済的にも以前よりは恵まれた状態を維持できているのも、一重に皆様の(急にビジネス調でおかしいな)、言い換えれば「縁」のおかげである。

今後は研修サービスや中小企業向けCIOサービス、また業務ITに関連する製品開発を展開していきたいというのが現在の予定である。勿論様々な紆余曲折があるのでどうなるかは分からない。だが20年のサラリーマン生活で理解したこととして「自分で決めなきゃ、誰かに決められてしまう」という公理がある。 意思だけは持っておかないとやりたいことができなくなってしまう。それを回避するためにやりたいことの明確化をしながら正月を過ごしたいと考えている。

最初の現場
コンサルティング業界は他の業界とはまた違う守秘義務があるので、書ける範囲で書く。この10年弱は品川は港南で働いていたが、久しぶりに都心で働いている。とはいえ品川駅は港区なので区内で移動しただけといえばだけなのだが。
常駐先では優秀な、或いは有望な若者達と働いている。同年輩の人々はいわゆる部長以上という若い会社である。
「貞観政要」という唐の時代の古典に「草創と守成といずれが難きや」という問いがある。意味は「創業と維持はどちらが難しいか」ということである。この答えは「難しさの質が異なるので、やり方や組織を質的に転換しないと創業に成功しても維持できない」ということが書いてある。常駐先はまさに創業に成功し急成長した企業である。しかし、大企業への質的な転換ができておらず様々な問題が管理不能なレベルで起きていたりする。私の仕事はプロジェクトを通じて整理を行い、デスマーチ(IT業界の用語。プロジェクトがうまく進まず、メンバーに超人的な努力を強いる状況になること)となっているプロジェクトを軟着陸させることがまずは第一義、さらに「守成」のフェーズで仕事の仕方や方針を理解してもらうことにある。

2017年は、プロジェクトメンバーとして一緒に汗を流しながら「メンバーからの信用」「プロジェクトの把握」というステップが終わったというところである。この後はプロジェクトの立て直しのステップにかかる。なかなかタフだが、愉しくもある。PMOであると同時にフィクサーのような仕事であるが、久しぶりのコンサル仕事でも「案外、まだ私も役に立つ」と感じることができた半年間であった。

読書
2017年はE・H・カー「危機の20年」、エマニュエル・トッド「シャルリとは誰か」、佐伯啓思「アメリカニズムの終焉」、太田房雄「大東亜戦争肯定論」、エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」というあたりが非常に印象に残っている。大体年間100冊程度読むが、起業後はそれほど数が読めなくなってしまった。とはいえ40-50冊読了した中で、上記の5冊は必ず再読するだろう。また、エドモンド・バーグ「フランス革命の省察」もなかなかであった。保守思想の源流と呼ばれるバーグだが、その源流とはフランス革命への罵詈雑言というのが面白い。基本的には私も保守の立場であるが、確かに保守というのは新たな思想や行動に対する常識からの平手打ちという側面がある。とはいえ、少しづつ立体的に現代史と保守思想の理解が深まってたと感じる一年であった。来年はもう少しプラグマティックに地政学や国際政治学を勝手に学んでいきたいと思う。また仕事柄、失敗学も研究していきたいところである。

娘の成長
2013年に生まれた一人娘も今年で4歳になる。だんだん成長して、いつの間にか普通に会話のキャッチボールが成立するようになった。不思議な感覚である。勿論人並みに「プリキュア」と「ディズニープリンセス」が大好きなのだが、どういうわけか「恐竜」にハマっている。妻に言わされている部分もあるけれど「大きくなったら恐竜学者になる!」と最近は言っている。私も知らない恐竜も図鑑やカードを見せて「これは何?」と聞くと「スティラコサウルス!!」と答えるように。単にイラストで覚えているのかと思い、別の図鑑を見せてみる。恐竜は色が不明確なのと、羽毛の有無が最近分かったので、図鑑によってかなり違う。しかしやはり「スティラコサウルス!」とちゃんと答えるので、どうやらちゃんと特徴でとらえているらしい。子供の成長はすさまじい。ちなみにブラキオサウルスがお気に入り。アロサウルスやスピノサウルスのほうがパパはかっこいいと思うけど。


それでは皆様よいお年を。


2017年7月25日火曜日

サラリーマン生活を終えて

少し間が空いてしまったが、2017年6月30日をもって会社員生活に終止符を打ち、小さなコンサルティング会社を立ち上げて独立開業した。その選択が正しいのか誤りなのかはわからないが、二十代の終わりのころから考えていた独立を十年かけて実現にこぎつけたということになる。ひとえに家族、友人、職場の仲間、お客様のお陰であり、陳腐な言葉かもしれないが、赤心より感謝しかない。ありがとうございました。

私事を書き連ねるのはあまりよい趣味ではないが、少し会社員生活を振り返ってみたい。後進の若者の何かの参考に、或いは自己紹介になれば幸甚である。

私は1999年3月に大学を卒業したので、見事に「ロストジェネレーション」の世代であり、就職活動は厳しいものであった。とはいえその渦中にいた時は、景気の良い状況をしらないのであまり大変だとは感じていなかったが。150社ほど資料請求してエントリーシートを書き、30社ほど訪問と面接を繰り返してどうにか一社の内定を得て、大手百貨店の情報システム子会社に入社した。当時は事業会社が情報システム子会社を設立するのが流行しており、商用インターネットの黎明期ということもあって私のような「パソコンに触ったこともない」という学生でも受け入れてくれたのかもしれない。

