2017年12月30日土曜日

年の瀬の振返り

2017年もあとわずかとなった。この辺りで振り返りをしておこうと考えてブログを書いている。このブログは公的なものと私的なものの中間と位置付けている。ある意味で仕事の延長であり、ある意味で遊びの延長でもある。とは言うものの「日本のビジネスマンの考えること」とサブタイトルを打っているので、少し公的、或いは仕事的なものに寄せて振り返ってみたいと思う。

独立と会社設立
2017年の私にとって最も大きな出来事はサラリーマンを止めて独立起業したことである。15年前の2002年(27歳)、当時は百貨店のシステム子会社で駆け出しのSEをしていた。しかし、ある意味人並みだが「このままここで働いていて意味があるのか」と考え始めた。就職氷河期の中で拾ってくれた会社ではあったものの、いわゆる情報システム子会社だったため、グループ内の仕事しかできず「下駄を穿かせてもらっての仕事」と感じていた。今思えばなかなかありがたい境遇ではあったものの「IT革命」やら「新自由主義」が流行り始め、若者らしく野心を燃やし始めたということだっただろう。
そこで「エクスペリエンス」(現:パーソルキャリア)のキャリアコンサルタントに相談したところ「コンサルティング会社で修行し、その後事業会社のIT部門長になる、若しくは独立開業する」というストーリーを吹き込まれた。事業会社のIT部門長はともかく、その独立までのストーリーは当時の私には非常に魅力的に思えた。その後、外資系コンサルティング会社へ転職、結婚する際も「いずれ独立する」と妻に宣言し、それから二回転職し10年、妻からも「するする詐欺だ、いつ独立するんだ!グズグズしすぎ!」と𠮟咤激励を受け、ようやく踏ん切りをつけての独立起業だった。2017年7月10日という会社設立日はこの先どうなろうと決して忘れられない日である。

独立直前に外資系コンサルティング会社時代の同僚に紹介を受け、コンサル仕事も久しぶりだったので「勘を取り戻す」という意味でPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)として現在の常駐先にお世話になることになった。独立してみると様々な偶然が重なっていくことが実感できる。「なるほどこれが『縁』か」と。袖すり合うも他生の縁。よく言ったものである。
お陰様でそれから半年間、それなりの評価を受けて無事に仕事ができている。経済的にも以前よりは恵まれた状態を維持できているのも、一重に皆様の(急にビジネス調でおかしいな)、言い換えれば「縁」のおかげである。

今後は研修サービスや中小企業向けCIOサービス、また業務ITに関連する製品開発を展開していきたいというのが現在の予定である。勿論様々な紆余曲折があるのでどうなるかは分からない。だが20年のサラリーマン生活で理解したこととして「自分で決めなきゃ、誰かに決められてしまう」という公理がある。 意思だけは持っておかないとやりたいことができなくなってしまう。それを回避するためにやりたいことの明確化をしながら正月を過ごしたいと考えている。

最初の現場
コンサルティング業界は他の業界とはまた違う守秘義務があるので、書ける範囲で書く。この10年弱は品川は港南で働いていたが、久しぶりに都心で働いている。とはいえ品川駅は港区なので区内で移動しただけといえばだけなのだが。
常駐先では優秀な、或いは有望な若者達と働いている。同年輩の人々はいわゆる部長以上という若い会社である。
「貞観政要」という唐の時代の古典に「草創と守成といずれが難きや」という問いがある。意味は「創業と維持はどちらが難しいか」ということである。この答えは「難しさの質が異なるので、やり方や組織を質的に転換しないと創業に成功しても維持できない」ということが書いてある。常駐先はまさに創業に成功し急成長した企業である。しかし、大企業への質的な転換ができておらず様々な問題が管理不能なレベルで起きていたりする。私の仕事はプロジェクトを通じて整理を行い、デスマーチ(IT業界の用語。プロジェクトがうまく進まず、メンバーに超人的な努力を強いる状況になること)となっているプロジェクトを軟着陸させることがまずは第一義、さらに「守成」のフェーズで仕事の仕方や方針を理解してもらうことにある。

2017年は、プロジェクトメンバーとして一緒に汗を流しながら「メンバーからの信用」「プロジェクトの把握」というステップが終わったというところである。この後はプロジェクトの立て直しのステップにかかる。なかなかタフだが、愉しくもある。PMOであると同時にフィクサーのような仕事であるが、久しぶりのコンサル仕事でも「案外、まだ私も役に立つ」と感じることができた半年間であった。

読書
2017年はE・H・カー「危機の20年」、エマニュエル・トッド「シャルリとは誰か」、佐伯啓思「アメリカニズムの終焉」、太田房雄「大東亜戦争肯定論」、エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」というあたりが非常に印象に残っている。大体年間100冊程度読むが、起業後はそれほど数が読めなくなってしまった。とはいえ40-50冊読了した中で、上記の5冊は必ず再読するだろう。また、エドモンド・バーグ「フランス革命の省察」もなかなかであった。保守思想の源流と呼ばれるバーグだが、その源流とはフランス革命への罵詈雑言というのが面白い。基本的には私も保守の立場であるが、確かに保守というのは新たな思想や行動に対する常識からの平手打ちという側面がある。とはいえ、少しづつ立体的に現代史と保守思想の理解が深まってたと感じる一年であった。来年はもう少しプラグマティックに地政学や国際政治学を勝手に学んでいきたいと思う。また仕事柄、失敗学も研究していきたいところである。

娘の成長
2013年に生まれた一人娘も今年で4歳になる。だんだん成長して、いつの間にか普通に会話のキャッチボールが成立するようになった。不思議な感覚である。勿論人並みに「プリキュア」と「ディズニープリンセス」が大好きなのだが、どういうわけか「恐竜」にハマっている。妻に言わされている部分もあるけれど「大きくなったら恐竜学者になる!」と最近は言っている。私も知らない恐竜も図鑑やカードを見せて「これは何?」と聞くと「スティラコサウルス!!」と答えるように。単にイラストで覚えているのかと思い、別の図鑑を見せてみる。恐竜は色が不明確なのと、羽毛の有無が最近分かったので、図鑑によってかなり違う。しかしやはり「スティラコサウルス!」とちゃんと答えるので、どうやらちゃんと特徴でとらえているらしい。子供の成長はすさまじい。ちなみにブラキオサウルスがお気に入り。アロサウルスやスピノサウルスのほうがパパはかっこいいと思うけど。


それでは皆様よいお年を。


2017年11月16日木曜日

その先の未来

70余年もかかったが、我が国は敗戦と占領の呪縛からようやく脱る気配があるように見える。前回のブログにも記したが「反体制が正当である」というひどく「不自然なパラダイム」が崩壊したというのが、その主な要因であろう。それ自体は望ましいことである。しかし、そうであるとするならば「ここからどのような未来を志向するのか」という次の難問が持ち上がる。もちろん「なるようになる」という考えもあろう。だが、案外我々は「なるようになる」という考えに耐え続けられるほど強くない。そして、好むと好まざるとにかかわらず、「なるようになる」という態度は、そう考えない人々や国によってもは振り回されるという結果になりがちである。それが嫌ならば、やはり「志向(ディレクション)」だけは考えておくよりほかはない。しかし、かつてのように「ただそれを真似るだけでよい」というロールモデルは存在しない。正確にはそんなロールモデルなど元々どこにもないのだが、数十年前までは「地上の楽園」だの「よい核」だの「追いつけ追い越せ」だのと言うことができたわけである。そのような妄想に近い理想を仮託できるユートピアなど存在しないという諦念を基本としてこれからの方向性を考えていくほかあるまい。

ところで、そのように無責任な「反体制の人々」にも良いところはあった。ひどく子供じみてはいたが、少なくとも彼らはニヒリストではなかった。彼らはその子供っぽさ故、ニヒリズムに耐えられず、夢の世界へ逃げ込んでいたとも言えるだろう。しかし、諦念から出発する我々のようなリアリストにはそんな逃げ場はない。ニヒリズムに正対していかなくてはならない。ニヒリズムとは「虚無主義」と訳すが、もっと平たく「価値(序列)の混乱」と考えておけばいい。要するに「何が正しくて、何が間違っており、何に価値があって、何に価値がないのかがはっきりしない」ということである。



さて、現代において「『価値がある』とはどういうことか?」という問いを発すると、怪訝な顔と共に「そりゃ、金になるか、役に立つかってことだろう」という答えが返ってくるだろう。しかし、すこし冷静に考えてみると、金銭はそれ自体は無価値である。コインやバーチャルなコインにしろ紙幣にしろ、それ自体は何の役にも立たない。だからこそ、媒介として金銭の役目を果たすことができるわけだ。それ自体が無価値であるからこそ、「交換」の媒介となり、その多寡により、購入できるものが決まるに過ぎない。それ故に「価値がある」ことそれ自体と「価格」は直接的な関係はない。さらに訊いてみよう。「では、どういう物差しでその『価格』が決まるのか?」と。そうするとさらに面倒くさそうな顔と共に「役に立つとかカッコイイとか美しいとかだろ?」と答えが返ってくるに違いない。まず、「役に立つ」だが、「何の」という目的が必要である。従ってそれは「手段」の話である。「かっこいい」「美しい」は少し価値それ自体に踏み込んでいるが、では「それはどんな物差しで決まる?」という問いの回答にはならない。だから「価値がある」ことを「金銭的価値」と定義したところで、全く無効である。金銭的価値は「物事の正しさ・良さ」を測る尺度にはなり得ない。また、「役に立つ」ということは何らかの技術の産物であろう。だが、科学技術も「価値中立的」であるからこそ、科学技術足りえるのであって、やはり「物事の正しさ・良さ」を測る尺度にはなり得ない。にもかかわらず、21世紀初頭の今現在、金銭的価値と科学技術(金になるか、役に立つか)、言い換えれば、資本主義と技術主義が主要な「価値の源泉」と見做されている。だが、これらは本来の意味において「価値」とは完全に無関係なものである。だから、いくら高度に発達しても我々はどこかこれらを直観的に「グロテスクなもの」としてとらえてしまう。そのグロテスクなものが中心に据えられている時代状況をさしあたり「ニヒリズム時代」と呼んでおこう。

その「グロテスク」さはどこからくるのだろか。少し前にマイケル・サンデルが『それをお金で買いますか』という本を出していた。その中の例だった気がするが、例えば高度医療(臓器移植等)を受けるためにはかなりの費用がかかる。すると、金銭の多寡により、生命をつなぐチャンスに違いがあることになる。それは突き詰めれば「命を金銭で贖う」ということにしかならない。死は相変わらず誰にでも平等ではあるが、その引き延ばしは金銭による。そこに我々は「生命に対する冒涜」を見てしまう。そして恐らくはそれを「グロテスク」と感じる。少なくともここで、価値の物差しは生命であり、本来はそれをつなぐ手段である医療を金銭で贖うという行為に、どういうわけか価値の混乱を見てしまうわけである。「生きるチャンスは平等であるべきだ」という陳腐な意識のせいであろうか?少なくとも直観的に「正しい・良い」とは考えにくい。

また軍事に関する科学技術もそれが言える。古来より、戦場は悲惨であると同時に英雄が生まれる場所であった。しかし、産業革命後の第一次世界大戦あたりから様相が変わり始める。戦車や飛行機などの近代兵器が登場し、個人の武勇と戦果があまり関係がなくなる。それでもまだ戦闘機同士の戦いのような武勇の要素が残り、エースパイロットというような中世の英雄の残照があった。しかし、核兵器の登場により、少なくとも大国同士の勝敗は戦う前から決定されてしまう。そこには個人の武勇など入り込む隙はなく、相互破壊認証(MAD)による「銃を突きつけ合った平和」という形で平和をもたらした。やはりどこかこの状態を「グロテスク」と直感する。ひとつ前の例と同様、「正しい・良い」とは考えにくい。

しかし、諦念からスタートするリアリストである我々にとって、これらをただ主観的に否定して「ユートピア探し」をしても、それはただの逃避行動でしかない。故にここを出発点にするしかない。これらの「グロテスクさ」を受け入れつつ、しかしそれを少しでも減らしていくという立場に立たざるを得ない。これは並大抵のことではないと考える。これは哲学上の大問題であり、ニーチェをもってしても、これらの問題に対して「超人」というトリッキーなたとえ話を持ってこざるを得なかったような大問題である。ニーチェの言う「超人」とは「価値を自ら作り出す者」という意味だが、その著書のどこを読んでも、「超人とは何か」について真っすぐな回答は記されていない。「~ではない」という否定形で示されているだけである。ユートピア主義者であまり好きではないが、内田樹の例えが適切だろう。「超人とは『人間』の上に引かれたバーチャルな抹消線である」というのが、ニーチェの示したニヒリズムの克服の方向性であった。

リアリストは「まずは現状を承認する」ことからしかスタートできないので、自らの価値序列やなんらかの目的をかなり強く意識しないと単なる「ニヒリスト」になりやすい。また、現実が見えている「合理主義者」であることも多いので、広大で複雑な現実を前に無力感にとらわれることも多いだろう。だから、現実主義者は「未来を描く」ことが苦手である。しかし幸か不幸か現代は「数の論理」で動くことが多い。「マッス」でも「畜群」と呼んでもいいが、ようするに「大衆」が主であるような世の中である。大衆とは本質的に「自分で考えること」はできない。したがって、魅力的な何かを提示しないと動かすことはできない。その未来像は虚像でもなんでもいいのだが、虚像のユートピアを提示してしまえば、毛沢東やスターリン、或いは戦後の左翼マスコミと同じになってしまう。

讃岐院の呪詛「皇を取って民とし民を皇となさん」が実現したかのような価値の混乱した現代に我々は生きている。私見を述べれば「大衆」という「人と同じであること」「人のまねをすること」が満足の元であるような人々(だから金持ちか貧乏人とかとは無関係)が最も最強である「民主主義」は肯定できない。こうした人々は本質的に相互模倣的であるので容易に「束」となる。その束に方向付けをすれば「ファシズム」となる。ファッショとは「束」の意である。従ってファシズムは民主主義からしか出てこない。逆に言えば、(大衆)民主主義の究極がファシズムであるといえるだろう。その意味では第三帝国や昭和初期の日本はある種究極の民主主義であったといえるかもしれぬ。

「民主主義」とは「多数決」とイコールではない。イコールなのは「直接民主制」という古代ギリシア時代に失敗が確定した狂気の思想である。別に少数者の意見を尊重せよなどという話ではない。そうではなくて、少なくとも何かに優れた(卓越した)人々を何らかの方法で選出し、議会を形成し、「大衆」という名の「盲目の怪物」を牽制しながら暴走させないことが必要である。これを「議会主義」と呼んでもいいし、「間接民主制」と呼んでもいいが、これは一種の「貴族制」であろう。だがいわゆる「民主主義」よりもはるかに優れた制度である。(それ故、一院制や首相公選制は狂気だと私は考える。結局突き詰めれば「全権委任法」になるからだ。)

では「議会主義」を維持したまま、その先の未来を思い描くために、リアリストはどうすればよいのだろう。処方箋などはもちろんないが、さしあたりニヒリズムに対抗していくために、先ほど挙げた「グロテスクさ」をできるだけ減らしていくという方向性が良いと考える。現代のニヒリズムの根幹はグローバリズム(金融主義的資本主義+科学技術主義)にあるのだから、これを知ることから始めるのがよいのではなかろうか。これらは本質的に「肥大化する欲望」がベースにあるので、克服するのは予見可能な未来には不可能であろう。とすれば、別の価値体系をもって、これに対抗していくぐらいしか方法があるまい。


その価値体系はどこにあるのか?そんなものはない。どこかにあると考えてしまうとそれはユートピア論者と同様である。そうではなくて、過去を参照し、現状を分析し、不条理は不条理として許容し、ゆっくりと価値を構築していく。或いはそのための態度を身に着けていく。その間はさしあたり、常識と直観を信じて「胡散臭いもの」を回避、或いは戦っていく。言い換えれば、グロテスクなものを回避したり叩き潰したりする。そうして支配的な思想であるグローバリズムに押し流されそうな「現実」と死ぬまで格闘していくほかあるまい。具体的には「いやーいまはグローバルの時代だよ」などと嘯く馬鹿どもを一人一人糺していくようなことだ。長く地味であまり報われない戦いだが、まともな人間がそれをこなしていくしかない。それを30年も行えば、少し日本がマシな世界になっているかもしれない。次の世代へ少しだけ世界をマシにして引き渡すことが我らのできる最善のことであろう。

