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2018年7月26日木曜日

太平洋航空博物館


先日、オアフ島のパールハーバー歴史エリアを見学した。もちろん、12月8日/7日(日本時間/ハワイ州時間)の真珠湾攻撃がその歴史的展示の中心である。パールハーバーは現役の海軍基地でもあり、米国太平洋艦隊司令部などもあってかなり広大なため、見学はエリアはいくつかに分れている。日本の航空機によって撃沈された(これは画期的なことなのだが)戦艦アリゾナの上に建てられた「アリゾナ・メモリアル」、受付入口直ぐにある潜水艦を見学できる「USS Bowfin」。湾内にある離れ島フォード島に渡り、大日本帝国の降伏の舞台となった戦艦ミズーリの見学「Mighty MO」、そしてWW2時代の格納庫をそのまま利用した「太平洋航空博物館」である。全部回ると7~8時間の一日コースとなる。すでに「アリゾナ・メモリアル」は10年程前に見学した。旧敵国で敗戦国の国民である私が黙祷するのも妙な話だが、それはそれで礼儀であろうし、どの国であれ戦死した兵士には敬意を表したいので、周囲のアメリカ人学生(だろう。多分)と共に黙祷した記憶がある。今回はまだ訪れたことのない太平洋航空博物館を見学することにした。

◆37格納庫
ここは太平洋戦争/大東亜戦争で使用された軍用機が展示されている。エントランスを抜けるとすぐに我が国の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)がある。

残骸からレストアされた21型だが、驚くべきことに飛行可能だそうである。エンジンは残念ながらオリジナルではない。もちろん、この博物館の趣旨に沿って真珠湾攻撃時の塗装になっている。その先にはアメリカにとって反撃の狼煙となった「ドーリットル東京空襲」時の塗装が再現されたB-25、「ミッドウェイ海戦」仕様のドーントレス、25機の日本機を屠ったというF4Fが並ぶ。どれもレストア済で状態は良好のようだ。
ハワイ州とはいえ、本土に攻め込まれた意味は米国にとって重いようで、日本の奇襲を強調する映像が流されていた。しかし、零式艦上戦闘機の説明など読むとその高性能を称えつつ、敬意をもって説明されていた。自国の戦士を称えるのは当然だが、敵国の戦士にも敬意を払うことができるか否かは、その国の品位というか品格というかを示す分かり易い指標だろう。最も我が国は「自国の戦士」を称えることすら拒否する人々が多数という珍妙な属国なので品格も何もありはしないのだが。





そんなことをつらつら考えつつ、外に出る。すると少し離れた79番格納庫まで、恐らく退役軍人のオヤジと思われるドライバーがゴルフカートで我々を乗せていってくれる。礼を言うと、ニコリともせずに”My Pleasure."とぶっきらぼうに言うだけだが感じはよい。そのあたりが退役軍人だと思わせる。

◆79格納庫
外に展示(放置)してあるつい最近まで現役だった戦闘機やヘリコプターは後回しにして、日本軍の弾痕が残る79倉庫を先に見学する。

ファントムやデルタダガー、F111というような歴史的な戦闘機、或いは旧ソ連のMiG17がまず目に入る。ここは展示場であると同時にレストア施設であり、少し奥に行くと、日本の九七式艦上攻撃機がレストア中であった。真珠湾攻撃の立役者であり、アリゾナを沈めた九七艦攻がその真珠湾でレストア中とは。その先にはF6Fヘルキャットがレストア待ちだった。この九七艦攻は非常に貴重である。



戦前の「全否定による自己正当化」という腰抜けを通り越して小児病的なマスメディアと大量人が支配する日本では、有志が米国でレストアした零戦の里帰りにすら「戦争を連想する」「軍国主義礼賛だ」と中学生以下の反応が起こる。企業はイメージダウンを恐れてスポンサーになろうとしない。なるほどマッカーサーの言う通り日本人の精神年齢は12歳かもしれぬ。敗戦国の倣いとは言え、本当に米国に骨抜きにされたのか。それとも日本人は元々その程度であったのか。前者だと思いたいが、近ごろは後者ではないかと疑っている。

「自国の軍と自国の歴史に敬意を払う」姿勢。羨ましさにため息をつきつつ外の展示エリアへ。

◆外エリア
79格納庫の外には広大な滑走路が拡がり、ハワイの陽光に目が眩みそうになる。すぐ隣には20-30機ほどの軍用機が展示してある。放置に近いが。まずシコルスキー・シーキングやアパッチなどのヘリコプター。

そのすぐ後ろにはF-14Aトムキャットがある。この機体を見るとどうしてもトム・クルーズとDanger Zoneをセットで連想してしまう。
F-14の前方にはF-15イーグルがある。実戦ではほとんど落とされたことがない戦後最強の戦闘機もF-22やF-35などの第五世代の戦闘機に取って代わられている。
最も我が国の航空自衛隊では未だ主力ではあるが。


MiG21なども置いてあり、丁寧に見ていけばキリがない。が、炎天下なのでそういつまでも見ていられない。また、例のゴルフカートに乗って37倉庫へ。たまたまだろうが日本人の見学者は我々以外にはおらず、しかも小さな子供連れなので、目立つらしい。オヤジも例によってニコリともせず、乗せてくれた。

博物館は何にせよ色々学ぶことができる。

2017年10月17日火曜日

ファシストはリセットボタンがお好き

昭和50年生まれなのでファミコン世代ではある。小学生の時分には買ってもらえなかったので、よく友達の家で遊んだ。ロールプレイングゲームのようなものはそうはいかないので、中学生になって中古のファミコンを手に入れ、ウィザードリィやドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなどを夢中で遊んだものだ。行き詰ると「リセット」ボタンを押したくなる。攻略本などではリセット前提の方法を書いてあったりして、今思えば「ゲームの設計思想」としてどうなのかとも思う。

別段、ゲームの影響がどうこうということを書きたいわけではない。ただ、ゲームのおかげで、坂本龍馬の「日本を今一度洗濯したく御座候」のような願望を「リセット願望」と表現することができるようになって、便利になったというだけである。



少し考えると分かるが「リセット願望」はかなり子供っぽいものだ。子供っぽいだけに「変身願望」と同様かなり根源的であったりする。洋の東西を問わず、リセット願望は様々な出来事の原因となってきた。例えば、バーグが口を極めて罵ったフランス革命はまさしくリセット願望を具現化したものであった。「保守思想の父」などと呼ばれるバーグの議論は結局「リセットしたらゴミじゃないものまでゴミ箱に捨ててしまうだろう」ということに尽きている。英国から 彼の目でフランス革命を眺めると「狂気の沙汰」にしか見えなかったということだ。革命の理想はどうあれ、持てる階層からなにもかも分捕って、持たざる階層に配る。そして、わずかでも異を唱えれば処刑される。そして新たな支配階層は「支配」をしたことがないものだから、際限なく腐敗し矮小化する。そして反革命が起こり、ナポレオンという軍事的独裁者が台頭し、王制が復活し…と大混乱。あたかも人類史上の一つの「最高の瞬間」のように記憶されているが、私にはそうは思えない。