右も左もわからないので、唯一イメージができる営業部門を希望したが、人手不足の開発部門に配属となり、とりあえず初心者プログラマとして会社員生活をスタートした。しかしすぐにプログラミングという作業がどうにも好きになれないことに気が付き、お客様との折衝や仕様の落とし込みの方が得意となって、わりと早い時期からプロジェクトリーダやプロジェクトマネジャを経験させてもらった。周囲にはプログラマ志望が多かったので、客先に出向いたり、折衝したり、見積や収支計算をすることに対して積極的な人がいなかっただけであって、私が優秀だった訳ではない。

社会人4年目の頃、「報酬は入社後、平行線で~♪」という椎名林檎の「丸の内サディスティック」を聴きながら人並みに、自分の商品価値はどの程度なのだろうか?と疑問を持ち始めた。仕事を一通り覚えた二十代後半の若者がよく陥る考えだが「勝負に出たい!」と思い始めたわけだ。事業会社の情報システム子会社というのは、基本的に事業会社とそのグループ内の情報システムを担う。それゆえに、グループの外については、転職した先輩社員やものの本からしか情報を得ることができない。ちょうど小泉旋風が吹き荒れ、弱肉強食の新自由主義が「正しい」と思われていた頃、自分も見事に「新自由主義者」として、弱肉強食の世界に出たいと考えたわけだ。また、酒飲みだったので給料を上げないとカードの引き落としが回らないという恥ずかしい理由もあった。

「力を試せて高給な職種は?」というなかなか若気の至りな理由で転職支援の会社へ相談すると、コンサルティング会社という選択肢を提示された。「コンサルティング会社で5-6年頑張り、事業会社へ情報システムの部長職へ転職、もしくは独立開業」というアイデアに夢中になり、社会人6年目の頃、米国資本のコンサルティング会社へ転職した。

そこは’UP OR OUT’(昇進かクビか)の文化のある典型的なコンサルティング会社で、製造・流通業を担当する部署に配属されると、早速現場に投入された。ここに転職して驚いたのは、言葉を選ばずに言えば「バカ」がいないということである。考えてみれば当たり前で「使えない」と思われれば即座に実質解雇になるのである。周囲の成長(特に理解力と知識の吸収率)と体力に圧倒され、ついていくのが精一杯という状況であった。例えば明日中国工場に出張して工場長にインタビューするのに、こちらは工場について何もしらないのだ。仕方がないから本を何冊も買い込んで、徹夜で読み込み、飛行機の機内でも読み込み、大慌てで資料を作ってインタビューに臨む、などということが常態である。気が付けば一般論だけならクライアントに負けないだけの知識(だけ)は身についていた。

しかし、そんな生活はそう長く続けることはできず、3年目に体調を崩したことと結婚を機に事業会社へ転職することにした。コンサルティング会社での3年間は地獄でもあったが、多くの知己を得たことと世界が広がる契機となった。その意味では大きなターニングポイントであった。

転職相談に行った転職支援企業(実は最初の転職と同じ会社)より、「それならウチにくれば?」とお誘いを受けたので、ちょうどベンチャーを脱したばかりのその会社にお世話になることにした。このころから「コンサルタントを軸として生きていこう」という考えが定まったので、様々な業界の状況を知り、人脈を広げるという(浅はかな)魂胆もあって、「転職志望者を企業へ紹介する営業」として配属の部署で仕事を始めた。

ここは何しろ若い人が多く、上司でさえ年下であり、若者を支援しつつ営業活動をするという毎日で、急成長した企業の御多分にもれず、早朝から深夜まで働きまくるという文化であった。その環境自体はコンサルティング会社で慣れていたのでどうということはなかったが、時あたかもリーマンショックの年で、一気に不況となった際の経営陣の対応が目に余ったので「申し訳ない」という思いを残しつつ、やはりお誘いを受けていた当時の営業先の製造業の会社へ移った。製造業といってもいくつかの事業部を抱えており、製造業向けのパッケージシステムを製造販売している部署であったので、何かの役に立つだろうという確信ともう少し事業会社について知っておこうという考えからオファーを受けることにした。

給料はさほど高くはなかったが、本業のエアコン事業が絶好調であるため、雇用に関する不安等はなく、ともかく製造業の企画・設計・生産準備・品質管理の業務を吸収し、2年間の営業を経て、コンサルティングサービスを立ち上げ、いくつかの会社にコンサルティングを実質一人で提供する機会や、社内のグローバルプロジェクトを手掛けたり、新製品を立ち上げる機会など、8年半にわたり、非常に充実したものとなった。もちろん楽しいだけではなかったし、腐ったりもしたが、ともかく様々な知己を得、終わってみれば感謝である。