2017年10月26日木曜日

敗北者はだれだったのか。

2017年10月の衆議院議員選挙が終わった。蓋を開けてみればこれは誰がどう見ても単独過半数を制した自民党の大勝利であり、公明党と合わせ政権与党だけで憲法改正発議が可能な2/3を制したことになる。しかし、誰かが大勝利したということは、誰かが大敗北を喫したということである。勿論、単純には野党ということになろう。しかし今回の選挙において、野党が大敗北を喫したという印象は少ない。というよりも敗れるための条件さえ満たせなかったというように見える。小池百合子というジョーカーの登場により、野党第一党である民進党は、希望の党、立憲民主党、無所属という形に分解し、敗れる主体にさえなれなかった。せいぜい「小池百合子が失敗した」ぐらいの印象しか残らないというのが正直な感想である。

小池百合子の「希望の党」は結局のところ、橋下徹の「維新の会」の二番煎じであった。橋下徹は弁護士でありながらテレビタレントという知名度を利用して大阪の府政を混乱させた挙句、国政に関与しようとし、自分に風が吹かないとみるやもはや誰も話題にしない「大阪都構想」を畳んで、楽屋に引っ込んでしまった。大阪都構想にせよ、役人を悪者に仕立てるやり方にせよ、基本的には「劇場型」の人気取りでしかない。そんなことは橋下徹はわかっているが故に、効果が薄ければ、傷口が広がらないうちに撤退したということであろう。「ふわっとした民意」をメディア経由で操ろうとして失敗したというわけだ。橋下徹はあれでも法曹界出身だが、小池百合子はその橋下徹が頼りにしつつ共犯関係を構築しようとしたマスメディア出身である。橋下の失敗を分析した上で、もっと上手にマスメディアを利用できると算段したのかもしれない。アラブ式のはったりも身に着けた小池百合子ならあり得ないことでもないと想像する。

現実にはただ野党を割って、図らずも整理整頓しただけで終わった。「鉄の天井」などと言って社会構造と伝統に責任転嫁しようとしているようだが、イタリアのメディアの言う通り「亡命中の女王のボヤキ」以上のものではない。一方、安倍首相はなかなかの喧嘩巧者であることも証明した。絶妙なタイミングで解散総選挙を仕掛け、一時は脅威になりかけた小池百合子を(恐らく結果的にではあるものの)野党解体の鉄砲玉として使い、野党の自滅や台風すらも味方につけて大勝利を収めたわけである。倫理的な判断は脇に置いて見事という他はない。




さて、野党が敗北するための主体足りえることさえできなかったのだとすれば、今回の選挙は一体だれが敗れたのであろうか。それは恐らく「反体制としてのマスメディア、とりわけテレビと新聞」であろう。1990年代までマスメディアは「錦の御旗」を持っていた。それは「反体制」というスタンスである。実効性や責任は脇に置き「ともかく政府を叩く」ことで、一定以上の支持を得てきた訳である。マスメディアももちろん正しい意味で商売だから顧客が「何を見たい・読みたい」かを考えて、商材である「言論」「映像」などのコンテンツを提供する。1950年代から1990年代の長きにわたって「反体制」は「鉄板のコンテンツ」、要するに売れる商材だったわけである。

それほど長く「反体制」という商材を商って、しかもそれが必ず売れるとなると、いつの間にか反体制は商材ではなく「信念」に変質していく。「反体制」が当たり前となり、それが社内や社会への影響力の源泉であり、核(core)になっていく。その影響力はかなり肥大化した。1990年代のテレビ朝日「ニュースステーション」やTBS「ニュース23」あたりを頂点として「第四の権力」として確立していった。選挙の洗礼を受ける政治家と異なり、メディア企業の経営層はそう簡単に交代することも弾劾されることもない。そして「反体制を売り物にする第四の権力が、自家中毒に陥った挙句に腐敗する」という状態が現在まで続いているということなのだろう。違うとは言わせない。コンサルタントとして色々な企業を見てきたが、この構造になるのは企業の成長に伴う不可避の現象である。要するに「上には正しい情報が届かず、下は手段が目的になる」という「大企業病」の一変種である。

第二次世界大戦で日本が「道義的にも誤っていた」ということにしたい戦勝国、とりわけ米国のGHQの思惑。そして戦前に国賊として取り締まられてきた左翼勢力の怨念。社会主義・共産主義の国々(のプロパガンダ)に対する憧憬や期待。それを許し、甘えさせるだけの自民党の力量。右肩上がりの経済。そうした中で「反体制」をビジネスの核としてきたメディア。今回の選挙はそのメディアとうとう支持を明示的に失った日であっただろう。そう、大敗北を喫したのは「反体制」というビジネスをしていたマスメディアだったのである。「商材」が「信念」に変質してしまっていた彼らの選挙後の迷走というか言い訳というかアノミーっぷりには失笑を禁じ得ない。田原総一朗の暴走あたりがもっともそれを象徴しているだろうか。

マスメディアは焦っている。これまで「反体制」という不思議な既得権益の中で商売をしてきた。所謂サヨクで知られる内田樹が「テレビというのは視聴者もスポンサーも巻き込んだ一大ビジネスである。そうであるが故に、お茶の間の静謐とスポンサーの利害を守らねばならず、従って水で薄めたような無難な意見しか表明できない」という旨をどこかで書いていたが、実際には「反体制」であれば、ほとんど何を言ってもOKというスタンスであることが今回の選挙における自民党のネガティブキャンペーンと希望の党への右往左往で実証されてしまった。一定以上の知性と経験(普通の社会人)ならば、これは「反権力・反腐敗という図式の中でで腐敗したどうしようもない業界」であることを否が応でも理解せざるを得なかっただろうと思う。さらに、インターネットという玉石混淆ではあるものの、多様な意見を読むことのできる空間がマスメディアの意見を相対化する強力な触媒になったのは間違いない。

そう考えると、今回の選挙で大敗北を喫したのは「笛吹けども踊らず」となった有権者に見透かされ嫌われたマスメディア(新聞・テレビ)だったのではないだろうか。彼・彼女らが「腐敗した第四の権力」として有権者の審判をくだされたというのが、今回の選挙の結果だったのではないかというのが正直な感想である。


田原総一朗には申し訳ないが、先日、常駐先のビルにある蕎麦屋で一緒だったことから、勝手に上述のスタンス代表していただくことにする。アメリカに構造的に甘えられる立ち位置で体制批判さえしていればいいという時代。その中で青春どころか社会人の大半を過ごしてしまった世代は、もうどうしようもあるまい。言い換えれば死ぬのを待つしかあるまい。そして、その彼・彼女らに牛耳られているメディアの中枢部も、あと10年程度、あの世代が死滅するのを待てば少しずつでも状況は改善するであろう。具体的には1940年から1950年生まれの世代のサヨクのことである。もはや「Love & Peace」という標語はただの無責任と能天気を表す標語でしかないことを彼らは死ぬまで理解できないであろう。メディアの「核」がどんな形にせよ変化するのは、そう先のことではない。そしてそれは非常に望ましいと私は考える。

2017年10月24日火曜日

子供の教育

先日、我が家の一人娘が4歳を迎えた。今は保育園で無邪気に遊んでいるが、そろそろ学校教育を中心にどうしていくかが気になり始めている。近頃は厚労省管轄の保育園でさえ英語教育や空手などを取り入れていてびっくりする。娘も時々私が聞き取れないレベルの発音をしたりして、親としては喜んでしまったりする。勿論、幼児期特有の耳の良さでしかないことぐらいは知っている。単なる親バカである。



実際に親になってみると「子供にはもって生まれた特質がある」ことを実感する。娘は比較的大人しいが、それでもふざけるのは大好きだし、一人っ子のわりに周囲の友達に引きずられたりする。運動は嫌いではないようだが、パワーとスピードはあるのに敏捷性に欠ける。この辺りは私に似てしまってちょっと申し訳ない。娘の友達や従兄弟たちを見ていると当然ながら娘とは全く違う性質を持っている。落着きはないが、娘と対照的にすばしっこく、バランス感覚が優れている子。或いは、親分肌で周囲をまとめる力のある子。

こうした「性質」は教育とは何の関係もないだろう。詳しいことはわからないが遺伝的要素など生物学的なことに起因しているに違いない。話題になった双子の研究などによると、教育や環境などによる後天的な要素は先天的な要素に比べてあまり、その子供のその後に影響を与えないらしい。まあ、それはそうだろう。子供が真っ新な白紙であり、教育しだいでどうにでもなるなら、少なくとも先進国では賢者ばかりになるはずだ。勿論、実際には「上智と下愚は譲らず」の言葉通り、2割ぐらいの賢者と愚者、8割程度の「普通の人」という分布は変わらない。そのように考えると「大賢者」を教育で作ることは諦めたほうがいいだろう。私自身の実感としてもハードウェアとしての頭の良しあしは生まれながらに決まっており、後天的にどうにかすることはできない、と考える。

では「あらゆる教育は無駄」かというとそんなことはないだろう。ハードウェアの性能はどうしようもない。しかし、例えば「努力には意味がある」、「知見を広げる事が人生を楽しく、豊かにする」ということを実感させたりすることで、物事へのスタンスを身に着けることはできる。その手伝いぐらいは教育にもできるだろうと考えている。「手伝い」としたのは、結局、本人の資質に左右される部分が大きいからだ。「馬を水飲み場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。」の言葉通り、水を飲むか否かは本人次第である。ここについては我が子を信じるしかあるまい。

自分自身を振り返ると、両親のサポートという観点で、いくつか「もう少し何とかなったな」というポイントがある。私の両親が特段なにか問題があったとは思わないし、感謝している。しかし、自分もまた人の親になったという点で考えてみると、もう少しサポートすれば、もう少し世界が拡がったかもしれないという出来事があった。一つは小学校高学年の頃、交換留学生の話があった。カナダのケベックが私の出身地と姉妹都市かなにかになっており、留学生の候補に私ともう一人が上がったのだ。結局、私は行かず、もう一人の女の子が行ったのだが、私が行かなかった理由というのが、「家が狭くて恥ずかしいので、交換留学生を受け入れられない」という主に母の反対である。当時は「ちょっと残念」くらいだったが、今にして思うと、随分勿体ないことをしたなとも思う。例えば、家が手狭なら、隣の区に住んでいた祖父母の家に来てもらうくらいの知恵は働かなかったのかとも。とは言え、両親を責めても仕方がない。そうではなくて、そういうタイミングの時に、親としてサポートするだけの力と見識を持っておこうということである。

また、結果的には小さなコンサル会社の経営者になってしまったが、幼少期から飛行機が好きで「パイロットエンジニア」になりたいと思っていた。案外、身体能力も高く、まあ、勉強も人並みよりは出来、視力も未だに2.0ということで、できない理由はとくにない。エンジニアには後からでもなれるのだから、まずはパイロットを目指せば、それは(もちろん、色々な曲折はあるにきまっているが)実現可能性はそれなりにあっただろう。エンジニアはともかく、パイロットはあり得ただろうなと思う。しかし、当時の両親はそれを「冗談の類」として受け止めていた。両親が悪いわけではない。おそらく、「いい学校→いい会社」がよいというその時代の社会規範にとらわれており、一人息子がそこそこ「頭がよい」のに、そのような「特殊」な道を歩ませる意義を見出せなかったに違いない。

それは全く無理からぬことである。人はある時代のある場所に生まれ育つ。それは宿命であり、逆らうことはできない。しかし、それでも我が娘が、私には理解しにくい夢を持ったとしても、それを真正面から受け止めて、検討、サポートような親でありたいと思う。家庭教育でファームウェアとOSを形成し、学校教育は最低限のアプリケーションをインストールする場である。教育について親ができるほとんどすべてのことは、選択肢を提示すること、知見を広げるチャンスを与えること、漫画でもいいから読書など最低限の習慣を身に着けさせることに尽きるのではなかろうか。


とりとめのない文章になってしまったが、子供の教育について考えてみた。

2017年10月17日火曜日

ファシストはリセットボタンがお好き

昭和50年生まれなのでファミコン世代ではある。小学生の時分には買ってもらえなかったので、よく友達の家で遊んだ。ロールプレイングゲームのようなものはそうはいかないので、中学生になって中古のファミコンを手に入れ、ウィザードリィやドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどを夢中で遊んだものだ。行き詰ると「リセット」ボタンを押したくなる。攻略本などではリセット前提の方法を書いてあったりして、今思えば「ゲームの設計思想」としてどうなのかとも思う。

別段、ゲームの影響がどうこうということを書きたいわけではない。ただ、ゲームのおかげで、坂本龍馬の「日本を今一度洗濯したく御座候」のような願望を「リセット願望」と表現することができるようになって、便利になったというだけである。



少し考えると分かるが「リセット願望」はかなり子供っぽいものだ。子供っぽいだけに「変身願望」と同様かなり根源的であったりする。洋の東西を問わず、リセット願望は様々な出来事の原因となってきた。例えば、バーグが口を極めて罵ったフランス革命はまさしくリセット願望を具現化したものであった。「保守思想の父」などと呼ばれるバーグの議論は結局「リセットしたらゴミじゃないものまでゴミ箱に捨ててしまうだろう」ということに尽きている。英国から 彼の目でフランス革命を眺めると「狂気の沙汰」にしか見えなかったということだ。革命の理想はどうあれ、持てる階層からなにもかも分捕って、持たざる階層に配る。そして、わずかでも異を唱えれば処刑される。そして新たな支配階層は「支配」をしたことがないものだから、際限なく腐敗し矮小化する。そして反革命が起こり、ナポレオンという軍事的独裁者が台頭し、王制が復活し…と大混乱。あたかも人類史上の一つの「最高の瞬間」のように記憶されているが、私にはそうは思えない。

理想はあくまでも「理想」であって、たとえて言うなら虹のようなもの。虹を捕まえることは絶対できないけれど、虹それ自体は確かに見える。理想とはそういうものであるという大人なら誰でも知っていることである。しかし、なんらかの原因で大人の視点を手に入れられなかった人には「だってそこに虹がある!」以上のことがわからない。ユートピアとは「どこにもない場所」という意味である。ネバーランドも字義通りであろう。しかし、目の前の現実を全否定して「どこにもない場所」を現実化しようとすると大抵の場合、「地獄」を現出してしまったことが歴史上には何度もあった。その根底にあるのが、「リセット願望」であろう。

ユートピアを創り出そうとしてディストピアが出来てしまった例はいくらでもある。前述したフランス革命後の革命政府による恐怖政治もそうだし、ドイツ第三帝国(いわゆるナチス)もそうだ。ファシストイタリアやロシア革命後の共産党独裁もそうだし、文化大革命後の毛沢東による恐怖政治も同じである。どれも閉塞感にとらわれた多数派の恨みつらみを燃料とし、リセット願望に誰かが着火した。それは「何もかも一気に変えて、ユートピアを創ろう!」とした善意から出ている。中産階級にせよ、インテリ層にせよ、こうしたリセット願望にとらわれる人は多い。この時に出来上がる「リセット願望の空気」を束ねて独裁者が登場する。近年はファシストと呼ばれるが昔からいる。古代ギリシャでは僭主とよばれていた。なお、ファッショとは「束」の意である「ファスキス」からきている。

ファシストは野心家で有能であり、本来は「善意」の人である。また強烈な信念を持っていたりする。彼らは行動力があり、その狂信ともいうべき自信たっぷりの態度や言動から人を引き付ける魅力がある。そして、必ず革新側、左側から登場する。なぜ、保守側、右側からは登場しないのか。理由は簡単である。革新は「歴史を否定し、己が歴史を作る」と考えるからだ。人間社会を自分たちで設計してハンドリングしていけるという信念を持っている。そこに「共産党宣言」でも「我が闘争」でも「毛語録」でもいいが、理論付けをする。そのうえで単純なスローガンを創れば完璧である。

だが、保守側、右側からは出ない。歴史と伝統を重んじ、人間社会の複雑さを理解しているので、社会の設計などできるはずがないという確信があるからだ。勿論、歴史は結果的に「続いていく」と考えているので、己が歴史を作るとは考えない。変革は拒まないが慎重である。物事はゆっくりとしか改善できないと考えるし、急速な改革などすべきでないと考えるのである。控えめであったり、現実的であったりするので、尊敬は集めても、熱狂させることはできない。それ故その立場からはファシストなど出るはずがない。