理想はあくまでも「理想」であって、たとえて言うなら虹のようなもの。虹を捕まえることは絶対できないけれど、虹それ自体は確かに見える。理想とはそういうものであるという大人なら誰でも知っていることである。しかし、なんらかの原因で大人の視点を手に入れられなかった人には「だってそこに虹がある!」以上のことがわからない。ユートピアとは「どこにもない場所」という意味である。ネバーランドも字義通りであろう。しかし、目の前の現実を全否定して「どこにもない場所」を現実化しようとすると大抵の場合、「地獄」を現出してしまったことが歴史上には何度もあった。その根底にあるのが、「リセット願望」であろう。

ユートピアを創り出そうとしてディストピアが出来てしまった例はいくらでもある。前述したフランス革命後の革命政府による恐怖政治もそうだし、ドイツ第三帝国(いわゆるナチス)もそうだ。ファシストイタリアやロシア革命後の共産党独裁もそうだし、文化大革命後の毛沢東による恐怖政治も同じである。どれも閉塞感にとらわれた多数派の恨みつらみを燃料とし、リセット願望に誰かが着火した。それは「何もかも一気に変えて、ユートピアを創ろう!」とした善意から出ている。中産階級にせよ、インテリ層にせよ、こうしたリセット願望にとらわれる人は多い。この時に出来上がる「リセット願望の空気」を束ねて独裁者が登場する。近年はファシストと呼ばれるが昔からいる。古代ギリシャでは僭主とよばれていた。なお、ファッショとは「束」の意である「ファスキス」からきている。

ファシストは野心家で有能であり、本来は「善意」の人である。また強烈な信念を持っていたりする。彼らは行動力があり、その狂信ともいうべき自信たっぷりの態度や言動から人を引き付ける魅力がある。そして、必ず革新側、左側から登場する。なぜ、保守側、右側からは登場しないのか。理由は簡単である。革新は「歴史を否定し、己が歴史を作る」と考えるからだ。人間社会を自分たちで設計してハンドリングしていけるという信念を持っている。そこに「共産党宣言」でも「我が闘争」でも「毛語録」でもいいが、理論付けをする。そのうえで単純なスローガンを創れば完璧である。

だが、保守側、右側からは出ない。歴史と伝統を重んじ、人間社会の複雑さを理解しているので、社会の設計などできるはずがないという確信があるからだ。勿論、歴史は結果的に「続いていく」と考えているので、己が歴史を作るとは考えない。変革は拒まないが慎重である。物事はゆっくりとしか改善できないと考えるし、急速な改革などすべきでないと考えるのである。控えめであったり、現実的であったりするので、尊敬は集めても、熱狂させることはできない。それ故その立場からはファシストなど出るはずがない。

この通り、リセット願望と相性がいいのはファシストであり、ファシストは改革の旗を掲げる。ファシストは「リセット」を言いつのり、「しがらみを断ち切る」と叫ぶ。実は民族主義とか自国中心とかは関係がない。その時々で衣を取り換えるだけである。極右や極左が危険なのではなく、設計主義者と大衆のリセット願望が結びつくことが危険なのである。その結果は必ずディストピアをもたらすことは、彼、彼女らが軽んじる歴史が冷たく教えるところである。




2017年6月13日火曜日

語り部たちへの反論(シリーズ:何を反省するのか?)

池田信夫氏主催のサイトであるアゴラで「戦争体験者の私が、いまの政治家に申し上げたいこと --- 釜堀 董子」という一文を読んだ。私の父の年代である戦中派(1937年生)の著者が自らの実体験をベースに現政権や「右傾化」する比較的若い世代を批判する内容である。戦中派の語り部が行う議論のある種の典型であったので、チェックしておきたいと思う。というのは、その実体験に対してどうしても「遠慮」が発生してしまい、それ自体が異論を許さないという議論の拒否や思考停止を生むと考えるからだ。正直なところ私もこの「遠慮」から自由でないし、若干己の中の抵抗を感じながら書いている。しかし、議論の拒否は不毛なのであえて反論したい。もちろん釜堀氏は面識もないし、その御年でウェブメディアに寄稿されていることには敬意を表する。個人的な悪意があるものではないことをお断りしておく。


『1937年生まれの私は、12月に80歳を迎える。実体験は少ないが、まわりから教わった戦争体験を、しっかりと伝えることが必要ではないかと感じている。』

このような書出しから始まる。読者はここで「戦争体験者」と思う。そして「戦争反対」「九条守れ」という議論が展開されることを容易に予想してしまう。そして案の定、記憶が定かでないとエクスキューズを入れつつ、出征兵士が「万歳」の声に見送られながら目に涙をためていて「本当はみんな行きたくない」と当たり前のことを説明する。冷血漢の汚名を恐れずに指摘しよう。この著者が想定している読者は戦後生まれ、団塊の世代以降であろう。ウェブメディアへの寄稿がその証左であるし、戦中生まれと戦後直後生まれの世代がもつ共通認識(とこの著者が信じているもの)を持たない世代を想定している文章であるからだ。逆に言うと、「戦争を知っている」ということを根拠とした権威主義に基づいているとも言える。

さて、出征兵士が「本当はみんな行きたくない」のを60年代以降生まれ(取り合えずややこしいのでそう定義しておく)のわれわれが想像できないとでも思っているのだろうか。ちょっと調べれば「徴兵逃れ」などはある種の常識であったことは分かるし、どこの世界にリンチで有名な帝国陸海軍に徴兵されて、しかも死地に赴かざるを得ない事を歓迎する人がいるだろうか。出征兵士は行きたくないが義務として、男性に生まれたある種の宿命と思い定めて出征した人がほとんどだっただろう。もし、兵士は嬉々として戦地に赴いたと信じている人がいたら、左右を問わず正常な精神を持っているとは思えない。また我々の世代が「万歳」の中出征したのだからうれしかったはずと勘違いしていると思われているのであれば、「馬鹿にするのもほどほどに」していただきたい。「万歳」は建前に過ぎぬ。当たり前である。