結果的にIT・業務・経営のコンサルタントとして独立までようやくこぎつけることができた。それが成功なのか失敗なのかは全くわからないが、少なくとも思い描いたことが実現できたということになるだろう。最初のクライアントにもスムーズに恵まれ、とりあえずよちよち歩きながら、会社をスタートさせることができた。最後の決断には家族や住宅ローンなどもあるので、それなりの勇気が必要だった。しかし妻をはじめとした周囲の理解、これまでご縁のあった方の手助けなどのおかげで、とにもかくにも船出をすることができた。

振り返ると、ひたすらここまでは人に恵まれたというのが実感である。「お陰様」という言葉があるが、この意味をかなり実感を持って噛みしめている。これまでの社会人生活で出会った人々、学生時代の仲間、直接しらなくともWEB経由で知り合った人々、そしてなんといっても家族、とりわけ妻の理解がなければなにもできなかっただろう。


従業員ではなくなり一人になってみたほうが人のありがたさが実感できる。逆説的だがそういうものなのかもしれない。皆様、感謝です。引き続きよろしくお願いします。

2017年3月24日金曜日

経営コンサルティングとITコンサルティングの狭間(自己紹介:仕事編)

「IT系何でも屋」が現状の実質的な職務ですが、自己認識としては「経営系ITコンサルタント」です。「系」ってなんだよ?とわりとよく訊かれるので、もっとよい言い方がないものかと考えますが、なかなか良い呼称が見つかりません。ともかく「経営系ITコンサルタント」という造語を定義しながら、「経営とIT」の整理をしておきます。



経営コンサルタントは業務遂行に特別な資格が必要ないこともあって、なかなか定義が難しいものです。一般的には「経営理論」「財務会計」「業務運用」「組織管理」などの理論に精通し、特定領域の実務経験やコンサルティング業務経験に基づいて、経営者・経営層に対して根拠のある的確なアドバイスや経営計画作成の支援を行う人というところでしょうか。勿論、得手不得手やそれぞれの専門性はあっても、まずはこのあたりの専門家であることが経営コンサルタントを名乗るための資格でしょう。

次にITコンサルタントですが、これも定義が非常に難しいものです。ベテランのシステムエンジニアやプロジェクト・マネジャをITコンサルタントと呼んだり、ERPに代表されるパッケージシステムの導入の専門家をそう呼んだりします。とはいえ、その経験と知識に基づき、IT製品・サービスの導入と活用によって、経営上の問題を解決に導く専門家というのが、その定義でよいでしょう。

さて、「経営とIT」はほぼ不可分の領域ですが、現実には経営や実務に強い経営コンサルタントはITに精通しているケースは少なく、ITコンサルタントは経営や実務について疎いというのが、割とよくある話です。経営コンサルの立場で言えば、IT屋は経営や実務を知らず、理想的かつ教科書的な業務を想定してシステムを導入したがる連中だという認識ですし、ITコンサルタントからすると「そんな課題はITで一発解決するのに、経営コンサルは回り道ばかりする」というのが得てしてその認識だったりします。

経営実務とIT双方に精通するのは、実際かなり無理があります。どちらも広大かつ複雑な海のような領域なので、たとえて言うと「太平洋」と「大西洋」双方を地理学・海洋学・生物学・気象学・航海・船舶などの観点で、少なくともすべてを広範囲に知っており、かついずれかの分野で専門性を持っているという状態だからです。これは一人の人間にはいくらなんでも無理です。経営とITに精通するというのは大げさに言えばそういうことです。

その問題を解決するため大手コンサルティングファームならば、それぞれの領域の専門家を束ねたプロジェクトチームで案件にあたります。その結果、ただでさえ単価が高いコンサルティングフィーは非常に高額なものとなり、中小企業ではなかなか手が出ないものになっています。(2000万~数億のオーダー)

本来、改善の余地が多く、経営にせよITにせよコンサルティングが有用なのは中小企業のはずですが、大手ファームはなかなか利用できません。従って、中小企業が利用するのはフリーや小規模なコンサル会社というケースがほとんどでしょう。そうすると、それぞれのコンサルタントは経営実務には詳しくてもITが弱い、あるいはITは強いが経営実務は苦手ということになりがちです。

そこに私のような「経営系ITコンサル」の役割があると考えています。基本的なベースとして製造業・流通業を中心に業務コンサルティングを行いながら、「要求定義」や「ビジネスフロー」作成を行います。それが結果的に経営上の問題点を解決するためのITからのアプローチとなり、後工程を担当するITコンサルタントやシステムエンジニアへの橋渡し作業となるわけです。私のような「コウモリ」は意外と少ないのですが、パソコンやオフィス機器導入相談や、無料ツール活用というようなちょっとした相談から、ERP導入やSCM革新相談までその道の専門家ほどではないにせよ、経営上の問題点を勘案しながらお請けできるので、案外重宝な存在のようです。


もしも、フリーや小規模なコンサル会社の利用をご検討ならば、「経営系ITコンサル」あるいは「IT系なんでも屋」のような観点を足して、コーディネータに「何でも屋もチームに加えなくていいの?」といってみてください。(なんだか宣伝みたいですが・・・)