この通り、リセット願望と相性がいいのはファシストであり、ファシストは改革の旗を掲げる。ファシストは「リセット」を言いつのり、「しがらみを断ち切る」と叫ぶ。実は民族主義とか自国中心とかは関係がない。その時々で衣を取り換えるだけである。極右や極左が危険なのではなく、設計主義者と大衆のリセット願望が結びつくことが危険なのである。その結果は必ずディストピアをもたらすことは、彼、彼女らが軽んじる歴史が冷たく教えるところである。




2017年8月15日火曜日

2017年の敗戦の日、或いは保守本流への警告

毎年のことだが、8月15日が近づくとあちこちで「あの戦争はなんだったのか?」という問いが、メディアを賑わす。勿論、議論のレベル感は様々であるが、いい加減飽きてきて低調になるどころか、戦後民主主義の呪縛が薄れたこの10年、さらに百家争鳴の度を増しているように見える。

新聞テレビを中心にした既存のメディアとネットを中心とした新興メディアはお互いを嘲り、罵りあいながら大きく分断している。当然ではあるがこれまでの慣習とビジネスに縛られ、また、権力を監視するという名の権力から生ずる既得権益の構造が出来上がっている既存メディアは強く戦後の「タブー」に縛られ、いわゆる「左翼的な」論調であり、その縛りが少ない新興メディアはむしろ「右翼的・愛国的」な論調が多い。むろん、個人が発信できるネットメディアは極左から極右、或いはおそらく正常な精神ではないようなものまで、玉石混交ではあるものの、印象としては述べた通りである。(統計を取ったわけではないので正確なところはわからないが)

ネット言論においては「アンチ安倍」vs「親安倍」という構図が、「左翼」vs「右翼」、言い換えれば「革新・進歩主義」vs「保守・伝統主義」を代表しているといっても言い過ぎではあるまい。
さて、終戦記念日である。この言い方もある種の欺瞞があるので本稿では以下「敗戦の日」ということにしよう。勿論、9月2日の降伏文書署名など分かった上での話である。

72年目の今日、私が問いたいのは「保守」と呼ばれる人々のスタンスである。はっきり言って戦後一世を風靡した「左翼」思想はもはや破綻している。影響力としては最盛期を100とすれば1-5程度であろう。先日の東京都知事選挙を思い出せば、その「左翼思想」はもはやたんなるノスタルジでしかないことがよくわかった。鳥越俊太郎が何を喋ろうが、ボケ老人の寝言以上には受け入れられることはなかった。その意味で鳥越の失態というか、痴態は、戦後左翼にふさわしい断末魔、或いは断末魔さえ意識できない「死」を象徴するものであった。

だから、ここから先いわゆる「左翼」は批判の対象としては登場しない。ここから先に左翼と呼ぶのは筋金入りの共産主義者若しくは社会主義者のことである。もはや破綻寸前でジリ貧な彼らはその影響力を大幅に低減させている。今後、残党は先鋭化し、先祖返りしていくだろう。その意味では、騒々しささえ我慢すればよい。だがしかし、問題は「保守」である。なぜならば現代の保守本流というものが私には「保守」の名に値しないのではないかと考えている。

2012年12月安倍首相は「価値観外交」という言葉を使った。日本は「自由と民主主義」を中心としたイデオロギーを共有する国と「価値観を共有している」というわけだ。ここで言う国の代表格がアメリカであることは言うまでもない。占領の終わった1952年から、米国への消極的追従を「外交」と呼んでいた日本は、アメリカを前提としない外交を考えることができない。それゆえ「価値観外交」という言葉は「アメリカと価値観を共有する」という意味でしかない。少なくとも「アメリカシンパ」の国々と仲良くしようという意味である。

それから5年、依然として日本の政治状況はあまり変化がない。ということは「価値観外交」は続いているということだろう。現在の政治的状況への対処の手段としては「価値観外交」はわからないことはない。だが、これは大きな問題を孕んでいると私は思う。

アメリカの価値観の核にあるものは「自由と民主主義の普遍性を信じる」ことと「普遍であるがゆえにそれを世界に広める使命があると信じる」ことである。平たく言えば「スターウォーズ」の価値観である。悪の帝国に正義の「自由と民主主義の」戦士が立ち向かい、最後は勝利するというアレである。単純かもしれない。しかしフランス革命の普遍主義を引き継いだアメリカの普遍主義は、戦争をも辞さないという点において、相当に真剣かつ深刻なものだ。そのような歴史的使命があると自覚する国家の価値観というのは相当に特殊である。また、そのように人類が進歩していくという価値観であり、その観点ではアメリカは左翼国家だということができる。さらに人工的、進歩主義的、普遍主義的であったソ連の崩壊にともない、アメリカは世界で最も左翼的な国家の位置に来たということもできる。

翻って、わが日本はどうだろうか。「自由と民主主義」を普遍、即ち、真理であり、これを世界に広げることが正義であると信じているだろうか。私には決してそうは思えない。「自由と民主主義」は伝統的で土着的な「日本的なもの」という土台の上に刺さった旗程度のものだろう。とりあえず、それが正しいということになっているが、そんなものは時間の流れの中で差し替えられる程度のものだ。ちょうど1945年8月15日に「軍国主義」の旗が「自由と民主主義」の旗に差し替えられたように。


保守本流の人々は「そんなことわかっている」というかもしれない。それならばよい。だが「手段」と「目的」の混同の危険はいつだってあるものだ。「日本を取り戻す」ことを目的とし、「対米追従」を手段としていたのに、いつの間にか「対米追従」が主目的になり、「日本を取り戻す」が選挙民から票を集める手段になりかねない。保守を名乗る人々は今一度、何を保守するのかを考えたほうがいい。

2017年8月1日火曜日

「民主主義」というマジックワードの超克

戦前における「国体護持」と同様に、戦後は「民主主義」がマジックワードとして流通している。今風に言えばバズワードと言ってもいい。政治的に誰かを非難する時には右も左も「民主主義の破壊だ!」「民主主義を根底から覆す…」云々。しかし、これらの言葉は没論理である。正直に言えば「吠え声」と変わらない。なぜなら「民主主義」という言葉の定義が全く共有されていないので、「民主主義に照らして、XXXXだ!」と主張しても、論理(ロジック)が意味をなさない。


見たところ、職業的な政治家はプロフェッショナルらしく、このことをちゃんと自覚している。選挙制度に基づく政治の本質は、被統治者である国民の政策への関心が下がるほど、カタルシスを目的としたステージショウ、はっきり言えば「見世物」であり、見世物である以上、論理よりも印象を操作するほうが、ずっと効率的に選挙権をもつ国民に訴えるだろう。少なくとも小泉旋風、劇場型政治といわれてからこっちは、職業的な政治家はそれを自覚的に行っているだろう。そう思えば、この「戦後民主主義」体制下の政治家も「まともな国家運営をしながら人気取りもする」という点でなかなか大変である。ついつい同情してしまうこともある。

民主主義とは何か?という問いそれ自体は非常に重要ではある。しかしその重要性はあるべき政治体制の模索のためという本来的なものとして、多くの人に意識されているわけではない。そうではなくて、単なる前提なしの「正義」の源泉として、平たく言えば正当化のための錦の御旗として利用されるために問われることがほとんどである。やや空しいが仕方がない。日本を含む先進国においては、「隣人愛(博愛)」は知らないが、「自由と平等」はかなりの程度達成してしまっており、また、「権力vs市民社会」というような構図は意味を失っているため、「民主主義」を問うことの意味はその中に住む国民にとってほぼ無意味である。

大雑把に構図化してみると、元々キリスト教的な進歩史観、終末思想、つまり「唯一の神が何らかの目的をもってこの世を作り、いずれその目的は達成され、歴史は終わる」という観念を持たない我々日本人は、様々な大陸の思想に影響を受けながらも、ある種独自の価値観のなかで江戸時代まで生きてきた。それは「大目標を持たない」という点で恐るべき停滞の時代だったかもしれないが、ともかくも西洋的(=キリスト教的)なものとは異質のものとして繁栄してきた。しかし、幕末に西洋文明と対峙することにより、己の無力さを自覚するとともに、西洋的価値観を「正しいもの」として取り込んでしまった。平たく言えば、西洋にシビれてしまった。さらに新興の西洋化国家の帰結として大東亜・太平洋戦争に突入し、壊滅的な敗戦を経験した。それ以降、日本の諸悪の根源は「民主化=西洋化が不足していること」と認識されるようになった。丸山真男的な「(欧米は進んでいるのに)日本は遅れている」という考え方である。

だが、「民主化=欧米化」が無条件に礼賛されるべきという発想はソヴィエト連邦の崩壊以降、加速度的に意味を失っている。そのことは別段インテリ層でなくとも「素朴な庶民」でさえ理解している。表現がうまくできないだけである。なぜならば「自由・平等・博愛」の極点、つまり行き着く先のひとつが共産主義であることは誰にでも理解できるからである。資本主義vs共産主義というのは、決して民主主義vs全体主義ではなく、(自由を強調した)民主主義vs(平等を強調した)民主主義ということだったのだ。

このあたりから「資本主義の勝利」というような「祭りの季節」が過ぎると、もはや民主主義それ自体の意味を問うことがなくなっていく。そしてそのことは不安を生み出す。それはこういうことである。「平等を指向すると社会主義・共産主義に行き着くが、それは歴史によって否定された。しかし、残った自由を志向する資本主義的自由主義は多くの格差を生み出し、我々も貧乏のままである。それでよいのだろうか?」と。

少なくとももはや「民主化(=西欧化)が不足している」という議論はゾンビである。ただ、マスメディアを中心とした無意味かつ有害な「お作法」でしかない。大切なことは「民主化が足りない!」とか「民主主義の危機だ!」という戯言に接したときに「具体的にどういうこと?」と問うことである。非常に地味ではあるが、これをすることでマジックワードは崩壊する。AIだIoTだと言われたときに、具体的に何ができるようになるの?と聞き返せばたいていの営業やコンサルは「あわわわわ」となるのと同じことである。その結果、正しいことや向かうべき未来がますます見えなくなるだろう。そしてますます不安になるだろう。するとおそらく気が付くだろう。我々は「退屈」しているだけなのだと。


その「退屈」の名はニヒリズムという。すべてはその自覚から始めるしかないと私は考える。

2017年7月30日日曜日

エデュアルド F6F-5 ヘルキャット 1/48

プラモデル制作記です。

完成から間が空いてしまいましたが、2週間ほど前にエデュアルド社製のグラマンF6F-5が完成しました。4月初旬から初めてちょうど3か月かかった計算になります。「太平洋の蒼い魔女」こと「ヘルキャット(ガミガミ女・化け猫の意)」は第二次世界大戦中盤に登場し、零戦をはじめとする日本軍機をなで斬りにした恐るべき戦闘機です。オーソドックスかつ堅牢な設計で、旧式となりつつあった米海軍主力戦闘機の後継機の本命であった、新機軸の多さから実用化の遅れたF4Uコルセアへの繋ぎとして採用され、その結果、繋ぎどころか終戦まで主力戦闘機であり続けました。

速度、運動性、上昇力、武装という要素はすべて1.5流、堅牢性は1流、しかし、そのバランスの高さが超一流という優れた戦闘機であり、いうなれば10種競技のチャンピオンのような戦闘機です。零戦が、運動性と武装と上昇力が超一流、しかし堅牢性は3流以下という欠点があったこととは対照的に、弱点のない戦闘機ということができるでしょう。

日本のある年代から上のいう「グラマン」とはこの戦闘機のことです。私の父も東京大空襲の頃、当時住んでいた大森から千葉へリアカーで疎開したそうですが、途中東京湾で「グラマン」に機銃掃射されたとのことです。もちろん、別の機体だったかもしれませんが、アメリカの小型飛行機はまとめて「グラマン」だったわけです。「最も日本軍機を叩き落した戦闘機」に敬意を表して作成してみました。

さて、前置きが長くなりましたが、早速作ってみましょう。今回はチェコの老舗「エデュアルド社」の1/48 Grumman F6F-5 HELLCAT Weekend Editionです。以前下北沢のプラモデル屋で、どういう風の吹き回しか妻が買ってくれたものです。模型製作上のテーマは「以前、カーモデルで身に着けたミラーフィニッシュを飛行機でやってみる」です。



なかなか変わった成型色ですね。胴体部分がオリーブ、翼部分がグレー。

いつもはコクピットから作りますが、今回はエンジンから行ってみましょう。2000馬力級のエンジンはさすがにデカい。


プロペラもつけてみます。F4Uとエンジン・プロペラは共用ですが、現代でも通じそうなところがさすがに先進国。

基本的に外国機は追加工作はしませんが、シートベルトぐらいは足しておきましょう。


サクサク組んでいきます。エデュアルド社のこのキットはかなり新しいとのことで、よくできています。パテはほとんど無用です。


試しに胴体だけクレオス社のスプレー缶「ネイビーブルー」で塗装して、軽く研磨してみます。


なかなかよい感じです。なのでこのまま全体をネイビーで塗装。主要なデカールを貼付して、大量にクリア塗料をやはりスプレーで吹き付けます。乾燥したらひたすら研磨。タミヤのコンパウンドの極細、仕上げ目で顔が映り込むまで磨きます。


まあ、こんなものでしょう。自然光でもチェックします。

あとは悔しいですが日本軍機のキルマークや細部のデカール、筆塗で仕上げたキャノピーを乗っけて、すす汚れなどを表現して完成です。




いかがでしょうか。制作期間は工数的には2週間ぐらいでしょうが、スケジュール的には3か月かかってしまいました。




現在は以前作成したF4Uコルセアと共に、1945年の米海軍主力機を書斎の飾り棚に置きました。

次回は当面最後の外国機かつ現用機ですが、勝手がわからず苦戦中です。とうとうエアブラシを購入せざるを得ないかもしれません。それはそれで楽しみですが、時間をどうやってひねり出すかが最大の課題です。


2017年7月25日火曜日

サラリーマン生活を終えて

少し間が空いてしまったが、2017年6月30日をもって会社員生活に終止符を打ち、小さなコンサルティング会社を立ち上げて独立開業した。その選択が正しいのか誤りなのかはわからないが、二十代の終わりのころから考えていた独立を十年かけて実現にこぎつけたということになる。ひとえに家族、友人、職場の仲間、お客様のお陰であり、陳腐な言葉かもしれないが、赤心より感謝しかない。ありがとうございました。

私事を書き連ねるのはあまりよい趣味ではないが、少し会社員生活を振り返ってみたい。後進の若者の何かの参考に、或いは自己紹介になれば幸甚である。

私は1999年3月に大学を卒業したので、見事に「ロストジェネレーション」の世代であり、就職活動は厳しいものであった。とはいえその渦中にいた時は、景気の良い状況をしらないのであまり大変だとは感じていなかったが。150社ほど資料請求してエントリーシートを書き、30社ほど訪問と面接を繰り返してどうにか一社の内定を得て、大手百貨店の情報システム子会社に入社した。当時は事業会社が情報システム子会社を設立するのが流行しており、商用インターネットの黎明期ということもあって私のような「パソコンに触ったこともない」という学生でも受け入れてくれたのかもしれない。

右も左もわからないので、唯一イメージができる営業部門を希望したが、人手不足の開発部門に配属となり、とりあえず初心者プログラマとして会社員生活をスタートした。しかしすぐにプログラミングという作業がどうにも好きになれないことに気が付き、お客様との折衝や仕様の落とし込みの方が得意となって、わりと早い時期からプロジェクトリーダやプロジェクトマネジャを経験させてもらった。周囲にはプログラマ志望が多かったので、客先に出向いたり、折衝したり、見積や収支計算をすることに対して積極的な人がいなかっただけであって、私が優秀だった訳ではない。

社会人4年目の頃、「報酬は入社後、平行線で~♪」という椎名林檎の「丸の内サディスティック」を聴きながら人並みに、自分の商品価値はどの程度なのだろうか?と疑問を持ち始めた。仕事を一通り覚えた二十代後半の若者がよく陥る考えだが「勝負に出たい!」と思い始めたわけだ。事業会社の情報システム子会社というのは、基本的に事業会社とそのグループ内の情報システムを担う。それゆえに、グループの外については、転職した先輩社員やものの本からしか情報を得ることができない。ちょうど小泉旋風が吹き荒れ、弱肉強食の新自由主義が「正しい」と思われていた頃、自分も見事に「新自由主義者」として、弱肉強食の世界に出たいと考えたわけだ。また、酒飲みだったので給料を上げないとカードの引き落としが回らないという恥ずかしい理由もあった。