1937年生まれということは1940年、1942年生まれの私の両親とほぼ同年代である。この世代の戦争経験とは「疎開」「外地からの引揚」「空襲」「機銃掃射」「原爆」「敗戦」「傷痍軍人」「占領」である。直接地獄の戦地に赴いたわけでもない。赴いたのはその親の世代である。そして幸運にも生きて内地に帰ってきた人々に戦争の話を聞いたはずである。著者は1945年には8歳、最終位置がどこかによるが、出征していた父がいれば再会したのはおそらく1945年から1947年であろう。するとそのとき彼女は8歳~11歳の少女だったはずである。そのかわいい盛りであり、感受性の強くなる思春期直前の娘に対して出征した父や元兵士の大人たちは難しいことや残酷なことを語っただろうか。語るわけがない。戦争のこと質問したって、黙したか、「戦争は悲惨だよ」以上の説明しかしなかったであろう。当たり前である。敗戦によって否定された自分たちの信念や大儀、そこに至るまでの政治的な経緯のような難しい話は子供には理解できない。ましてや占領され米国による国家改造が進む中で、余計な情報を、生きにくくなるような情報を子供に教えるわけがない。


『時は流れて、日本は終戦72年を迎えた。日本人でありながら世代間による戦争の考え方は大きく変わってきている。私の世代は「二度と戦争はすべきでない」と答えるだろう。しかし、若い世代は「日本は強くなるべきだ」「平和を守る一員になるべきだ」と答える。』

と嘆いてみせる。ほほう。「二度と戦争をすべきでない」と答えるのは1935年~1950年代に生まれた世代だけだろう。あるいはそれ以前に生まれていても銃後にいて安全と思い込んでいたのに、爆撃により殺されかけたり、家族が死んだりしたケースでかつ、あまり何も考えていない人だけである。少し言い過ぎかもしれぬ。「二度と」とは'NEVER'の意である。だから、この議論は「他国が攻めてこようが、無抵抗でされるがままにされるべきだ」という結論に当然に行き着く。そして、その結果としての隷属や陵辱、そして家族の死を甘んじて受けよということになる。はっきり申し上げて「何を言っているのだ」である。「戦争をすべきでない」。同意である。全力で戦争に突入することは回避すべきである。だが、他国が、具体的には中華人民共和国や北朝鮮が侵略してくれば、反撃する必要があるに決まっている。また、日本を守るためならば「他国の兵士(若者)」が血を流しても、自国は血を流さないということには言及しない。当たり前の反論に耐えられる程度の正当性すら持っていない。ただひたすら戦争は「悪」だと言い募っているだけである。はっきり言えば思考停止であり、議論の拒否である。


『私の子ども時代や若い頃は、戦争といえばそれだけで世論が沸騰した。戦場へ行った人たちが大勢いたからである。戦地にやらされ、九死に一生を得た彼らの感情は激しかった。一方日本国内は、空襲や原爆で廃墟になっていた。戦争の悪は日本人すべてが認識したといっても過言ではない。戦争につながるものは激しい批判にさらされた。

だから憲法9条も非武装中立も、さほどの違和感なく受け入れられたのである。民主主義も男女平等も新憲法も、天皇が神から人間になったのも、すべてが180度の転換だったが、すんなりと行われたのである。』

あえて言い切ろう。認識が間違っている。戦場で生き残った兵士が激しく反応したのは道義的な理由ではない。日本が近代戦を遂行する能力がない事を肌感覚で知ったからである。少なくとも「精神力が戦車を圧倒する」というような思考はまったく無力であることを知っており、ただ精神力を強調するだけの上層部が無能であることを、そして補給なき軍隊がどのような地獄を見るのかを彼らは知っていた。だから反対したのである。しかし戦中派や団塊世代はそうではない。道義的な理由から、あるいは「一部の軍国主義者」に責任を転嫁し、イノセントな自分でありたいがために批判したのだ。反対の理由が違うのである。おそらく忘れておいでだろうが、一緒になって「戦争反対」と叫んでいると、元兵士に「戦争に行っていないやつらに何が分かるか!」と怒られたり、殴られたりということが頻繁にあったであろう。理由は述べたとおりである。片方は「地獄を見た我々の記憶において日本国に近代戦を遂行する力はない。それがゆえに反対!俺たちがいた地獄に子供たちを送るな!」と言っているのである。しかし一方は「戦争は絶対悪だ、その戦争を遂行した戦前は悪だ!(そしてそれに反対している俺たち/私たちは善だ)」と言っているのだ。そして括弧内の思いを前者が認識すると怒られたわけだ。「俺たちをダシにしやがって」と。

今はもう、祖父母の世代はほぼいない。もはやそのように怒られることもなくなり、特権的に語れるようになった。

この後は内田樹を持ち出し、的外れな管理教育論を展開する。ここは、年寄りの耄碌として大目に見よう。
そして民主主義万歳論。敗戦によってもたらされた民主主義が日本はまだ自家薬籠中のものにしてないから右傾化し絶対平和主義が脅かされているというおなじみの展開がなされ、そして安倍政権が強いのは民主化が足りず、マスコミが忖度しているからだという雑な結論になる。しかしながら、民主主義と絶対平和主義は何の関係もない。民主主義はどちらかといえば戦争を生み出す。ファシズムの母体がワイマール憲法下の民主主義であったし、リベラルの皆さんが大嫌いな米国のトランプ大統領も民主主義で選ばれたわけである。もっとも中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国を民主主義と呼ぶなら、言葉の定義が違うので、これは議論にならない。民主主義というのは平和主義とは無関係である。民主主義は古代ギリシャの民主制を原型としており、これは「兵士として命をかける」ので「国政に参加する権利がある」というものである。従って、原理原則で言えば「民主主義=国民皆兵」である。民主主義が大好きな不勉強な向きには意外かもしれないが、そういうものである。もちろん原理原則の話で現在の高度な専門性を求められる軍隊や自衛隊では「国民皆兵」というわけにはいかない。

安倍政権が無駄に強いのではない。民主主義の原則が機能しているために、説得力のある対案が出せる、魅力的なコンセプトが出せる、あるいは人柄を含めてカリスマであるような有能な野党が存在しないだけである。絶対平和主義は単なる空想である。それこそ戦争を知る世代を名乗るならばそれを知っているはずであろう。それが分かっていながらこのような主張をするなら、たんなる欺瞞・偽善であり、分かっていないなら単なる馬鹿である。


以上、非常に心苦しい内容だが、こうした反論をだれかがする必要があるだろうと筆をとった次第。

2017年3月13日月曜日

教育勅語と菊の御紋

教育勅語についての報道や言及が例の森友学園騒動や防衛相の発言などから散見されるようになった。戦前は不磨の大典の憲法に次ぐものとして、戦後は一転して悪魔の標語のような扱いを受けている「教育勅語」だが、とりあえず読んでみないことには話にならない。読んでないまま批判している人も多いであろう。以下全文である。

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朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽
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実はこれだけである。明治帝が臣民(≒国民)に対して徳目を説くという形式である。解釈についてはかなり色々あるらしく現代語訳もバラバラだが、ともかく具体的な徳目についてはおよそ解釈が一致しているそうである。その部分だけの現代語訳は以下の通り。