「力を試せて高給な職種は?」というなかなか若気の至りな理由で転職支援の会社へ相談すると、コンサルティング会社という選択肢を提示された。「コンサルティング会社で5-6年頑張り、事業会社へ情報システムの部長職へ転職、もしくは独立開業」というアイデアに夢中になり、社会人6年目の頃、米国資本のコンサルティング会社へ転職した。

そこは’UP OR OUT’(昇進かクビか)の文化のある典型的なコンサルティング会社で、製造・流通業を担当する部署に配属されると、早速現場に投入された。ここに転職して驚いたのは、言葉を選ばずに言えば「バカ」がいないということである。考えてみれば当たり前で「使えない」と思われれば即座に実質解雇になるのである。周囲の成長(特に理解力と知識の吸収率)と体力に圧倒され、ついていくのが精一杯という状況であった。例えば明日中国工場に出張して工場長にインタビューするのに、こちらは工場について何もしらないのだ。仕方がないから本を何冊も買い込んで、徹夜で読み込み、飛行機の機内でも読み込み、大慌てで資料を作ってインタビューに臨む、などということが常態である。気が付けば一般論だけならクライアントに負けないだけの知識(だけ)は身についていた。

しかし、そんな生活はそう長く続けることはできず、3年目に体調を崩したことと結婚を機に事業会社へ転職することにした。コンサルティング会社での3年間は地獄でもあったが、多くの知己を得たことと世界が広がる契機となった。その意味では大きなターニングポイントであった。

転職相談に行った転職支援企業(実は最初の転職と同じ会社)より、「それならウチにくれば?」とお誘いを受けたので、ちょうどベンチャーを脱したばかりのその会社にお世話になることにした。このころから「コンサルタントを軸として生きていこう」という考えが定まったので、様々な業界の状況を知り、人脈を広げるという(浅はかな)魂胆もあって、「転職志望者を企業へ紹介する営業」として配属の部署で仕事を始めた。

ここは何しろ若い人が多く、上司でさえ年下であり、若者を支援しつつ営業活動をするという毎日で、急成長した企業の御多分にもれず、早朝から深夜まで働きまくるという文化であった。その環境自体はコンサルティング会社で慣れていたのでどうということはなかったが、時あたかもリーマンショックの年で、一気に不況となった際の経営陣の対応が目に余ったので「申し訳ない」という思いを残しつつ、やはりお誘いを受けていた当時の営業先の製造業の会社へ移った。製造業といってもいくつかの事業部を抱えており、製造業向けのパッケージシステムを製造販売している部署であったので、何かの役に立つだろうという確信ともう少し事業会社について知っておこうという考えからオファーを受けることにした。

給料はさほど高くはなかったが、本業のエアコン事業が絶好調であるため、雇用に関する不安等はなく、ともかく製造業の企画・設計・生産準備・品質管理の業務を吸収し、2年間の営業を経て、コンサルティングサービスを立ち上げ、いくつかの会社にコンサルティングを実質一人で提供する機会や、社内のグローバルプロジェクトを手掛けたり、新製品を立ち上げる機会など、8年半にわたり、非常に充実したものとなった。もちろん楽しいだけではなかったし、腐ったりもしたが、ともかく様々な知己を得、終わってみれば感謝である。

結果的にIT・業務・経営のコンサルタントとして独立までようやくこぎつけることができた。それが成功なのか失敗なのかは全くわからないが、少なくとも思い描いたことが実現できたということになるだろう。最初のクライアントにもスムーズに恵まれ、とりあえずよちよち歩きながら、会社をスタートさせることができた。最後の決断には家族や住宅ローンなどもあるので、それなりの勇気が必要だった。しかし妻をはじめとした周囲の理解、これまでご縁のあった方の手助けなどのおかげで、とにもかくにも船出をすることができた。

振り返ると、ひたすらここまでは人に恵まれたというのが実感である。「お陰様」という言葉があるが、この意味をかなり実感を持って噛みしめている。これまでの社会人生活で出会った人々、学生時代の仲間、直接しらなくともWEB経由で知り合った人々、そしてなんといっても家族、とりわけ妻の理解がなければなにもできなかっただろう。


従業員ではなくなり一人になってみたほうが人のありがたさが実感できる。逆説的だがそういうものなのかもしれない。皆様、感謝です。引き続きよろしくお願いします。

2017年6月13日火曜日

語り部たちへの反論(シリーズ:何を反省するのか?)

池田信夫氏主催のサイトであるアゴラで「戦争体験者の私が、いまの政治家に申し上げたいこと --- 釜堀 董子」という一文を読んだ。私の父の年代である戦中派(1937年生)の著者が自らの実体験をベースに現政権や「右傾化」する比較的若い世代を批判する内容である。戦中派の語り部が行う議論のある種の典型であったので、チェックしておきたいと思う。というのは、その実体験に対してどうしても「遠慮」が発生してしまい、それ自体が異論を許さないという議論の拒否や思考停止を生むと考えるからだ。正直なところ私もこの「遠慮」から自由でないし、若干己の中の抵抗を感じながら書いている。しかし、議論の拒否は不毛なのであえて反論したい。もちろん釜堀氏は面識もないし、その御年でウェブメディアに寄稿されていることには敬意を表する。個人的な悪意があるものではないことをお断りしておく。


『1937年生まれの私は、12月に80歳を迎える。実体験は少ないが、まわりから教わった戦争体験を、しっかりと伝えることが必要ではないかと感じている。』

このような書出しから始まる。読者はここで「戦争体験者」と思う。そして「戦争反対」「九条守れ」という議論が展開されることを容易に予想してしまう。そして案の定、記憶が定かでないとエクスキューズを入れつつ、出征兵士が「万歳」の声に見送られながら目に涙をためていて「本当はみんな行きたくない」と当たり前のことを説明する。冷血漢の汚名を恐れずに指摘しよう。この著者が想定している読者は戦後生まれ、団塊の世代以降であろう。ウェブメディアへの寄稿がその証左であるし、戦中生まれと戦後直後生まれの世代がもつ共通認識(とこの著者が信じているもの)を持たない世代を想定している文章であるからだ。逆に言うと、「戦争を知っている」ということを根拠とした権威主義に基づいているとも言える。

さて、出征兵士が「本当はみんな行きたくない」のを60年代以降生まれ(取り合えずややこしいのでそう定義しておく)のわれわれが想像できないとでも思っているのだろうか。ちょっと調べれば「徴兵逃れ」などはある種の常識であったことは分かるし、どこの世界にリンチで有名な帝国陸海軍に徴兵されて、しかも死地に赴かざるを得ない事を歓迎する人がいるだろうか。出征兵士は行きたくないが義務として、男性に生まれたある種の宿命と思い定めて出征した人がほとんどだっただろう。もし、兵士は嬉々として戦地に赴いたと信じている人がいたら、左右を問わず正常な精神を持っているとは思えない。また我々の世代が「万歳」の中出征したのだからうれしかったはずと勘違いしていると思われているのであれば、「馬鹿にするのもほどほどに」していただきたい。「万歳」は建前に過ぎぬ。当たり前である。



1937年生まれということは1940年、1942年生まれの私の両親とほぼ同年代である。この世代の戦争経験とは「疎開」「外地からの引揚」「空襲」「機銃掃射」「原爆」「敗戦」「傷痍軍人」「占領」である。直接地獄の戦地に赴いたわけでもない。赴いたのはその親の世代である。そして幸運にも生きて内地に帰ってきた人々に戦争の話を聞いたはずである。著者は1945年には8歳、最終位置がどこかによるが、出征していた父がいれば再会したのはおそらく1945年から1947年であろう。するとそのとき彼女は8歳~11歳の少女だったはずである。そのかわいい盛りであり、感受性の強くなる思春期直前の娘に対して出征した父や元兵士の大人たちは難しいことや残酷なことを語っただろうか。語るわけがない。戦争のこと質問したって、黙したか、「戦争は悲惨だよ」以上の説明しかしなかったであろう。当たり前である。敗戦によって否定された自分たちの信念や大儀、そこに至るまでの政治的な経緯のような難しい話は子供には理解できない。ましてや占領され米国による国家改造が進む中で、余計な情報を、生きにくくなるような情報を子供に教えるわけがない。


『時は流れて、日本は終戦72年を迎えた。日本人でありながら世代間による戦争の考え方は大きく変わってきている。私の世代は「二度と戦争はすべきでない」と答えるだろう。しかし、若い世代は「日本は強くなるべきだ」「平和を守る一員になるべきだ」と答える。』

と嘆いてみせる。ほほう。「二度と戦争をすべきでない」と答えるのは1935年~1950年代に生まれた世代だけだろう。あるいはそれ以前に生まれていても銃後にいて安全と思い込んでいたのに、爆撃により殺されかけたり、家族が死んだりしたケースでかつ、あまり何も考えていない人だけである。少し言い過ぎかもしれぬ。「二度と」とは'NEVER'の意である。だから、この議論は「他国が攻めてこようが、無抵抗でされるがままにされるべきだ」という結論に当然に行き着く。そして、その結果としての隷属や陵辱、そして家族の死を甘んじて受けよということになる。はっきり申し上げて「何を言っているのだ」である。「戦争をすべきでない」。同意である。全力で戦争に突入することは回避すべきである。だが、他国が、具体的には中華人民共和国や北朝鮮が侵略してくれば、反撃する必要があるに決まっている。また、日本を守るためならば「他国の兵士(若者)」が血を流しても、自国は血を流さないということには言及しない。当たり前の反論に耐えられる程度の正当性すら持っていない。ただひたすら戦争は「悪」だと言い募っているだけである。はっきり言えば思考停止であり、議論の拒否である。


『私の子ども時代や若い頃は、戦争といえばそれだけで世論が沸騰した。戦場へ行った人たちが大勢いたからである。戦地にやらされ、九死に一生を得た彼らの感情は激しかった。一方日本国内は、空襲や原爆で廃墟になっていた。戦争の悪は日本人すべてが認識したといっても過言ではない。戦争につながるものは激しい批判にさらされた。

だから憲法9条も非武装中立も、さほどの違和感なく受け入れられたのである。民主主義も男女平等も新憲法も、天皇が神から人間になったのも、すべてが180度の転換だったが、すんなりと行われたのである。』

あえて言い切ろう。認識が間違っている。戦場で生き残った兵士が激しく反応したのは道義的な理由ではない。日本が近代戦を遂行する能力がない事を肌感覚で知ったからである。少なくとも「精神力が戦車を圧倒する」というような思考はまったく無力であることを知っており、ただ精神力を強調するだけの上層部が無能であることを、そして補給なき軍隊がどのような地獄を見るのかを彼らは知っていた。だから反対したのである。しかし戦中派や団塊世代はそうではない。道義的な理由から、あるいは「一部の軍国主義者」に責任を転嫁し、イノセントな自分でありたいがために批判したのだ。反対の理由が違うのである。おそらく忘れておいでだろうが、一緒になって「戦争反対」と叫んでいると、元兵士に「戦争に行っていないやつらに何が分かるか!」と怒られたり、殴られたりということが頻繁にあったであろう。理由は述べたとおりである。片方は「地獄を見た我々の記憶において日本国に近代戦を遂行する力はない。それがゆえに反対!俺たちがいた地獄に子供たちを送るな!」と言っているのである。しかし一方は「戦争は絶対悪だ、その戦争を遂行した戦前は悪だ!(そしてそれに反対している俺たち/私たちは善だ)」と言っているのだ。そして括弧内の思いを前者が認識すると怒られたわけだ。「俺たちをダシにしやがって」と。

今はもう、祖父母の世代はほぼいない。もはやそのように怒られることもなくなり、特権的に語れるようになった。

この後は内田樹を持ち出し、的外れな管理教育論を展開する。ここは、年寄りの耄碌として大目に見よう。
そして民主主義万歳論。敗戦によってもたらされた民主主義が日本はまだ自家薬籠中のものにしてないから右傾化し絶対平和主義が脅かされているというおなじみの展開がなされ、そして安倍政権が強いのは民主化が足りず、マスコミが忖度しているからだという雑な結論になる。しかしながら、民主主義と絶対平和主義は何の関係もない。民主主義はどちらかといえば戦争を生み出す。ファシズムの母体がワイマール憲法下の民主主義であったし、リベラルの皆さんが大嫌いな米国のトランプ大統領も民主主義で選ばれたわけである。もっとも中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国を民主主義と呼ぶなら、言葉の定義が違うので、これは議論にならない。民主主義というのは平和主義とは無関係である。民主主義は古代ギリシャの民主制を原型としており、これは「兵士として命をかける」ので「国政に参加する権利がある」というものである。従って、原理原則で言えば「民主主義=国民皆兵」である。民主主義が大好きな不勉強な向きには意外かもしれないが、そういうものである。もちろん原理原則の話で現在の高度な専門性を求められる軍隊や自衛隊では「国民皆兵」というわけにはいかない。

安倍政権が無駄に強いのではない。民主主義の原則が機能しているために、説得力のある対案が出せる、魅力的なコンセプトが出せる、あるいは人柄を含めてカリスマであるような有能な野党が存在しないだけである。絶対平和主義は単なる空想である。それこそ戦争を知る世代を名乗るならばそれを知っているはずであろう。それが分かっていながらこのような主張をするなら、たんなる欺瞞・偽善であり、分かっていないなら単なる馬鹿である。


以上、非常に心苦しい内容だが、こうした反論をだれかがする必要があるだろうと筆をとった次第。

2017年6月11日日曜日

Zero fighter. In other words, the glory of Japanese Navy

産経ニュースの「零戦」に関する配信記事が右寄りの新聞の割にかなり雑だった。雑というのは異論の多いことをあたかも定説のように書いており、さらに強調していることである。あまり興味のない一般人に広く紹介する記事にもかかわらずこの雑さはいただけない。「現用飴色」論争という、航空評論家でイラストレータの野原茂氏が言い出した「零戦の色」に関する「珍説・新説」に関する論争がある。端的に言ってマニアにしか用のない馬鹿馬鹿しい話なのだが、米国と違ってカラーフィルムの技術がなかった日本の機体は、文献と証言に頼るしかなく、このような水掛け論的な論争が始まる余地がある。野原氏の議論は矛盾と不備が多く、ある一つの文献に在ったという「わずかに飴色かかりたる灰色」を「飴色」と強弁してしまっている。普通「わずかに飴色かかりたる灰色」は「灰色」だろう。他の文献にも誤謬が多く、野原氏の説は信用できない。研究者や知見者はおよそ飴色に否定的、商業ベースは飴色に肯定的というのが現状である。

模型ファンにしか用がない話はこれくらいでやめよう。先日千葉県は幕張で開催されたRedBullエアレース2017を観戦してきた。初めて観戦したのだが、さすがはレシプロ機の最高峰レースの一つ、「空のF1」と呼ばれるだけのことはあって物凄く面白い。テレビ画面で見ていてもさほどではなかったが、クルマなど問題にならない高馬力、高回転のエンジン音が心地よく、アクロバティックなレースを観ていればの細かいレギュレーションの意味もわかる。なんと言ってもスケール感やスピード感を間近で観られる臨場感が素晴らしい。しかも結果は日本人レーサーである室屋義秀選手とチームファルケンが優勝した。

エアレースには空の祭典という位置づけもある。クルマやジェット機と違ってなかなか間近で観られる機会のないプロペラ機(レシプロ機)が高度20−50mを飛び回る祭典には、やはりレシプロ機の最盛期だった第二次世界大戦時代の機体が観たいものである。ジエットという技術革新のあと、レシプロの高性能機を作る意味は失われ、あの当時以上の飛行機はもう永久に現れない。今回のエアレースではブライトリング社が所有する、1940年製(!)のダグラスDC-3と、レストア(修復)された三菱 零式艦上戦闘機がデモフライトを行なった。世界中に4機しかない飛行可能なレストアされた零戦のうちの一機であり、熊本大震災の際にもくまモンのロゴをつけて飛んだ企業を含む有志「零戦里帰りプロジェクト」によるもので、戦後初の日本人パイロットによる国内飛行だった。映像ではロシア製の新造機を含め飛翔する零戦を何度も観ているが、この目で零戦のフライトを観たのは初めてだった。私が観た日は予選の日で、チェックのためかランディングギアを出したままの飛行だったが、夕暮れの中をゆっくりと脚を出したまま飛び去る零戦はあたかも「帰投(帰還の海軍用語)」のようであり、非常に感動的で、観客からも歓声が上がり、それぞれが手を振っていた。