「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以て交り、へりくだって気随、気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」

内容としては極めて常識的な徳目だろう。「君主が臣民に説いた」という形式については違和感が残る人がおおいだろうが、現代でもおよそこの程度の徳目が、いわゆる「道徳」として説かれている。「万一危急の大事」の部分も形を変えているが、まあ生きている。戦時を想定しているものだろうが、東日本大震災のような緊急事態の際にも、多くの人が「勇気を振る」って故郷や社会のためにつくしたのは記憶に新しい。

現代の目でみると、内容に過不足(何を過不足とするかは人によって見方は違うだろうが)があり、道徳の基準とするには物足りない部分が多いが、明治期のものとしては立派な内容である。むしろ問題は内容ではなくて、「形式」と「運用」についてではあるまいか。


毎度のことではあるが山本七平の議論を思い出す。日本軍の兵器についての話である。
帝国陸軍の主力火器は三八式歩兵銃という小銃である。三八式に限らず、日本の兵器には「菊の御紋」が入っている(すべてではない)。これでどうなるかというと、メーカ「天皇」、ユーザが「二等兵」という事態を招来する。山本七平の表現を借りれば「これは欠陥兵器じゃないすか」ということは「欠陥現人神じゃないすか」というのと同義になってりまう。何しろ「兵器は神聖である」「砲即軍旗・砲側即墓場」というような世界だから、ユーザである二等兵はメーカーの天皇に到底クレームを言うことはできない。

すると何がおこるか。ユーザからのフィードバックがメーカに届かないということになる。実際にはメーカは天皇ではなく、現人神でもなく、軍需産業のメーカなわけなのだが、菊の御紋のおかげで現場の否定的意見が届くことはない。するとメーカは効果的な改善ができなくなる。これがどれほど「ものづくり」にとって致命的なことか、製造業に勤める方なら説明不要であろうし、そうでなくとも容易に想像できるだろう。「クレームは宝物」「クレームはラブレター」というのはこういう意味においてである。

三八式というのは明治三十八年式という意味である。明治38年は西暦なら1905年である。1940年代の戦争の主力兵器が35年前の兵器である(九九式という新式小銃もあったが到底間に合っていない)。多少の改良はなされたが、終戦まで主力であった。一方、干戈を交えた米国は1936年に半自動小銃のM1ガーランドが配備されている。それほど基本設計の古い兵器を使いながら、ユーザの声がフィードバックされないというのは恐るべき停滞を招いてしまうだろう。否、招いてしまったのだ。

日本国憲法もマッカーサー欽定の「不磨の大典」化しているというような皮肉はさて置き、教育勅語の問題点もまさに「勅語」である点であろう。即ち、異論や反論を許さない「空気」を生み出しやすく、実際、生み出してしまったこと。そして、それを利用するものが、本来の意味を「曲解」してもそれを「曲解」と指摘しにくく、勅語それ自体も「勅」であるが故に天皇自身が改めるしかなく、継続的改善がほとんど不可能なこと、これが教育勅語の本質的な問題点であろう。左派は教育勅語を「悪魔化」することで、右派はそれを「神授化」することで、どちらも絶対化している点では変わらず、全く建設的ではない。

教育基本法でも何でもいいが、このような「法」は所詮人間の作るもので、どれほど正しそうでも欠陥があり、執念深く継続的に見直しと改善をするサイクルが必要という前提に立たないと、結局、戦前と同様の過ちを繰り返すだけになるはずである。必要なのは菊の御紋ではなく、製造業におけるTQM(統合品質管理)である。そこには日本国憲法ももちろん含む。人間が作り出したものである以上、無謬であることはできない。それゆえ、日本国憲法だけ例外などということはありえない。


教育勅語とは復活や全否定を議論するような性質のものではない。日本人が「かつて運用した教育の基準として歴史的に学ぶ対象」というのがあるべき姿であろう。自分たちの歴史として敬意を持って学べばいい。そして反省すべきは「天皇制ガー」とか「軍国主義ガー」ではなくて、神聖なものを現実世界に持ち込むと、フィードバックループが回らないという点のはずである。ボルトアクション自動小銃に立ち向かった父祖達の負け戦から学ぶべき点はまだまだある。だが多くの場合、問題の本質を取り違えていることが多い。今回の騒動でつらつら思ったことを整理してみたが、いかがだろうか。

2017年2月20日月曜日

日本的「リベラリズム」

ご多分にもれず、私は消極的自民党支持者であり、他の代替政党よりはマシという理由だけで自民党を支持している。経済政策を中心に到底支持できないことも安倍内閣は多いのだが、民進党をふくめた日本の「リベラル」と称する政党が到底選択肢になり得ないので仕方がない。また日本維新の会は到底支持できない。理由は本文を読んで頂くとわかると思うが、「維新」といいだす政治家はろくでもないという常識による。選挙というのは「クソの中からマシなクソを選ぶ」ことが民主主義ではあるべき姿なので、「ましなクソ」自民党しか選ぶところがないという状況については、それはそれでよい。ウィンストン・チャーチルの「最悪の政治家を選ぶのは難しい。これこそ最悪と思ったら、すぐにもっと悪いのがでてくるからだ。」というのが真理であろう。



日本の「リベラル」というのは何なのだろうか?知ろうともせずに批判だけするのは私の流儀ではないので、これまでそれなりに調べてみたり、国政のではないが政治家と議論したりもした。その結果の途中経過報告でしかないが、目下のところの私なりの結論は「日本の伝統的な悪しきインテリ」というものだ。左翼とかサヨクとか反日日本人とか色々いわれているが、これでは反日でないリベラルとか、いわゆる社会主義や共産主義にシンパシーを感じていないリベラルを定義できない。しかし、リベラルと自称するのは大抵「知的職業」と言われる職種に就いている(自称)インテリが殆どであり、ある意味で戦前どころか、奈良・平安の昔から存在するタイプだと思えてきたので、上述のような定義とした。

慕夏思想(ぼかしそう)という言葉がある。山本七平が『現人神の創作者たち』の中で触れたものだが、特殊な復古主義的理想主義である。「慕」は慕うという意味であり、「夏」は伝説の古代中国の王朝の名であるから、意味自体は簡単で、「夏のようになりたい」ということだ。つまり、ここではないどこかに理想的な国があり、そこと自国を比較した上で、その相違点を批判するというような態度のことである。大陸の辺境に位置する日本は、近代以前は西方からあらゆる文物を取り込んだ。平安末期まではあきらかに西方、即ち中国大陸が文化文明的に先進的であったため、日本人は「優れた文物は西方から入ってくる。」と考えていたらしい。それは裏返すと「自国の文物は西方からのモノに劣る。」と考えていたということでもある。従って、水戸光圀のような人も「明帝国」を理想とし、そこから日本を批判するというようなスタンスであった。

慕夏思想それ自体は良いも悪いもなく、中心的な文明の傍にあった辺境的文明の特質なのかもしれないが、本来は「慕夏主義」とでも称すべき集団や階層が「リベラル」という名前を名乗っていることに言葉の混乱があり、その混乱が日本の「リベラル」たちに妙な力を与えている。本来は単なる慕夏主義≒出羽守でしかないのに、あたかもご立派な思想があるかのように本人たちの自覚無く僭称させてしまっているのではあるまいか。

彼らはあくまでも「批判者」である。構造としては、「私たちは真理を知っているが、無知蒙昧な大多数はそれを知らない。(その結果、世の中が理想郷から遠ざかっている。)」というものだ。それゆえに、1.自分たちが知的階層(インテリ)であると自己規定していること、それゆえに、2.無知蒙昧な多数を指導することを使命、乃至は正義と考えていること、3.構造的に批判される立場となる与党にはなれない(なると失敗する。民進党を見よ。)こと、が彼らの本質である。従って、彼らが真理と思い込む「教義」は何でもよい。リベラリズムだろうが、軍国主義であろうが、ファシズムであろうが、共産主義であろうが同じことだ。もちろん朱子学でも大乗仏教でもかまわない。

さらに、本質的に「批判者」でしかないので、将来に向けた展望(ビジネス用語で言えばロードマップ)は持っていないし、「教義」の理解さえ不十分であることが多い。持っているのは妙なユートピア思想(理想とする「夏」)のイメージだけである。例えば共産主義の理想が達成されていると自ら看做している「ソ連」でも「北朝鮮」でも「地上の楽園」とは喧伝するものの、それではどのようなステップでそれを達成するのか?という展望は大抵皆無であって、せいぜい革命ごっこをして、象徴的に何か事を起こせばあとは何とかなる(後に続く者がでてくる)という根拠のない思い込みだけしか持っていない。

ところが、この「慕夏主義者」たちは、日本の歴史の中で一定の力を持ってしまう。そこが日本人の弱点であり、「反省」すべき大きなポイントであるにもかかわらず、問題意識さえもたれていないことが多い。この理由を解き明かしたいとは考えているが、おそらく純粋・理想を尊ぶ妙な赤心主義(赤穂事件など)や事大主義的傾向と関係があるだろうが、それはまだ研究中であるので他の機会に譲るとして、この慕夏主義者の具体例を示してみる。水戸光圀の話は記した。山崎闇斎だのというような明治以前の話は割愛する。明治以降に話を絞ろう。

226事件というクーデターを起こした青年将校たち、或いはその思想的な指導者であった北一輝、それを擁護した当時のメディアが典型的な慕夏主義者たちであろうと思う。彼らのユートピアは天皇親政の「宋学」の世界であった。その意味では「後醍醐帝」に近い心情だったかもしれない。

青年将校の首謀者の一人安藤大尉はまじめでやさしい人だっただろう。中隊長として部下の信頼も厚い将校であったそうだ。当時東北地方は恐慌の影響に加え、歴史的な飢饉に見舞われていた。貧困と飢饉のなか、300戸の部落から200人の娘が売られているというような、想像を絶する惨状だった。部下の東北出身者にはそっと自分の月給をわけるような安藤大尉だったが、北一輝や皇族、或いは他の青年将校達とのふれあいの中で、権力中枢と財界の腐敗がこの現状の主要因であり、世論はかれらにだまされている、即ち「盲いたる民、世に踊る」という状況だと考えるに至る。「昭和維新・尊王討奸」というスローガンは彼らの心持をよくあらわしているのだろう。そして安藤大尉や青年将校たちの主観では「巨悪である重臣たちを取り除くことによって、天皇親政の理想郷が実現する」というのが正義となった。しかしクーデターは失敗し、彼らの主観では巨悪の、しかし実際には有能かつ民のことを考えた大蔵大臣高橋是清を殺し、彼らの主観では自分たちが尽くしているはず(=自分たちを支持してくれるはず)の昭和天皇に拒絶され、反逆罪で処刑されるに至る。

結局、「天皇親政」という理想郷を設定して、現状をただ憂いて批判するだけで、自分たちの理想に向けたステップを粘り強く推進するというようなロードマップを考えず、単純に「クーデターを起こせば何とかなる。自分たちは理想の捨石となるのだ。」というようなヒロイズムにとらわれ、与党になる、即ち、「軍の中枢に上り詰めて改革・改善をする」という王道を行かなかった。

厳しいようだが、幼稚な理想主義であり(命を懸けてのクーデター未遂は一定の敬意を表すが)、北一輝のような慕夏主義的インテリに共鳴し、新聞紙上を賑わす「昭和維新」的な「悪しき」インテリに呼応することで「国家社会主義」という理論的根拠を得たような気になって自滅したというのが、226事件の顛末であった。

国家社会主義といえば、ナチス党である。山本七平によれば、青年将校たちはこぞってナチスドイツの将校たちの真似をしたそうだ。青年将校の理想郷は(彼らの妄想する)第三帝国であったのだろうか。

戦後は丸山真男を始め、いわゆる左翼インテリが慕夏主義者であった。ソヴィエトを理想郷とし、社会主義理論を振りかざし、「連帯(共産主義革命)」をスローガンとして、クーデターですらないデモを起こしはするものの、政権奪取の展望は無く、ただひたすら自民党と戦前日本の批判者として一定の影響力を持ち続けた。彼らは決して与党精神を持つことなく、226の将校たちのように命を懸けることもせず、ひたすら批判しただけである。こちらについては解説不要だろう。だいぶ力が弱まっているとは言え、現在でも彼らは健在だからだ。彼らの教義は「共産主義」→「社会主義」→「リベラリズム」と変遷しているが、それ自体に意味はない。ただ、世界情勢が変わって、正義を気取るためのトレンド、あるいは変遷する理想郷を追いかけているだけである。繰り返すがただの批判者であるため教義は何だって良いのである。

ただし、メディアが煽りすぎて政権を奪取してしまうと、そもそも与党精神、あるいは当事者意識が欠けているため、旧社会党や旧民主党のように政権担当能力は皆無であることを露呈してしまう。

「慕夏思想」は日本人の弱点である。思想の左右を問わず、なぜか「慕夏思想の悪しきインテリ」一定の力を持ってしまう。その理由の一つとして慕夏思想に戦前・戦後一環して忠実な「朝日新聞」に代表されるマスメディアの存在があるだろう。226に対しては減刑運動を展開し、軍人もびっくりの軍国主義を煽り、戦後は言わずもがなである。

結局、日本のリベラルは「リベラリズム=自由主義」とは無関係である。それは単なる慕夏思想による体制批判の「心情」を持ち、正義に「自己陶酔」する特殊な理想主義者の一団でしかない。それを一定数がなぜ支持するのかは、また稿を改めて考えたい。