さて、産経新聞の紹介があんまりなので、零戦について簡単に紹介したい。ただあまりにも有名な零戦については良質な専門書も山ほど出ているので、ちょっと聞いたことはあるけどというような人向けにごく簡単に書いてみたい。新聞よりはマシな紹介になるといいのだが。



零戦(ゼロセン•レイセンどっちで読んでもいい。どちらも戦時中から使われていた。)は帝国海軍航空隊が運用した戦闘機である。当時の日本は空軍がなく、陸軍と海軍がそれぞれ航空隊を持っていた。これは米国も同じである。1940年、即ち皇紀2600年に採用されたため、当時の命名規約に則って下の2桁00から「零式」となった。だから、一年前に採用された機体は99式である。正式名称は零式艦上戦闘機(この場合は「れいしきかんじょうせんとうき」)である。艦上というのは航空母艦(空母)で運用することができるということである。空母は案外小さいので、普通の飛行機は滑走路が短すぎて離着艦できない。だから、海軍というのは今でも専用の機体を運用しているものである。

戦闘機というのは敵の飛行機を叩き落とす(撃墜する)ための飛行機である。だから、高速かつ身軽でなければならない。さらに武装が強力なら申し分ない。相手よりも速く、すばしこく、武装が強力ならば圧倒的に有利である。しかし、これらの条件を同時に全て満たすのは難しい。なぜなら、速いということは素早いことと矛盾する。ちょっと考えるとわかるが、クルクルと素早く動き回るというのは旋回性能が良いということである。蝶はヒラヒラと飛ぶ。そして予測不能にクルクルと動き回るから、狙いが定めにくく鳥もあまり狙わないそうだ。なぜこんなことができるかというと、体の大きさの割に翼の面積が大きいからだ。だから非常に素早く、ヒラヒラと舞うことができる。だが翼の面積が大きいとトンボや蜂のように高速で飛ぶことはできない。スズメバチなどは体の割に翼が小さいが、蝶よりもはるかに高速で飛翔できる。だが蝶のようにヒラヒラと舞うことはできない。これが、速さと身軽さ(速度と旋回性能)の矛盾である。更に武装が強力という条件は重量を増すことにつながる。戦闘機の部品でエンジンを除けば武装(大抵は機関銃)がもっとも重い。銃というのは基本的に重ければ重いほど強力なので、強力な武装を積むと、明らかに身軽さに悪影響を及ぼす。エンジンの出力が小さければ速度も落ちる。

ところが、零戦という飛行機は、それを高いバランスで実現させてしまったのだ。1940年当時の基準では速度は一流(500km/h以上)、旋回性能は超一流、武装も当時の水準を抜いたものであり、さらに長時間かつ長距離飛べるという万能っぷりであった。言ってみれば、ボクシングも柔道も強く、短距離走も速く、マラソンも強いという訳のわからない戦闘機であった訳である。普通は「どれか」に優れているものだが、「全て」に優れているという途方も無いことである。当時は軍事大国ではあっても後進国、航空技術など西洋の猿真似(残念ながら1930年代前半までは当たっている)と思われていた日本がこのような万能戦闘機を生み出したことは画期的な出来事であった。戦争が始まっても、先に中国戦線で戦っていたアメリカ義勇軍からの「日本軍の戦闘機は超一流だ」という報告をアメリカ軍やイギリス軍は信じることができず、開戦からおよそ2年間はどちらも零戦に圧倒されてしまう。何しろ、味方のどの飛行機よりも速く、素早く、強力なのだ。敵うはずがない。ゼロというネーミングも手伝って、神秘的なレベルでアメリカやイギリスのパイロットに恐れられた。

これが大げさでないことは1941年の米海軍航空隊の訓示に現れている。「次の場合は戦闘を放棄して良い。1.雷雲に入った時 2.ゼロと遭遇した時」この訓示を聞いた時、誇り高いトップガン達はどれほどプライドが傷ついたことだろう。だが、黄色い猿が作って操縦しているはずの零戦にはどうしても歯が立たなかった。例えば強力な武装を例に挙げてみよう。今日のジェット戦闘機にはミサイル以外に機関銃も付いている。機関銃は進化したバルカン砲だが、最新鋭かつ最強と呼ばれるアメリカのF-22ラプターの機銃の口径は20mm(直径2cmの弾丸が打ち出されるということ)である。では零戦はといえば、なんと同じく口径20mmである。つまり、戦闘機としては時代を先取った最強に近い武装である。当時のアメリカの機銃はほとんど7.7mmから12.7mm。これに加えて一流の速度と、そしてこれは大戦末期まで揺るがなかった素早さ(旋回性能の高さ=格闘戦の強さ)が加わり、初期の頃のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は一説には50:3(零戦が50機撃墜する間に3機しか墜とされない)ということもあったそうだ。

だが、非常識なまでに高性能な戦闘機には、非常識な弱点がある。アリューシャン列島で不時着した零戦を徹底的に調べ上げた米軍は弱点を見つけた。速く、素早く、パンチ力がある戦闘機を実現するために設計者の堀越二郎技師のとった方法は徹底的な軽量化だった。骨格に当たる桁にも軽量化のために孔を穿ち、操縦席のシートさえ穴だらけである。増してや防弾板など以ての外。そしてそのため、比較的脆弱であり急降下速度も遅く、高速時のカジの効きも悪い。ほんの些細な弱点かもしれないが、そこをつかねば勝てないし、アメリカのパイロット達は日本のパイロットよりも高い柔軟性があった。それ以降、対零戦の戦法を確立し少しづつ、しかし確実にキルレシオを逆転させていった。

また、防弾装備がないということは撃たれても墜とされてもパイロットは死ぬということだ。優秀なパイロットが次々と戦死し、石油と国力の乏しい日本はジリ貧となっていく。アメリカは零戦を凌駕する高性能な戦闘機を次々に送り込み、また豊富な石油資源を背景に十分に訓練された新人パイロットを補充する。資源も基礎工業力も乏しい日本は、敗戦まで零戦に頼るしかなく、最後はまっすぐ飛べるだけの新人パイロットが零戦に乗って特攻するということになった。それは日本海軍の栄光と没落そのものだったろうと私は考える。


ざっくりと零戦に付いて書いてみた。この程度のことは新聞ならば書いて欲しい。何色だったかなど瑣末な話である。エアレースで飛んだ零戦は22型という形式である。零戦とそのパイロットがもっとも脂ののった時期、ニューブリテン島のラバウルでアメリカ軍と激戦を繰り広げていた頃のものだ。そんなことを考えながら幕張の空を思い出している。

2017年6月8日木曜日

光の暴走

19世紀末の西欧世界(イギリス・フランス・ドイツ・ベルギー)において、象徴主義というダークな世界観を特徴とした芸術が成立した。絵画ならモローやクリムト、ワッツ、ムンクなど。文学なら「悪の華」のボードレールを嚆矢として、マラルメ、プルースト、ランボーなどだ。彼らは天使より悪魔を、ユートピアよりディストピアを、幸福より不安を、理論より神秘を表現した芸術家たちだった。世紀末象徴主義と呼ばれ、キリスト教暦の100年期(世紀)末の不安による退廃的なムードを反映した芸術と一般的には乱暴に思われている芸術運動である。


1000年期末(ミレニアム)をお祭り騒ぎの中で終え、今は新しい1000年期と世紀がスタートした直後である。だが、大雑把に言えばグローバリズムの失敗が明らかになりつつある今、少しずつだが確実に洋の東西を問わず、不安が広がっているのは間違いない。
19世紀末の象徴主義(ちなみに、この時代の絵画は好きだ。ムンクの『思春期』など大傑作だと思っている。)は果たしてキリスト教的な、あるいは信仰が失われていくなかの嘆きだったのだろうか。私は違うと思う。これは「産業革命」というテクノロジと経済がすべてを覆うことへのカウンターであり、人の精神の営みを含めて、テクノロジーによってあらゆる闇(即ち無知蒙昧さ)を駆逐されると知識人でない普通の人々までが予感したことへのカウンターだっただろう。つまり啓蒙主義へのアンチテーゼでもあった。

電気の普及はこれからだったが、ガス灯(ディズニーシーへいけば、当時のニューヨークの雰囲気が再現されている)はあり、闇が駆逐されてきた時代、とりあえず芸術家というセンサーの鋭い人々はこれを「光の暴走」と捉えたのではなかったか。その産業革命という光は芸術という「心的な領域」さえも脅かすほど煌々と闇を照らしたがゆえに、それを恐れた芸術家たちは闇を濃く表現しようとした、それが象徴主義であったように思う。


「陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転ずる」という考え方が陰陽五行の思想にある。正しいかどうかは知らぬ。ただ、19世紀半ばは18世紀から続く産業革命の光(陽)が極まった時代であったように思う。そして太極図の反転した小さな円のように生じた陰、それは人々の不安であり、恐れであったとすれば、それに形を与えたのが象徴主義であった。エドワルド・ムンクの『思春期』を見よ。これほどまでに「不安」をキャンバスに表現した絵があるだろうか。「怖い絵」と言われるのもむべなるかな。なぜならそれは「不安」の具現をみているからだ。


その昔、ファイナルファンタジー3というコンピュータゲームを遊んでいた。有名なので説明不要だろうが、ざっくりいうと「闇が暴走して、世界が無に帰そうとしている時に光の戦士に選ばれた少年が世界を救う」というプロットである。こうしたRPGはさまざまな神話や伝説、小説などを下敷き(元ネタ)にしているので、なかなか馬鹿にできない。そのゲームのラスト近くで、こんな話が出てくる。「かつて光が暴走したときに、闇の戦士が世界を救った」という。どちらにせよ、ゾロアスター教的な二元論を下敷き(敵のモンスターに「アーリマン」も出てくる。アーリマンとはゾロアスター教における悪の権化である。)にして、光と闇のバランスをとることが、世界を安定させるという観点で物語が組まれている。


18世紀から19世紀に「産業革命」により光が暴走し、19世紀末から20世紀半ばにはそのカウンターとして「二つの大戦」という闇が暴走した。このとき「アーリマンの帝国」として日本とドイツは断罪され(イタリアは?)、冷戦という「明るすぎず暗すぎない」という時代が過ぎた。20世紀末には「新たな悪(アーリマン)の帝国」ソヴィエト連邦が崩壊し、正義(光)の勝利となり、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり?」を書いた。しかし、私の見るところまた、光が暴走している。

具体的には150年前の「産業革命」にあたるものは明らかに「情報革命」であろう。1970年代から80年代はテクノロジーの一分野に過ぎなかったが、1990年代に入ってから急速に発達し、2017年現在は大量データと人工知能(BiG Data、IoT、AI)を先頭として異常発達を続けており、「将来なくなる職業」などがよく特集され、ビル・ゲイツでさえ「AIが人の仕事を奪うならAIに課税すべきだ」と言い出す状況である。なんというかテクノロジは「今度こそ生命の神秘である精神も征服できる」と意気込んでいるようだ。

さらに「共産主義」に勝利した「資本主義」は「新自由主義=グローバリズム」へ発達し、情報革命とも連動しながら、瞬く間にカネを中心に世界を席巻してしまった。もやは情報とモノとカネはインターネットの中で自由に行き来し、佐伯啓思のいうシンボリックアナリストがそれを使って巨大な格差を生み出すにいたっている。

これは光の暴走である。商売とはいえ「テクノロジがすべてを解決できる」「AIが人を駆逐する」という言説を堂々とする企業経営者やマスメディアは多い。端的にいって高い確率で思い上がりである。まともな知性の持ち主ならそれはわかっているだろうが、「マス」あるいは「畜群」たる多くの人々は真に受けているだろう。その状況それ自体が「光の暴走」である。光が暴走するとなにが起こるか、「陽極まれば陰に転じ」るのである。闇が深くなるのである。闇が深くなれば、またぞろアーリマンが活動するのである。

エドワード・ルトワックという戦略論の大家は「パラドキシカル・ロジック」という言葉を使う。「逆説的論理」と言うわけだ。それは世の中は相互作用の世界であるがために、「強くあろうと強気に軍備を拡張すると、周囲の警戒を招いて、結果として相対的に弱くなる」というものだ。ルトワックによれば大国というのは小国に勝つことはできないそうである。それはパラドキシカル・ロジックが働くからだと言うわけだ。逆に小国は大国に勝つことができる。日露戦争がその典型であるとのこと。

話がそれたが世の中は私の見るところ、相互作用で動いており、善悪理非とは無関係に「バランス」の中で動いている。今は光が暴走している。必ずそれは闇の増幅をもたらすだろう。いや、頻発するテロ、解決しない失業問題、実感なき景気回復などすでに増幅を始めているように思える。スターウォーズのような映画ではないから、止めようがない。したがって覚悟するしか仕方がないのだが、芸術家たちが象徴主義のようなものを表現し始めたら、それはアーリマンの警告かもしれない。文学や絵画はもはや往年の力がないが、それはどこかですでに始まっているだろう。




2017年5月10日水曜日

フェイク・コンスティテューション

■帝国憲法と日本国憲法
日本国憲法の改正を政治日程に乗せることを安倍首相が発表した。「9条1項・2項を保持した上での3項の追加」という原理原則から言えば矛盾のある内容ではあるが、まずは明言したことを是としたい。

大日本帝国憲法も日本国憲法もそれぞれの歴史的状況から制定(後者は「制定」とは言いかねるが)された。大日本帝国憲法(以下、帝国憲法)はむき出しの帝国主義時代に「喰われるよりも喰う側の列強」として認められるためと、身分制度が崩壊した故に兵役に参加することとなった臣民(日本国民)の権利意識への対応のためという二点から制定された。参照したのはプロイセンの憲法だが、ベルリン大学の学者より「憲法はその国の歴史・伝統・文化に立脚したものでなければならないから、いやしくも一国の憲法を制定しようというからには、まず、その国の歴史を勉強せよ」とのアドバイスを受け、明治22年、立憲君主制の近代憲法として発布された。


近頃はよく知られはじめたが、 日本国憲法は1946年にダグラス・マッカーサーにより「マッカーサー草案」として下書きされ、GHQ(アメリカ)の意向により日本側の自主的な改正という体裁をとって昭和22年に発布された。江藤淳の研究に詳しいが、日本国憲法が訳文調なのはこのためである。敢えて断言するが、日本国憲法は敗戦と軍事占領を背景としており、米国を中心したUN(連合国・国連)の懲罰として主権の一部を恒久的に停止することを目的とした憲法である。敗戦直後の日本政府にせいぜいできたことは 'We, Japanese people...' を「我々、日本人民(people)」と訳さず、「我々、日本国民」と訳したくらいである。人民という言葉遣いは共和主義・共産主義の言葉遣いである。
ついでに記すと、国民は英語ではnationである。また立憲君主国の場合は臣民であり、これは英語ではsubjectである。

何にせよ「日本」という国を永続的敗戦国という位置に置くことが日本国憲法の主眼であったことは間違いない。また当時のマッカーサーが持っていた無邪気な理想主義を実現し、日本における「キリスト」となるという願望が反映されているかも知れぬ。なお、この手の理想主義の元祖はウッドロー・ウィルソン米国大統領であり、彼自身も人生の後半は「キリスト」として振舞った。そして後年マッカーサーが「日本の戦争は自衛であった」と認めるに至ったように、国際連盟を創設するも米国は参加できず、国際連盟憲章に人種差別の禁止を日本が提案するとそれを却下するなど、理想主義者でありながら、ご都合主義者で合ったことも共通している。

話を戻そう。その後日本国憲法は70年以上も改正されずに生き残り、おかしな表現だが一定の「伝統」を保持するに至った。帝国憲法と同様に「不磨の大典」とされたのである。前者は明治帝を後者は米国を権威として。

■権威と権力の分立の伝統
なぜ、不磨の大典化するのだろうか。ベルリン大学教授のアドバイスに従って、我が国の歴史から考えてみる。
我が国は極めて珍しいことに「権威と権力の分離」がある種の伝統となっている。「政教分離」もこの伝統に従って、欧州よりもずっと容易かつ早期になされた。