2017年1月26日木曜日

減点法、或いはノーコンティニュークリア

誰にだって難しいが我々日本人が特に苦手にしているのがいわゆる「損切り」である。投資用語としては解説不要だろう。しかし投資以外のビジネスの現場でも「損切り」が下手だと感じることがある。例えばある企業で何か新規事業をはじめたとする。アイデアを出し、企画書を作り、事業計画を立てたとしよう。欧米発のビジネス理論が一般的になっているので、当然その中に含まれてはいるものの、ついぞ実行されない計画がある。それは「撤退プラン」である。新規事業は難しい。新規性が高く、画期的(と企画者は信じる)であればあるほど、成功の確率は低い。千三つ(3/1000)の確率でしか当たらないと言われている。撤退プランには撤退条件が書かれている。例えば「2年以内に黒字転換しなければ」や「3年以内にXX億円の売上・X千万円の粗利に到達しなければ」などである。だが、これはまず実行されない。撤退条件は案外簡単に現実化する。というよりその可能性の方が圧倒的に高い。だから撤退プランはいつでもどこかで発動していなくてはならないはずだ。しかしこれがなかなか出来ない。これまでに注いできた労力が水泡に帰すと同時に「失敗」の烙印を押されることを非常に恐れるからだ。その結果、赤字を垂れ流しながら事業を継続し、あるタイミングで特損を出して会社自体が左前になるなどということは珍しくない。

なぜそこまで失敗を恐れるのだろう。
どうもわれわれは人や事業を「減点法」で評価するのではあるまいか。一人の最初の持ち点は100であるとしよう。つつがなく日々の業務を全うしているだけでは持ち点は維持できない。雇用者や上官が期待する内容をこなし続けて初めて持ち点が維持される。飛びぬけた成功があれば持ち点が一挙に増えることはある。だがそんな大成功は滅多にありはしない。すると結果を出し続けつつ、如何に失敗しないかというのが評価の基準となる。万一失敗してしまったら、それを取り戻すことは難しい。例えば-50の失敗をしたとしよう。「結果を出し続けつつ、失敗しない」というのはなかなか大変な努力が必要だ。それでさえ、毎日少しずつ目減りする評点を維持するのが精一杯だ。たとえば毎日何もしなければー1になるとすれば、毎日の努力は+1程度の評価になる。だが、失敗は簡単かつ短期的にー50の評価を招いてしまう。そうすると、普通に努力しているだけでは持ち点は50のままであり、日ごろの倍の努力で少しずつ51⇒52⇒53となるだけだ。三倍で53⇒56としていくこともできるが、とても身体が持つまい。その結果として、人は極度に「失敗」を恐れるようになる。むしろ「失敗の責任者」であることを極度に恐れるようになるだろう。だからこそ「失敗の責任」を少しでも回避すべく立場を利用して「部下」を中心とした他者へ責任を転嫁するようになる。


ではなぜ減点法で評価するのか?おそらくこれは農耕民族、それも北限での稲作民族であるという歴史と無縁ではあるまい。南方での農業であればそれほど神経質にならずに米を作ることはできるだろう。何しろもともとが南方原産のものなのだから。しかし、北限の米作ではそうはいかない。丁寧に手入れされた田んぼを作り、種籾を発芽させ、病虫害に気をつけながらそれを植える。明確な四季があるために、田植えのタイミングも水の調整もシビアだ。しかも稲作は重労働かつ労働集約的で、人の流動性に弱く、極度の協調性を要求される。何しろ失敗すれば稲は全滅し収穫ゼロもあり得る。これほどの努力を日々続けて得られるものは当初植えた田んぼの面積とほぼ等しい(若干少ない)収穫である。それを1000年以上続けてきた民族が我々なわけだ。これは減点法の評価が我々に染み付いている大きな原因の一つだろう。

更に日本人は言い訳を嫌う。少なくとも言い訳をしないことに美学を感じる。言い訳には釈明という側面もあるが、失敗の原因を特定して対策を立てるという機能もある。だが稲作は作業として確立されており、失敗の原因追及は不要だ。だから失敗があるとすれば個人の都合による「サボり」なはずである。従って言い訳はただ個人の責任回避の為でしかないはずで、それは組織労働のノイズでしかない。だが稲作のような確立された作業以外でも「言い訳するな!」で封じられる。その結果、原因特定はほぼ不可能になり、原因追求はなされなくなり、組織的思考停止に陥る。

さて、農業は天候に左右される。台風等の自然災害はもちろん、冷夏でも、多雨でもだめだ。ある条件下でイナゴでも大量発生しようものなら、あっという間に作物は全滅する。これは今でも人知を超えており、回避することはだいぶ出来るようになったものの完全コントロールすることはこれからもできそうにない。

それなら出来ることはなにか?西洋人なら神に祈ったであろう。日本人も神には祈っただろうが、あいにく日本の神々は一神教の神々のように全知全能ではない。だから神々にもそこまで期待できない。
できることと言えば「不吉なことが起こらないように」と心中で祈ることだけだ。そうなると「不吉な」言葉を忌避するようになり、その言葉を使う人間を同じく忌避するようになる。言霊信仰といってもいいが「縁起でもない」というやつである。こうなると失敗は不吉そのものなので、それを分析することは難しくなる。「言い訳」は後付でなされた不吉な予言のようなものだから(事後予言という)、到底受け入れられるものではない。撤退プランとは最悪のことを想定して被害を最小限に食いとどめるためのものだが、その想定すら不吉なものであり、非常に忌避されるようになる。これは我々が失敗を直視・分析できず一度ジリ貧になるとそこから抜け出せない理由の一つであろう。そして失敗者は「不吉」なのだ。誰が二度と使うものか。

減点法で評価され、言い訳はゆるされず、ノーコンティニューで事を成さなくてはならない。これがわれわれの社会であることをまずは直視する。この体質は戦前も戦後も変わっていないように私には思える。この体質は平時には非常に効率的になる。平時とは「目的と手段が明確であり、ルーティンや決まった手順をこなすと目的が達成できるような状態」のことである。大正デモクラシーから昭和初期にかけて、あるいは戦後の高度経済成長期からバブル崩壊までは「何をどうすればよいのか」がわかっていた時代であり、それゆえに比較的日本は力強く成長していた時期である。この場合、日本の減点法はかなり協力に作用する。強制しなくとも末端まで役割を理解して、高い品質かつ効率的に物事をすくめていくことができる。

しかし非常時はそうはいかない。非常時とは「目的は自明ではなく、手段が不明確であり、成功の手順がだれにもわからない状態」のことである。戦時はまさしくその状況であり、バブル崩壊後の日本もその状況であろう。こうなると我々はうまく仕事をすることがむずかしい。減点法ということはどの状態が満点なのかが判っているということだ。それは平時である。軍隊においては戦争をしていない時期のことであり、ビジネス(なんであれ市民生活)においては、何をどうすれば勝てるのかが判っている時期のことである。しかし非常時にはその基準が揺らぎ、流動的になっているので、自ら試行錯誤を続けなくてはならないし、誰かが大枠の方向性を(それが間違っているとしても)示し、そこに向けて柔軟に組織ややり方をスクラップ&ビルドしていかなくてはならない。

しかし、大枠の仮説を立て、スクラップ&ビルドを繰り返すことに「減点法」「言い訳無用」は適さない。帝国陸海軍の上層部の評価の基準はまず学歴である。陸大、海大卒業時の成績順に出世が決まる。海軍では成績順にハンモックの位置が決まっていたのでハンモックナンバーという。陸軍では成績優秀者に下賜された時計に因んで「金時計組」という。その序列に従って出世が決定した。
平時ならそれでよかっただろう。ところが戦争に突入してもこれ以外の基準を作り出すことができず、出世は一に学歴であった。米国のようにキンメル提督が更迭され、ミニッツが提督に抜擢される(士官学校での成績はあまりよくないが、実戦では抜群だったらしい)ようなこともなかった。
兵器はどんどん進歩し、それに伴って戦術はどんどん変わっていってしまう。しかしながら学校での成績は過去の内容を覚えてアウトプットするペーパーテストが基準になるので、むしろ柔軟に対応していくことは成績優秀者ほど難しくなる。平時なら米国でも学歴で出世が決まる。だが、非常時には「抜擢」による柔軟な組織運用や過去にとらわれない「大枠の仮説」(これを戦略という)ができる人間に任せるべきことを米国は知っていた。

成績優秀者で上層部に入った人々はその時点まで、平時の基準でノーコンティニュークリアを繰り返してきたので、「軍隊と戦争のことは何でも知っている」と自己規定している。だが、現実はどんどん変化していき、その知識や経験はあっという間に時代遅れになる。しかし、すべてを知っていると自己規定しているので、意見には耳を貸さず、自分の知識や経験の中で、現実を把握しようとする。かといって失敗を分析しようものなら、不吉なものに触れないという言霊信仰が頭をもたげてくる。分析しようとした人は「敗北主義者!」という烙印を押され、左遷や冷遇されることになる。(沖縄での八原高級参謀のように)

その結果、平時のやり方にただ固執し、ひたすらそれを繰り返すということになる。否、なった。帝国陸軍は「砲撃」⇒「突撃」⇒「占領」というやり方に固執したため、射程外からの戦艦による砲撃(艦砲射撃)により、大砲群を破壊し、連射ができる自動小銃や機関銃を大量に配置し、突撃してくる敵軍をなぎ倒す、という米軍の新戦術に対応できず、ひたすら「玉砕」という名の全滅を繰り返した。それは戦術をスクラップ&ビルドから新たに構築するということが、失敗したときの再起が難しい「減点法」という評価に阻まれた結果のひとつだっただろう。

もちろん帝国海軍も同じである。第二次大戦の時代、すでに戦艦は時代遅れであった。戦艦は更に強力な攻撃兵器である航空母艦と航空母艦が運用する大食いの「飛行機」という兵器を運用するために必要な補給艦や兵員を輸送する輸送艦を護衛する役目しかなかった。だが、帝国海軍はそれを理解していながら、「撃沈した敵艦の種類による査定ポイント」という時代遅れの評価に固執し、その結果補給艦や輸送艦を叩かず戦艦や巡洋艦ばかり狙った。その結果は当然ながら、各戦域において敵航空母艦と大兵力による蹂躙を許し、帝国海軍は壊滅した。

最終的にとられた戦術は陸軍も海軍も共通して「特攻」である。結局のところ作戦としての「特攻」とは、どれほど言葉を飾ってみたところで、現実に適応しきれなくなった上層部がすべてを投げ出してしまったということなのであろう。

流動化しているビジネスの環境。もはやどうすれば「勝てるのか」は不明確であり、プロダクトやサービスは当然の前提として「ビジネスモデル」の勝負になっている。この環境の中で「減点法」という評価方法を制度的・表面的にでなく、文化的・根源的に克服しないと企業をはじめとした日本の組織は帝国陸海軍の轍を踏むことになるだろう。失敗しつつある事業を「損切り」し、失敗から何かを学び、新しい事業を始め、また撤退し、また始める。これが我々は未だに苦手だ。かつてなら「死んでいった英霊に申し訳ない」となり、今は「これまでの投資をどう回収するんだ!」となる。

ウチの会社は旧軍とは無関係、それは歴史の彼方の話と思うなら、それはそれで仕方がない。また同じ失敗を繰り返すことになるだけだ。これは日本人が逃げてきた「反省」の大きなポイントだと、同じ弱点を持っている私は考えている。


2017年1月21日土曜日

志願の強要とブラック企業

2013年に公開された百田尚樹原作の映画『永遠の0』は、マスメディアの無視に近い扱いにもかかわらず大ヒットを記録した。丁度、宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』と公開のタイミングが近かったこともあって、ゼロ戦ブームを呈していた。『永遠の0』は天才パイロットであり、「腰抜け」とまでいわれても、「死ぬこと」を忌避したゼロ戦のパイロットが、最後は自爆攻撃である特攻を志願し、戦死したのは何故か?ということが物語の骨子となっている。

特攻、正確には特別攻撃は、帝国陸海軍が戦争末期に米軍に対して反転攻勢の可能性がなくなった際にとられた組織的作戦であり、特攻隊員の死を前提に、飛行機・潜水艦・モーターボート・潜水士などが爆弾を抱え、敵艦・敵機に突入するというものである。一般には飛行機で敵艦に突っ込むことと認識されているが、実際には人間が操縦し突入する魚雷「回天」や、粗末なベニア製モーターボートで突入する「震洋」、潜水士が竿の先に爆弾を括り付け、敵艦を下からつついて自爆するという「伏龍」など、さまざまな手段がとられた。また、米軍による空襲が激化し、ボーイングB29という超高性能な爆撃機への対抗として、空対空特攻も行われた。

これらはすべて、「隊員の死」を前提に立案された作戦(その名に値するとして)であり、組織的にこれを行った国は日本しかない。普通に考えると「体当たり」しか方法がなくなった時点で、もはや戦争の勝ち目はなく、速やかに降伏を模索すべきであっただろうが、そうしたマクロ的な分析は他に譲ろう。ここで考えたいのは「志願」という問題である。