まず「権威と権力の分離」だが、これは平安時代に藤原家の権力の簒奪から始まり、鎌倉時代に公家(貴族)から権力が武家に移行しても、権威は天皇家・権力は世俗政権という形が我が国の伝統になった。この形式は現在でも続いているので1000年程度の歴史があることになる。「権威と権力の分離」が確立すると同時に所謂「律令制」は崩壊し、権威側に属する「律令」それ自体は手をつけることなく、(それとは無関係に)権力側からの民法・刑法・軍法の一種である「式目(御成敗式目)」が鎌倉幕府の手により制定され、権威とは無関係に運用された。これは武家のみを対象としていたが、鎌倉幕府崩壊以降も有効でありつづけ江戸幕府の制定した武家諸法度もその上に一部改定の上で足されたにすぎない。民間(農工商)は不成文の慣習法であり、こちらも時代とともに修正され続けた。
その意味で英国式の慣習法の積み重ねとして実際の法律は機能し、権威者が制定した憲法(律令)は棚上げにされているというのが我が国の伝統的な図式と言えるかも知れない。

そうだとすると、現行憲法の運用は実に日本的伝統に適っているとも言える。権威者(ダグラス・マッカーサー元帥)が制定した憲法はとりあえず棚上げにしておいて、現実は権力者(自民党)が適宜やって行きましょうという図式である。実際、律令それ自体が(郡県制や王土主義など)全く機能していなくとも、象徴的に明治維新まで続いて(太政官制など)も誰も困らないというのが日本の伝統的行き方なわけである。

■日本国憲法の出自のいかがわしさ
しかし「伝統に沿っているから現状の姿でいいではないか」とはならない。理由は二つある。まず近代国家としてのコンスティテューション(国体・憲法・国の在り方)を諸外国に認めてもらうことから、近代日本は出発しているため、どのような原理原則の国なのかをある程度明示しなくては諸外国に誤解を与えることになる。英国のようにいち早く近代国家となり、覇権国家となった国ならば、その歴史が憲法(コンスティテューション)の代替になる。故に英国には成文憲法はない。
しかし日本はそのような国ではなく近代国家としては後発国である。明治期に近代国家としての承認のためにコンスティテューションを明示し、それを運用するしてみせる必要があった国である。それ故に成文憲法は諸外国へのアピールとして必要であるし、その原理原則と行動が異なると(憲法9条1項・2項と自衛隊の存在など)諸外国からは不信感をもたれるであろう。芦田修正などの微妙な話は外国には通じるはずがないし、ある種の詐術である(仕方なかった面はあるが)。極端に言うと「民主主義人民共和国」と名乗っていながら、民主主義でもなければ、共和国でもないというような国家と同類に見られてしまう。


二つ目は「米国という権威者に保証されている国」という日本と日本人を思考停止に追いやる元凶であることである。江藤淳はこれを「ごっこの世界」と呼んだが、まさにそのとおりである。日本国憲法は「戦争に負けたから戦争が(米国によって)禁止された国」であるという準主権国家、言葉を選ばずに言えば「米国の属国」であることに疑問を抱かせないためのシステムの一部である。我が国は1945年から1952年の7年間、米国の軍事占領下にあった。所謂、オキュパイド・ジャパンだ。
国際法上軍事占領下にあり、主権が停止されている国で「憲法改正」などできるはずはない。改正したとしても、それは占領している国の強制以外の何者でもありはしない。従って押付けられた憲法どころか「偽憲法」である。ちょうどヴィシー政権下のフランス憲法のようなものだ。だからこそ自民党の党是に「自主憲法制定」というものがあるのである。あくまでも占領政策の一環としての「憲法改正」であり、私の見解では法的には無効である。

だが、米国を権威者として成立してしまった日本国憲法を頂いて70年も経過してしまい、病巣は日本人の血肉化してしまったように見える。だが、病巣は病巣である。米国という庇護者の下の「ごっこ遊びの世界」から抜け出して、自分の運命を自分で決める大人の当たり前の国に私はしたいと思う。社畜だブラック企業だというような、自己決定ができず上位者に唯々諾々と従うスタンスの大元が実はこの「日本国憲法」にあるのではないかとさえおもう。もはや独立してやって行けるだけの経験とスキルを持ったサラリーマンが「いつかは独立」と言いながら定年を迎えてしまうようなことになってほしくはないし、なりたくもない。


まずは「不磨の大典」化した「偽憲法(フェイク・コンスティテューション)」をまずは1行でも変えることに集中すべきであろう。米国という宗主国の権威を否定し、まともな国にするための第一歩である。

2017年5月1日月曜日

生命の法則

'In Italy for 30 years under the Borgias they had warfare, terror, murder, and bloodshed, but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci, and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love - they had 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock.  'The Third Man'

「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」(第三の男)

男性の原型はなんだろうか。勿論、女性である。女性を原型にして突然変異のなかで男性が造られたのである。その証拠に乳首もあれば(無用である)、睾丸には溶接したようなラインがある。ペニスだってクリトリスの発達型に過ぎない。私の妄想ではない。生物学的にそうなのだ。ある種の魚(タイの類など)では、すべて雌として生まれるが、環境が悪くなると、そのうち最大・最強の雌が「性転換」するそうである(無論逆パターンの例外はある)。要するに環境への変化への対応として、雄、すなわち男性が出てくるに過ぎない。その意味で、少なくとも人類の男性は生物学的には「手段」に過ぎない。



男性の原型が女性だとして、人間の男性のそもそもの社会的役割(生物学的には自明だ)はなんだろうか。男性は平均的に女性よりも三割程度筋肉量があるそうだ。そんな医学的な知見を持ち出さなくとも、一般に女性より腕力とスピードに優れ、背が高く、空間認識力に優れる(それ以外はたいてい女性の方が能力的に上)。判りきっていることだが、これは「狩人」「戦士」に向く身体的特長である。要するにそもそもは「女性と子供」を養い、守るというのがその社会的な役割の原型である。少なくとも100万年の人類史の9割ぐらいをこの役割でまかなってきたはずであり、我々自身はその環境へ適用した生物学的特徴を未だに残している。

最近知ったのだがマーチン・ファン・クレフェルトというオランダ生まれのイスラエルの学者がいる。歴史学や地政学、戦略論の泰斗なのだが、彼の言葉に「生命の法則」というものがあるそうだ。それはシンプルな法則である。「男は戦い、女は戦士を愛する。それが守られない国家は衰退する。」というものである。この場合の衰退とは「少子化」のことである。この戦士の法則をないがしろにする国は端的に少子化が進むそうだ。クレフェルトによれば生命の法則を忌避する国の文化には特徴がある。それは「戦争の忌避」「性的マイノリティの擁護」「フェミニズムの台頭」「銃規制」「移民の受け入れ」だそうである。これだけ読めば暴論のように読めるし、「リベラル」への攻撃としか見えないかもしれない。

しかしどうやらこれは高い蓋然性で科学的に正しそうである。古代国家であれ現代国家であれ、その活力のソースは「生命としての基本」に立脚している。柔弱になった国家はアテネであれ、ローマであれ、であれ、徳川体制であれ衰退し滅んでいる。倫理善悪は一旦置けば「その地域や国家の文化として暴力を忌避し始めることは生命力の衰退のサイン」であることは間違いがないようだ。

これはなかなか厳しい指摘である。少なくともわが国における戦後世代の教育や倫理観を真っ向から否定するものだからだ。政治学の観点は大別すると3つある。「リアリズム」「リベラリズム」「コントラクティヴィズム」がそれである。我々は「リベラリズム」の観点に基づいた教育をこれまで受けてきている。「リベラルな価値観、自由市場、国際制度機関の拡大によって国家間の協力関係が増加する」というような価値観である。その奇妙な理想主義は勿論米国によってもたらされたものであるが、GHQによる情報統制とは別に、総力戦の敗戦後という価値観の混乱との相乗効果もあり、日本という国家の表向きのドグマとなった。

そして日本とは異なる経緯と事情により、西欧諸国や米国で時折盛り上がるムーブメントとしてのフェミニズムやマイノリティ開放、近くはヘイトスピーチの禁止などの影響を受けつつ、また戦前の贖罪意識、或いは勝ち馬に乗る事大主義を本音とした偽善の横行により、リベラル的な主張こそ正しいというような正当性を持つに至った。

さらに、冷戦の崩壊による「歴史の終わり?」的自由主義陣営の勝利による永久平和の達成という壮大な勘違いや、グローバリズムという地域や多様性をその基礎としながらも、結果的に一色に染めるという特殊な擬似全体主義の横行により、リベラリズムはその力を増して行った。しかし、その極点でBrexitやトランプ大統領が登場した。正確に言えば「リベラル・グローバリズム」は「仮面をかぶった帝国主義(Disguised Imperialism)」に他ならないというのが目下の私の結論である。それを主導してきた米・英が自家中毒に陥ってそれに耐えられなくなったというのが現在起きていることの意味ではなかろうか。

米ソ対立が終焉し、ちょっとした平和の宴の後、明らかになったのは「文明の衝突」というむき出しの帝国主義であり、しかもかつて文明国同士で取り決めた「戦のルール」など一切守らないテロリストや「超限戦」を標榜するクレイジーな大国の台頭である。要するにリベラリズムは失敗したのである。「コントラクティヴィズム 」はその失敗に対するリベラル陣営からの楽観的な言い訳に過ぎないと私は思う。

さて、そうであれば結論は簡単である。我々の教育のベースにあった「リベラリズム」は誤りである。つまり教育そのものが失敗だったのである。若い世代は既に気がついており、マスメディアが流す旧態依然としたリベラリズムや学校教育でのリベラリズムをほとんど信じていない。2016年の都知事選で明らかになったように「リベラリズム」という「ドリーマー」はもはや無効なのである。すると立脚すべき観点は「リアリズム」しかない。

リアリズムは要するに「利己主義的国家が権力と安全保障をめぐって常に競い合う」ことを自明のこととして受け入れ、その中で「不肖の器」たる兵を簡単に動かすことなく、パワーバランスをとって行く「苦しく厳しい」ものである。だが、現実が適者生存のダーウィニズムの理論で動いている以上、ここから目を背けること自体が単なる逃避であり、グローバル・リベラリズムとは壮大な偽善だったのだろう。

利己的な遺伝子の乗り物(ドーキンス)でしかない我々の本性は競争、つまり競い、争うことである。そして活力のある国家とは結局のところ「野蛮である」ものである。野蛮な活力のある相手に対応しながら生き残る戦略はこちらも「狡猾かつ野蛮」であることしかない。それは生物学的には男性の役割である。リベラリズムの失敗が明らかになった今、リアリズムに基づいた「狡猾な野蛮」さが我が国、或いは文明世界を守るために必要な構えであろう。

誤解を避けるために最後に記すが、戦前の無謀な帝国主義日本を復活せよとか、戦争せよとか主張している訳ではない。そうではなくて、野蛮であることを忘れ、戦士たることを忌避する文明・国家は衰退すると言っているだけである。日本は日本の生存と世界の平和のために「狡猾な野蛮」さを身に着けろということである。それは決して「(日本を)取り戻せ」ではない。あたかも戦国期から徳川初期の武士のように真摯かつ知的、そして平和的でありつつも常に帯刀し、稽古を怠らないスタンスを身に付けよという意味である。

また、女性の社会進出を否定するものでもない。ただ、男性並に働きたくはなく、育児や家庭に重きを置いたり、専念したい女性にはそうするだけの仕組みを用意すべきと思うだけだ。男性並みに働いて、男性以上に所得を得、或いは国家を指導する女性は尊重されるべきだし、それは男女は関係ない。だからと言って、パートや専業主婦を侮蔑する理由にはなるまい。そうではなくて国家全体として「生命の法則」に逆らうと衰退するという厳然たる事実があるということである。


「世の中が不穏であることから逃避する」これは最悪の選択肢である。皆忘れているが、「座して死を待つ」以外の何物でもない。

2017年4月28日金曜日

建前論の行き着く先、或いは地獄の敷石

この世は矛盾に満ちている。矛盾というより逆説(パラドクス)と言うべきだろうか。成長途上の子供や若者ならばともかく、普通の大人は「建前は建前」であることを知っているものだ。それほど自覚的でなくとも、特に「正義」の衣を纏った建前には「ああ、反論させたくないということだな」と解釈できるのが普通の大人である。

ところが世の中にはこの建前というものを本気で信じてしまう人が存在する。それには色々な理由があるだろう。生まれつき宗教家の素養があったり、己や世界を客観視できるほどの知性がなかったり、ある種の教条主義的な家庭で育ち、精神的親離れができなかったり等々。しかしそのような人々は少数派だろう。いずれも「滅多にいない」レベルの少数派である。

それにしては建前を本気で信じてしまう人が世の中に多い。何の話をしているかと言えば、ポリティカル・コレクトネスの話である。近頃はPCやポリコレという略称で日本でも定着してきた。このポリティカル・コレクトネスの本家である欧州や米国では逆差別問題や反グローバリズムが目立つなかで、むしろそのピークを過ぎている。しかし「欧米の後追い」が大好きな日本においては周回遅れで流行する可能性がある。



すでにある程度「スチュワーデス」⇒「キャビンアテンダント」「保母⇒保育士」などのフェミニズムの文脈で日本も影響を受けている。しかし行き過ぎると息苦しい社会になるのでそんなものが定着してほしくはない。只でさえ「敗戦+日本国憲法」を核とした「戦後民主主義・戦前絶対否定主義」という日本流ポリティカル・コレクトネスの横行が弱まったのに、欧米流のそれが日本に流入すると善意の地獄のようなものが現出するかもしれない。

さて、ポリティカル・コレクトネスの定義だが「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと」(Wikipedia)だそうである。
これだけ読めばまことに結構なことなのだが、普通に考えてこんなものは「イデア界」にしか存在しない。或いは最後の審判の後の神の国にしかあるまい。神ならぬ身で、一体誰が「公正・公平・中立」を保証するというのか。

ポリティカル・コレクトネス は1980年代の米国から始まった奇妙なムーブメントなのだが、それが世界に広まりつつあるのがおかしなことである。別段どこの国でもその国の暗い過去の歴史に起因するタブーは存在する。そのタブーに触れない、或いは克服する努力はあるし、それがそれぞれの国のポリティカル・コレクトネスである。だからそれぞれの国と地域に限定しておけばいいものを、米国人は世界化したがり、西欧人は欧州全体に押し広げようとする。

大体においてポリティカル・コレクトネスが叫ばれる領域は「人種」「宗教」「性別」「文化」である。端的に言って主にキリスト教が基盤となったとした白人社会の話である。結論を申せば「白人がこれまで犯してきた罪の意識への救済として、贖罪のために善意を押付けている」というだけである。もはや「神は死んだ」現代では、人間理性を神の代わりに置くしかないのであろう。(それがどれほど恐ろしい現実を招来するか、フランス革命で学んだはずなのだが。)

米国は先代の大統領が黒人だったが、建国以来の長い黒人差別(正確には黄色人種である先住民を含む有色人種への差別)の歴史がある。それがあまりにも身近であり、また1945年以降の人種平等的イデオロギーの世界的伝播、キング牧師やマルコムX、或いはブラックパンサーなども含む非暴力或いは暴力的な黒人解放運動(公民権運動)の努力と闘争の結果、少なくとも表立っての差別は「悪いこと」というものが定着した。また、キリスト教的(ピューリタン的というべきか)な発想から女性の社会的地位が歴史的に低かったため、反動としてのフェミニズムが勃興し、こちらも表立っての差別は「悪いこと」として定着した。(ガラスの天井云々でいまだに続いている)

一方西欧だが、こちらはユダヤ人への差別がその歴史の伏流となっている。また、大航海時代から始まる帝国主義により有色人種を暴力的に支配する一方で、1700年代まで宗教戦争が横行した地域である。それらの結末として、ナチス・ドイツが台頭し、ユダヤ人(ロマ:ジプシーも含む)のホロコーストを繰り広げた。その反動としてナチス的なものの徹底的な否定、ユダヤ人やロマ、アラブ人などへの差別の否定、欧州内での非戦などをイデオロギーとして「EU」が生まれた。そのイデオロギーこそがある種のポリティカル・コレクトネスなので、これを否定することは絶対のタブーだ。(自壊しつつあるけれど)

翻って日本だが、欧米流のポリティカル・コレクトネスは、はっきり申し上げて「何の関係もないのに、わけのわからない正義を押付けられてもこまるだけ」である。しかも、所詮は建前に過ぎないこともわれわれ大人は知っている。米国では厳然と黒人は差別されているし、欧州で不快な思いは何度もしている。(イタリアは例外だけど)

西欧諸国や米国と日本は価値観も歴史も共有していない。あるのは同じ「近代国家」という共通点だけであり、最低限のルール共有(最恵国待遇などの付き合いや国際法)はしているが、我々には黒人奴隷を使役したり、セックススレイブ(アメリカの黒人の肌の色に幅があるのはこのせいだ)にしたり、ユダヤ人を差別したり、宗教戦争で近代まで殺しあった歴史などない。

勿論、日本の歴史に暗部がないと言っている訳ではない。織田信長が比叡山を焼き討ちするまで宗教戦争はあったし、現代まで続く部落問題もある。中共による誇大宣伝はともかく、人身売買もあれば売買春もあった。だが、それはそれで個別の事情である。少なくとも欧米流のポリティカル・コレクトネスとは何の関係もない。参考にはなるのかもしれないが、真似する必要も恐縮する必要もどこにもありはしないのだ。

グローバリズムの信奉者は二言目には「ダイバーシティ」という。だが、不思議なことにグローバリズム自体が世界の単一化を志向していることに気がつかない。ファシズム(全体主義)は危険だというくせに、全体を同じ方向に向けようとする。迷惑千万である。

たとえば、日本においては女性の地位は低くない。今も昔もである。妻が夫の財布を握っていることが主流な国でよくも地位が低いなどといったものだ。ルイス・フロイスも驚いて書いているではないか。「日本では女性は男性の所有物ではない。よき友であり、理解者であり、妻である」と。

ついでに言えば、明治日本が西欧流の「女性は男性の所有物」というのを猿真似したのだ。結局定着しなかったけれど。(サラリーマン諸君を見よ!)

近頃はようやくグローバリズムへの反省が出てきた。「一つのヨーロッパ」ではなくて「さまざまなヨーロッパ」の並存が望ましいとエマニュエル・トッドは言う。欧州については他人事であるが、賛成である。世界が単一になるなんて、退屈きわまりないではないか。


地獄への道の敷石は善意で舗装されている」そうである。このポリティカル・コレクトネスという善意はまさにその舗装の化粧石だろう。言ってしまえば「偽善」である。偽善がルールの世界はユートピアでもネバーランドでも桃源郷でもエルドラドでもない。それは端的な「地獄」である。

2017年4月25日火曜日

何を”保守”するのか

私は一介のビジネスマンに過ぎない。従って政治にせよ歴史にせよ難しいことはわからない。別に謙遜ではない。自分の仕事に関する専門知識と比べれば「知識と理解」が圧倒的に足りないことぐらいは自覚しているだけである。だが世の中の大多数が私のような「政治の門外漢」により構成されている。そして良くも悪くも「民主主義」である。だから政治や社会には関心を払わざるを得ないし、的外れも覚悟の上でブログに考えを綴ってみたりもする。

直接の知り合いやSNSのつながり、ブログ読者の方には説明不要だが、私の政治的立場は「保守」である。この20年来「暴走する保守」「迷走する革新」という語義矛盾な政治状況が続いており、なかなか定義が難しい。そこで自分自身の整理も兼ねて自分の立ち居地を考えてみる。


保守という語義を考えると「保ち」「守る」ということであろう。それではそもそも私は何を”保守”したいのだろうか。

極小的には「生活」である。ある程度以上の収入を得て、家族を養い(共働きだけどもw)、たまには旅行に行ったり、娘の成長を喜んだりする。そうした生活を”保守"して行きたい。これは一般的には揶揄をこめて「生活保守」と呼ばれる立ち居地だ。それは否定しない。

その生活と地続きなのはどこまでか?大枠では地域であり、国家である。少なくとも北は北海道から南は沖縄までの日本人に同胞意識を持っている。海を隔てた外国はどれほど近くであれ、どれほど親日的であれ、「隣人の国」であり、同胞意識はもてない。国を生体に例えれば、隣人たちは異物であり、有益なら歓迎し、有害なら排除する。あくまでも私にとっては日本人が同胞である。

その生活と地続きである「日本」社会の中で”保守”したいのはなんだろうか。それは恐らくこんな社会だ。多くの人が「中間層」に属し、それぞれの才能に応じて努力する。「生存」を保障されながら、水準以上の教育を受け、さまざまな曲折がありながらも社会人となる。そしてこれまた紆余曲折を経て伴侶を得、子供を育て、社会に送り出し、運がよければ孫の顔なども見て死んで行く。それが「普通」であるような社会である。

今度は縦軸(時間軸)に目を移そう。大学では哲学を学んだが、もっとも違和感がなかったのはヒュームに代表されるイギリスの経験主義である。ドイツ的、フランス的な観念を演繹して行くタイプの哲学は「なるほど」と思っても強い違和感ばかり感じた。まず「決め付け」があり、それを証明して行くスタイルの思考は私には危うく思えた。要するに最初の前提が間違っていたとしたら、どこまでも間違いを広げてしまうと思うのだ。

私の理解では、世界は「ダーウィン(やはりイギリス人だ)」の発見した理論に従い、「適者生存」のロジックに貫かれている。従って、一定期間以上続いた物事には何がしかの理由が存在する。そしてそれを短期間で覆そうとすると思ってもみないさまざまな影響が出る。従って、生物の進化と同様、物事の進化、社会の進化も連続的かつ漸進的であって、急進的な進め方は多くの場合は破綻すると考えている。急進的な進め方は「正しい方向性」の決め付けからスタートするが、その方向性が「正しい」可能性は極めて低いと考えるからである。

なぜ正しい可能性が低いのか。それは人が神ならざる身であるからである。余人は知らず、私は錯誤と誤謬を繰り返しながら生きている。そのときそのときの決断が「正し」かったかは事後的にしかわからない。だから「正しい」ことを知るには膨大な時間による膨大な経験・知識が必要ということになる。「正しい」ことを知る。そんなことは如何なる天才でも一代ではなし得ない。論理的に考えればそれ以外の結論はない。

従って「適者生存」と「時間の風雪に耐えた事後的な正しさ」という条件からは「伝統重視」ということしかありえない。縦軸(時間軸)で保守すべきものは”伝統”ということになる。

また「適者生存」は「ある特定の環境化への適応」のことであるので、限定された領域、限定された環境という大枠があるはずである。それゆえにその領域に限定された「伝統」こそがその領域でほとんど唯一機能しうるものである。他にも機能するものはあるだろうが、それは無限に近い試行錯誤を繰り返すことでしか判別しえない。そして最適解を見出す頃にはそれは伝統に組み込まれているだろう。

このような考え方に立つと日本の「革新」という立場は「自らが歴史を作る」と思い上がり、知恵と最適解の集積である「伝統」を破壊する愚か者でしかない。少なくとも政治において「急進的変革・改革」を唱える立場は左右問わず「天に唾する愚者である」というのが私の立場だ。

では一切の変化・変革を拒むのかと問われれば「そんなことは不可能だ」と答える。時代や世の中は嫌でも変わる。「適者生存」の原則は変化に適応しない者や社会を無情に絶滅させる。だからどれほど伝統を墨守しようとしても漸次的に変化して行かざるを得ない。そこには無数の試行錯誤があるだろう。それ故に変化や変革をせざるを得ないのだ。滅びたくなければ。だが、ユダヤ・キリスト教的に世界が直線的に変化しているとは到底思えない。世界の変化に恣意的な方向性は存在しないと私は思う。それゆえに正しいことを見極めることはほぼ不可能である。世界は永劫回帰というか、仏教的な輪廻のようにグルグルと回っているというのが実感に近い。近代においては縦軸にテクノロジーをとった螺旋階段のような変化をしているのであろう。(この縦軸とて、いつ失われるかわかったものではない。古代ローマを見よ)

螺旋階段を上る中で足を踏み外さないように伝統を参照しながら、できるだけ多くの中間層が人間としての本性(幸福を追求しながら子孫を残す。残せなくとも別の形で子孫に貢献する。)を満たすような生き方を「守る」ための考えや態度、それこそが「保守」であろうと私は思う。


カバン

カバンといっても政治の話ではない。所謂「鞄」の話である。といっておしゃれでもパトロジックな話でもないのでご安心を。

通勤電車で妻に「カバン」を大事にしていないといわれた。今使っているのは吉田カバン(Porter)のカンバス地トートなのだが、確かに平気で床に置くし、一度修理にも出したが、仕事道具を詰め込むので金具周りが痛んでいる。そもそもこの若干カジュアルなカバンを購入したのは、Tumi製のビジネスバッグがビジネスカジュアルにあまり合わないということだったのだが、そのTumi製ビジネスバグの金具が金属疲労で壊れてから、ついつい修理を先延ばしにしてトートを使い続けている。だから今はスーツにトートというよくわからないスタイルで通勤したり、客先にいったりである。


吉田カバンのトートはたしか20,000円弱、Tumiのビジネスバッグは50,000円位だっただろうか。妻は言う「いいカバンを持ったらワクワクとかしないの?」「特にしない」「じゃ、なんでもいいじゃない」このあたりで私が乗り換える新宿駅についた。乗り換えた山手線の車中で、なるほど「ずいぶんカバンに対する位置づけが違う」と考えた。

一般論としては女性にとってカバンとは非常に重要だろう。どんなカバンであれ、何も手に持っていない女性の姿はどこか落ち着かない。モデルだろうとその辺を歩いているオバちゃんだろうとやはり「カバン」を持ってこそサマになる。その意味で、カバンは服と変わらない重要度を持ったアイテムなのだろう。だからこそ買い物などに行くとこちらが呆れる位カバン選びに熱中できるのだろう。むしろカバンに合わせた「服選び」という買い物の仕方もあるくらいだ。

翻って男性である私にとってのカバンとは道具以外の何者でもない。頑丈で使いやすいことが第一義である。ある程度よい物を持つのは端的に言って「馬鹿にされないため」であり、おしゃれという要素はほとんどない。たまに成金風のオッサンが飲食店のカウンターで後生大事になにやら高そうなカバンを隣のイスに混んできても置いていたりすることを見るが、軽蔑とともに叩き落してやろうかと考えたりもする。道具への執着が周囲への気遣いよりも優先する男性は私には理解できない。

さて、「いいカバンを持ったらワクワクする」というのはどういうことなのだろう。このあたりの心の働きはいまひとつわからないのだが、「自己肯定感」ということなのだろうと想像する。大げさに言えば「素敵なカバンを持った自分が素敵」ということだ。その心の働きは否定しないし重要なことだと思うのだが、よい物を持って「自己肯定感」を得るという心の働きが私にはあまりない。どちらかというと「これを持つぐらいには稼げていますよ」という多少の自己顕示欲の満足ぐらいである。

「男は一番身近な自分の妻を通じていい加減に女を理解した気になっている」とどこかで読んだが、それも仕方がない。妻ほど身近で違う環境で育った女性はいないのだから。というわけで勝手なことを書くことをご容赦いただきたい。

ナルシシズムは必要な感情であり、特に女性にとっては「死活的」に重要項目だと感じる。特に見た目の美しさへのこだわりや流行への感度の高さを厳しく相互チェックしながら生きている女性にとっては「ルックスや存在感がイケてる」ということは心の支えになるのだろう。それは美しさやセンスのよさがどれほど生きるうえで有効な武器であるかを肌で感じているからなのだろうと想像する。

男性にとってはどうなのだろう。「ルックスや存在感」をとりあえず分割して「ルックス」に限って考えてみる。人によって著しく異なるだろうが、平均から平均以下ぐらいの容姿の男性は思春期を迎えるころから「ルックス」については生得的なものを超えることがほぼ不可能ということを理解する。従ってこの領域での勝負から下りることが合理的である。女性はフラットな関係のなかの相互チェックを重んじているように見えるが、男性はなんでも「勝負」なので勝てない領域では努力しなくなる傾向がある気がする。

その結果、スーツを着ていればそこそこ見られるが、それ以外は話にならないお父さんが量産される。お父さんは自分のルックスに何の価値も感じていないので非常に無頓着になる。「君子身辺を飾らず」なんて故事を言い訳にしつつ、そこに意識が向かない。妻に指摘されてとりあえず近寄りがたくならないように「清潔感」にだけ気をつける。勿論私も例外ではない。私などは恥を忍んで言えば、ひねくれたナルシシズムを鎮めるために意図的に頓着しないようにしてしまう。

最近ちょっと思うのだ。「女ウケしなけりゃそのカネ、死に金」的な男性向けライフスタイル誌のような価値観にはまったく共感できないけれど、思春期から青春時代に勝負から下りてしまっているので、ルックスはカバンも含めて多くの男性にとって未開拓(あるいは全く開拓が足りていない)の領域なのではあるまいか。
趣味の道具レベルで「身近な洋服やカバン」の良し悪しを見分けられるぐらいになったほうが、少し人生が楽しくなるのではななかろうかと。

我と我が身の容姿の悪さを嘆いていても仕方がない。それよりも、何とか身近なものに楽しさを見出して、少しは見られるように身辺を飾ってみてもよいのではないかと。足が短いなら短足なりに、腹が出てきたならば出腹なりに、顔が悪いなら不細工なりにとりあえず楽しめる範囲で自分の格好を楽しめるようになればよいのではなかろうか。


往々にして休日のオッさんたちは不細工でダサい。少し成金のオッさんは高いものを着ているが、だいたい似たり寄ったりの格好で苦笑いしてしまう。(腕まくりのジャケット、微妙な色味のカットソー、七分丈パンツに、妙なローファー風の革靴というのを近頃はよく見る。何かの制服なのだろうか。)自分なりのスタイル(姿勢/哲学)をちょっと追求することを楽しめれば、自分も楽しいし、妻の機嫌はよくなるし、職場でも明るく振舞える・・・かもしれない。

2017年4月23日日曜日

ハセガワ 1/48 一式戦闘機 隼Ⅰ型

プラモデル製作記です。

ハセガワ社製の1/48スケール「一式戦闘機 隼Ⅰ型」が先日完成しました。詳しい方には言わずもがなですが、帝国陸軍を代表する戦闘機です。現在は日産自動車・スバルと分散解消しましたが、戦前を代表するベンチャー出身の巨大企業「中島飛行機株式会社」のベストセラーであり、性能的には喰い足りなくともよく戦った「歴戦機」「使い減りしない軍馬」であることは誰も異論がないでしょう。

特にマレー/ビルマ(ミャンマー)方面では英国のハリケーンやスピットファイアと互角以上の戦いを演じ、大英帝国の東アジア支配を瓦解させた機体として記念碑的な戦闘機です。米国に敗れたりとは言え「大英帝国と刺し違えた戦闘機」です。

今回の機体選びテーマ(勝手に決めているだけですが)は「日本のトップエース機」、製作テーマは「完全筆塗り(田中式)の練習」というところです。というわけで、隼のトップエースといえば「軍神」加藤建夫少将や「ビルマの桃太郎」こと穴吹智曹長、「魔のクロエ」こと黒江保彦少佐が有名ですが、ひねくれものなので「腕の佐々木」(ご本人はそのあだ名を否定されてますが)こと佐々木勇准尉(搭乗時は軍曹)の飛行第50戦隊所属、赤い電光も鮮やかな「鳶」号をチョイスしました。公式記録で38機を撃墜している間違いなく日本のトップエースの一人です。

さて能書きはこれくらいにして製作記に入りましょう。
まずはインストラクションに従いコクピットから。この時期のコクピット色は諸説あり、青竹色という説も有力ですが、今回は筆塗りしやすい「中島系コクピット色」を選びました。米軍機も含めて、この時期の機体ってインテリアグリーンなんですよね。なぜか理由があるのでしょうか。


計器版はしっかりしたモールドがあるのでドライブラシと書き込みで対応。老眼鏡が手放せません。


ハ25エンジン(ハは発動機の記号)です。管状冷却機(要するにオイルクーラー)がついてますが、分厚すぎです。とはいえ一体整形されているものを壊さないように削り込む技術と度胸がないのでそのままです。「カッパー」で塗装し、綿棒で軽く磨いただけです。オイルラインは冷却機のせいで見えなくなるので省略しました。



娘に邪魔されながら「士の字」へ。



で、リベット打ち、師匠の言葉を借りれば「写経」です。今回は手持ちの図面にⅠ型がなかったのでネットでそれらしいものを探してプリントアウトしました。これをやると精密感が違うのと、図面とニラメッコになるので機体設計の理解が進む(気がする)ため、異様に面倒くさいのですがやってしまいます。ちなみに外国機ではやりません。それほど思い入れがあるわけでもなく面倒なので。


隼のリベットラインはかなり面倒です。もう少し「作りやすさ」を考慮した設計にならなかったもんでしょうか。フロントローディングが甘い。(先人に失礼ですね。当時そんな手法は一般的ではありません。)


また、キットはⅡ型と共用らしく着陸灯が左翼に付いています。インストラクションによれば「透明部品を接着して塗装します」とか書いてありますが、何か付いている感が残ってしまい話しになりません。仕方ないので苦手なパテ修正です。あとはひたすらチクチクチク。

1ヶ月を要した写経を終えたら、塗装に入ります。田中式筆塗りでは日の丸をコンパスでけがいて、それ以外はフリーハンドなのですが、電光マークは到底フリーハンドでは描けないと判断し、マスキングテープを切り出して貼り、その周囲をデザインナイフでけがきました。あとは極細面筆で縦横斜めと重ねていきます。



だいぶ出来てきました。


スミイレはガンダムマーカーふき取りタイプという筆ペンで行い、2翔のプロペラをつけてイメージを見てみます。とりあえず隼Ⅰ型以外には見えないのでOKとします。



最後の鬼門、垂直尾翼の白文字「鳶」です。一回でうまくいくとは思えなかったので、ふき取りやすいタミヤのエナメルカラーで10回は書き直しました。どんなものでしょうか。右側はどうしてもうまくかけなかったのでお見せできません。(笑)



あとはアンテナ線を張ったり(ハゼ用釣り糸を愛用)、排気汚れをタミヤウェザリングマスターでお化粧して完成です。今回はスコアマークなどがないため、着任したてをイメージしハゲチョロ塗装はしませんでした。単なる手抜きかもしれませんが。(笑)


海軍の零戦と比較してもさらに華奢な「隼」です。そのくせ、大柄美人の「疾風」やドイツ風美人で胴体は頑丈な「飛燕」よりも整備しやすくはるかに稼働率の高い「元気」な機体で、一見病弱なのに実は頑丈という武家の奥様みたいな(勝手な連想)機体ですね。ハセガワ社のプロポーションにはいろいろ文句もつきましたが手に入るキットではベストなのではないかと思います。


ちなみに次回は積みキットを減らすべく米軍機です。

2017年3月24日金曜日

経営コンサルティングとITコンサルティングの狭間(自己紹介:仕事編)

「IT系何でも屋」が現状の実質的な職務ですが、自己認識としては「経営系ITコンサルタント」です。「系」ってなんだよ?とわりとよく訊かれるので、もっとよい言い方がないものかと考えますが、なかなか良い呼称が見つかりません。ともかく「経営系ITコンサルタント」という造語を定義しながら、「経営とIT」の整理をしておきます。



経営コンサルタントは業務遂行に特別な資格が必要ないこともあって、なかなか定義が難しいものです。一般的には「経営理論」「財務会計」「業務運用」「組織管理」などの理論に精通し、特定領域の実務経験やコンサルティング業務経験に基づいて、経営者・経営層に対して根拠のある的確なアドバイスや経営計画作成の支援を行う人というところでしょうか。勿論、得手不得手やそれぞれの専門性はあっても、まずはこのあたりの専門家であることが経営コンサルタントを名乗るための資格でしょう。

次にITコンサルタントですが、これも定義が非常に難しいものです。ベテランのシステムエンジニアやプロジェクト・マネジャをITコンサルタントと呼んだり、ERPに代表されるパッケージシステムの導入の専門家をそう呼んだりします。とはいえ、その経験と知識に基づき、IT製品・サービスの導入と活用によって、経営上の問題を解決に導く専門家というのが、その定義でよいでしょう。

さて、「経営とIT」はほぼ不可分の領域ですが、現実には経営や実務に強い経営コンサルタントはITに精通しているケースは少なく、ITコンサルタントは経営や実務について疎いというのが、割とよくある話です。経営コンサルの立場で言えば、IT屋は経営や実務を知らず、理想的かつ教科書的な業務を想定してシステムを導入したがる連中だという認識ですし、ITコンサルタントからすると「そんな課題はITで一発解決するのに、経営コンサルは回り道ばかりする」というのが得てしてその認識だったりします。

経営実務とIT双方に精通するのは、実際かなり無理があります。どちらも広大かつ複雑な海のような領域なので、たとえて言うと「太平洋」と「大西洋」双方を地理学・海洋学・生物学・気象学・航海・船舶などの観点で、少なくともすべてを広範囲に知っており、かついずれかの分野で専門性を持っているという状態だからです。これは一人の人間にはいくらなんでも無理です。経営とITに精通するというのは大げさに言えばそういうことです。

その問題を解決するため大手コンサルティングファームならば、それぞれの領域の専門家を束ねたプロジェクトチームで案件にあたります。その結果、ただでさえ単価が高いコンサルティングフィーは非常に高額なものとなり、中小企業ではなかなか手が出ないものになっています。(2000万~数億のオーダー)

本来、改善の余地が多く、経営にせよITにせよコンサルティングが有用なのは中小企業のはずですが、大手ファームはなかなか利用できません。従って、中小企業が利用するのはフリーや小規模なコンサル会社というケースがほとんどでしょう。そうすると、それぞれのコンサルタントは経営実務には詳しくてもITが弱い、あるいはITは強いが経営実務は苦手ということになりがちです。

そこに私のような「経営系ITコンサル」の役割があると考えています。基本的なベースとして製造業・流通業を中心に業務コンサルティングを行いながら、「要求定義」や「ビジネスフロー」作成を行います。それが結果的に経営上の問題点を解決するためのITからのアプローチとなり、後工程を担当するITコンサルタントやシステムエンジニアへの橋渡し作業となるわけです。私のような「コウモリ」は意外と少ないのですが、パソコンやオフィス機器導入相談や、無料ツール活用というようなちょっとした相談から、ERP導入やSCM革新相談までその道の専門家ほどではないにせよ、経営上の問題点を勘案しながらお請けできるので、案外重宝な存在のようです。


もしも、フリーや小規模なコンサル会社の利用をご検討ならば、「経営系ITコンサル」あるいは「IT系なんでも屋」のような観点を足して、コーディネータに「何でも屋もチームに加えなくていいの?」といってみてください。(なんだか宣伝みたいですが・・・)

2017年3月21日火曜日

FROZEN

フジテレビでディスニー映画の『アナと雪の女王』を放映した。2013年生まれの3歳になるうちの娘が大好きなので、BlueRayで購入して何度となく観た。サウンドトラックも購入して、車の中のヘヴィローテーションはこの1年ぐらいずっと『アナ雪』だ。ディズニー映画には全く興味がなかったから、ちゃんと観たのはこれが初めてだ。興行収入も歴代一位で、ご覧になった人も多いだろうから、以下、ネタバレのレビューを書いてみる。因みに映画マニアでもなんでもないので、素人の戯言と思っていただいて間違いない。それでもよろしければ少しお付き合いいただきたい。



内田樹(全共闘の生き残り左翼だが、文章は時々見るべきものがある)がどこかで「優れた映画には大抵、優れた心理学的な要素がある」と書いていたが、この映画にもそれはとても多い。あらすじは先日地上波で放送されたのでご存知の方が多いだろうし、こちらをご確認いただくとして話を先に進めたい。

アナとエルサというダブルヒロインの内、姉のエルサは生まれつき「雪や氷を作り出す」力を持っている。子供の頃は生まれ育った城の居室を雪だらけにする程度だったが、成人してからは非常に強力だ。何しろ国ごと夏を冬に変えてしまうほどのものである。X-MENのストームなど問題にならない力。ただ物語の終盤まで本人はこの力をうまく使えない。本人の感情の昂りに応じて力が溢れ、氷の壁を思わず作ってしまったり、真夏に雪を降らせてしまったり、挙句に港を凍結させてしまったりと暴走する。

エルサの心象風景がそのまま気候に反映され、その結果周囲に被害を与え、その結果本人が苦しみ、さらにその苦しみが冬の嵐になり被害が拡大という悪循環。少年期(少女期)から青年期へ移行する時のあの自意識の嵐とも取れるし、或いは特殊な才能(例えば美貌のような。あまりに美しい少女が普通にみんなと仲良くしたいのに周りが特別扱いして孤立するなどの)を持て余しているかのようなこととも取れるだろう。

様々に解釈できるが、私が気になったのはエルサの能力を親と本人がどう位置づけているかである。物語の最初で、事故とはいえ妹のアナをその能力のために傷つけてしまったエルサは、深く傷ついてしまう。また、両親である国王・王妃は「能力が操れるようになるまで」という条件付とは言え、エルサを妹から、そして世間から隔離して育ててしまう。国王はその能力を放つ両手に手袋をつけておくようエルサへ言い「落ち着くように、見せないように」という合言葉をつくって、その力を禁忌とする。英語版では「Don't feel it, Don't show it」となっており、より直接的に遮断というニュアンスになっている。

この時点でエルサは間違いなく自分の力を「忌むべきもの」として位置づけてしまっている。子供の特別な能力(才能)が理解できず、また危険だと判断した親がやってしまうことだ。例えば、芸術や芸能に特別な才能があるが「絵描きになりたい!ミュージシャンになりたい!」などと言い出されると困るので(親としてはそれが困難な道だと知っているので)、それを「下らない」などと決め付けて方向修正を図ったりする。それが例え一流になり得る才能だとしても、親が理解できなければ早々に芽が摘まれてしまうことも多いだろう。

物語の中盤、国中を凍らせてしまい、山に篭ってしまった自分を迎えに来た妹のアナとのやり取りでエルサはこんなことを言う。「私にできることはなにもない!」
これは意訳であって本来の英語版は「I can't controll the curse!」である。直訳すれば「この呪いはどうしようもないの!」であろうか。彼女にとって、雪や氷を操る力は才能ではなく「呪い」と位置づけられている。

そして「真実の愛」が「凍りついた心を溶かす」というモチーフは、物語のクライマックスで凍りついたアナを再生するという形で具現化しているように見えながら、実際にはエルサが自分自身を許し、呪いが呪いでなくなるために、誰か(ここでは妹のアナ)の無償の愛が必要にだったということに具現化して物語は幕を下ろす。

父親として、私などはここで背筋が寒くなる。本人の可能性は事後的にしか確かめられないとしても、子供の特別な「才能」、否、特別ではなくとも「得意な事」の芽を理解できないあまりに、それを「忌むべき呪い」としてしまうことはないだろうか、と。

我と我が身を振り返ってみると昔から何でも屋で勉強でも運動でも何でも一通りこなせるのだが、飛びぬけてこれが得意ということはなかった。今でも営業なのかエンジニアなのか、コンサルタントなのかわからないコウモリなので、「器用貧乏さ」が才能といえば才能なのだろう。絵も書くし、楽器も弾くが、全くやったことがない人よりはマシというレベルでしかない。私には親が理解不能なレベルの才能はなかったととりあえず結論づけても大丈夫だろう。


しかし、それは私の両親が見出せなかった能力が私にはなかったという証明にもならない。そして、今は私自身が人の親である。自分のことはさて置き、自分の子供の可能性は伸ばしたい、少なくとも、芽を摘まないようにしたいというのは人情だろう。今のところ、歌と音楽が大好きなのと塗り絵が得意ぐらいしか、才能の芽のカケラは見つからないけれど、無償の愛(のハードルは高いのだろうか?)を提供しつつ、少なくとも「いらぬ呪い」をかけたくはないと地上波初放送を観ながら考えた。

2017年3月13日月曜日

教育勅語と菊の御紋

教育勅語についての報道や言及が例の森友学園騒動や防衛相の発言などから散見されるようになった。戦前は不磨の大典の憲法に次ぐものとして、戦後は一転して悪魔の標語のような扱いを受けている「教育勅語」だが、とりあえず読んでみないことには話にならない。読んでないまま批判している人も多いであろう。以下全文である。

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朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽
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実はこれだけである。明治帝が臣民(≒国民)に対して徳目を説くという形式である。解釈についてはかなり色々あるらしく現代語訳もバラバラだが、ともかく具体的な徳目についてはおよそ解釈が一致しているそうである。その部分だけの現代語訳は以下の通り。

「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以て交り、へりくだって気随、気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」

内容としては極めて常識的な徳目だろう。「君主が臣民に説いた」という形式については違和感が残る人がおおいだろうが、現代でもおよそこの程度の徳目が、いわゆる「道徳」として説かれている。「万一危急の大事」の部分も形を変えているが、まあ生きている。戦時を想定しているものだろうが、東日本大震災のような緊急事態の際にも、多くの人が「勇気を振る」って故郷や社会のためにつくしたのは記憶に新しい。

現代の目でみると、内容に過不足(何を過不足とするかは人によって見方は違うだろうが)があり、道徳の基準とするには物足りない部分が多いが、明治期のものとしては立派な内容である。むしろ問題は内容ではなくて、「形式」と「運用」についてではあるまいか。


毎度のことではあるが山本七平の議論を思い出す。日本軍の兵器についての話である。
帝国陸軍の主力火器は三八式歩兵銃という小銃である。三八式に限らず、日本の兵器には「菊の御紋」が入っている(すべてではない)。これでどうなるかというと、メーカ「天皇」、ユーザが「二等兵」という事態を招来する。山本七平の表現を借りれば「これは欠陥兵器じゃないすか」ということは「欠陥現人神じゃないすか」というのと同義になってりまう。何しろ「兵器は神聖である」「砲即軍旗・砲側即墓場」というような世界だから、ユーザである二等兵はメーカーの天皇に到底クレームを言うことはできない。

すると何がおこるか。ユーザからのフィードバックがメーカに届かないということになる。実際にはメーカは天皇ではなく、現人神でもなく、軍需産業のメーカなわけなのだが、菊の御紋のおかげで現場の否定的意見が届くことはない。するとメーカは効果的な改善ができなくなる。これがどれほど「ものづくり」にとって致命的なことか、製造業に勤める方なら説明不要であろうし、そうでなくとも容易に想像できるだろう。「クレームは宝物」「クレームはラブレター」というのはこういう意味においてである。

三八式というのは明治三十八年式という意味である。明治38年は西暦なら1905年である。1940年代の戦争の主力兵器が35年前の兵器である(九九式という新式小銃もあったが到底間に合っていない)。多少の改良はなされたが、終戦まで主力であった。一方、干戈を交えた米国は1936年に半自動小銃のM1ガーランドが配備されている。それほど基本設計の古い兵器を使いながら、ユーザの声がフィードバックされないというのは恐るべき停滞を招いてしまうだろう。否、招いてしまったのだ。

日本国憲法もマッカーサー欽定の「不磨の大典」化しているというような皮肉はさて置き、教育勅語の問題点もまさに「勅語」である点であろう。即ち、異論や反論を許さない「空気」を生み出しやすく、実際、生み出してしまったこと。そして、それを利用するものが、本来の意味を「曲解」してもそれを「曲解」と指摘しにくく、勅語それ自体も「勅」であるが故に天皇自身が改めるしかなく、継続的改善がほとんど不可能なこと、これが教育勅語の本質的な問題点であろう。左派は教育勅語を「悪魔化」することで、右派はそれを「神授化」することで、どちらも絶対化している点では変わらず、全く建設的ではない。

教育基本法でも何でもいいが、このような「法」は所詮人間の作るもので、どれほど正しそうでも欠陥があり、執念深く継続的に見直しと改善をするサイクルが必要という前提に立たないと、結局、戦前と同様の過ちを繰り返すだけになるはずである。必要なのは菊の御紋ではなく、製造業におけるTQM(統合品質管理)である。そこには日本国憲法ももちろん含む。人間が作り出したものである以上、無謬であることはできない。それゆえ、日本国憲法だけ例外などということはありえない。


教育勅語とは復活や全否定を議論するような性質のものではない。日本人が「かつて運用した教育の基準として歴史的に学ぶ対象」というのがあるべき姿であろう。自分たちの歴史として敬意を持って学べばいい。そして反省すべきは「天皇制ガー」とか「軍国主義ガー」ではなくて、神聖なものを現実世界に持ち込むと、フィードバックループが回らないという点のはずである。ボルトアクション自動小銃に立ち向かった父祖達の負け戦から学ぶべき点はまだまだある。だが多くの場合、問題の本質を取り違えていることが多い。今回の騒動でつらつら思ったことを整理してみたが、いかがだろうか。