特攻は原則「志願制」という建前を取っていた。当然といえば当然で、絶対に死ぬ文字通りの「必死攻撃」なのだから、命令としては「死ね」ということになる。いくら帝国陸海軍とは言え、これはできない。作戦の上である部隊の全滅を前提に立案されることはあっても、ここの兵士に「死ね」というのは命令でできることではない。出来る出来ないは別にして「敵爆撃機を索敵(探すこと)し、これを殲滅せよ」という形でくるのが命令であって、その結果生き残る可能性が限りなくゼロであってもこれは命令として成立する。しかし、「死ね」というのは命令ではありえない。

それではどうするか。命令できないのなら、志願を募るほかない。ボランティアということになる。「特攻隊として突入してくれるものはいないか?」というわけである。その場合、記名式の志願確認用紙に志願の意思を記載して提出するパターンが初期には取られていたようだ。選択肢は3つ、「熱望する」「希望する」「希望せず」である。そして多くのケースでほとんどの兵士が「熱望する」に○をつけて提出したという。これを受けて左側からは「洗脳が徹底していたからだ」とか「皇国教育のせいだ」とか、右側からは「滅亡の淵にある母国を救うために若者はみな志願したのだ」という理解にたつ解説や評論を目にする。しかしこれは本当だろうか?考えてみよう。あなたが今、帝国海軍航空隊のパイロットだとしよう。あなたの所属の部隊で特攻隊員の募集がなされた。提出期限は明日の朝だ。さて、どうするか。

「志願せず」に○をつけるだけだというかもしれない。しかし軍人教育がどうのとか、時代の空気がとは別に、自分が志願しなくともだれかが行くのである。そのことはかなり重い条件になるだろう。その誰かはあなたの親友かもしれない。かと言って死にたくはない。もちろん特攻要員の人々の気持ちなど私に分かるはずはない。しかし葛藤しつつ「自分で決めさせるな。むしろ命令してくれ。」と思うのではないだろうか。それならば、責任は上官や上層部にある。しかし、ここで兵士に選ばせることで、作戦立案の責任は上層部が負うにせよ、具体的かつ個別の死についての責任は本人にある形になってしまう。それならば「熱望する」に○をつけて、上層部に下駄を預けてしまい、自分の死の責任を取ってもらうほうが遥かに気が楽になるのではなかろうか。また、時代背景として「希望せず」を選んだ場合、まさに『永遠の0』に描かれていたように「臆病者」「腰抜け」という評価が、上官にも同僚にもされる。想像するしかないが、これは非常に厳しい位置であったはずだ。時代背景、また軍というものは「勇気や名誉」を非常に重んずる。いやむしろ、これらを無上の価値として位置づけている。

現実にはほぼ全員が「熱望する」に○をつけた。上層部は結局誰が出撃するかを任意で選ぶ状況となった。「志願」という形を経たことで多少の免罪符は手に入れたかもしれないが、このような形の「志願」を果たして「志願」といいうるだろうか?

さて、このような問題は現代日本では無関係なのかと言えば私にはそうは思えない。このような構図は至る所に見ることができる。特に企業において顕著に類似する構図がある。例えばある営業マンが苦境に立たされたとする。その際に上司が部下を指導するという観点で「どうするのか?」と問い詰めることがある。これはある意味当然で、その営業マンが自分で解決策を考えて実行することができるようになるという成長には不可欠であろう。しかしこの場合にはその上司が問題を解決する力があり、かつ部下を育成する気があるというのが大前提である。だが、往々にしてそうではないことがある。

例えば達成不可能であることが分かった売上予算があるとする。この場合、この部門の管理職は達成可能な予算にまで修正し(様々な見通しや言い訳や来期見込みなどを揃えた上で)さらなる上位者にそれを報告し、修正予算を呑ませる。そして部下には「ここまでは何とか必達してくれ」というハッパをかけるというのが普通であろうし、あるべき姿だろう。
しかし、いわゆる「ブラック」だとこうなる。売上予算が達成不可能であることを把握した上司は、部下にできもしない訪問数や売上を強要する。しかもこれが志願という形をとるのだ。「どうするんだ!」「いえ、私は」「言い訳はいい!どうするんだ!」「いえ、私は」「400件訪問すれば予算に届くだろう!」「とても一月で400件も・・・」「言い訳はいい!やるのかやらないのか!」「いえ、私は」「お前のせいでチームメンバーに迷惑がかかっているんだ!やるのかやらないのか!」「・・・やります。」
当然、予算どころか、それを達成するための訪問数というKPIさえ達成できない。このタイプの管理職はここでこう言う「お前がやるというからやらせたのに出来ないとはどういうことだ!」これは要するに志願の強要だ。単なる責任転嫁でしかない。あるいは管理者の無能を示しているに過ぎない。そしてここから、旧軍にあった「恥を知れ!」「処決せえ!」「特攻に志願する者は前に出ろ!」という自殺の強要との距離は近い。

会社員が過重労働のため自殺するということが時折ニュースになる。しかし私の経験から「人は長時間労働だから自殺したり過労死したりする」のではないと言える。ただ長時間働いたら自殺するならば、ベンチャーの経営者はほぼ全員が自殺せねばならない。そうではなく、上述したような「悪しき圧力」を受け流したり、無視したり出来ず、まともに受け取ってしまうと「責任感ゆえの無力感」で追い詰められ、まともな思考力を奪われ自殺するのだ。かつて「軍隊は要領」と言われたそうだ。山本七平によればこの要領とは「気迫演技」だそうである。言葉を受け流して外面だけ緊張感を漲らせ青筋を立てて動作すれば、「やる気がある」とみなされ優遇されたという。そういうことができないと、死地に追いやられる。実質的にこれは「志願の強要による他殺」である。だが、今も昔も真の責任者は責任を問われない。昔上官、今上司というわけだ。(メディアとITのおかげで多少は是正されるようになったことが、昔よりマシだが、そのような救済に預かれるのはニュースソースになりうる大企業や話題の企業での犠牲者ぐらいだろう。)

旧軍の中にある思考様式を「反省」しないまま、われわれは戦後を生きてきた。旧軍の悪しき「文化的遺伝子(ミーム)」はいまだに我々のなかにある。順調な時は顔を出さなくとも、逆境において「悪しき日本軍の亡霊」は我々の中によみがえる。これは我々の弱点のはずだ。無意味なスローガンや当初計画に対するしがみ付き、それに伴う無意味な「特攻/異常な過重労働」。そしてそれを助長する我々の思考様式。これを克服せずには先の戦争を反省したとはいえまい。帝国陸海軍は消滅した。だがそのミームは残っている。むしろ軍隊がなくなってしまった為に普通の市民生活の中に顔を出しているのではないか。

長くなったので章を改めて書きたいと思う。
※ちなみに「何を反省するのか?」シリーズです。

2016年12月27日火曜日

何を反省するのかという問い

1945年の大東亜戦争の敗北、そこから続く1952年までのGHQによる軍事占領、そして戦後の経済復興、バブル期、そして今日の長期停滞。少し前の絶望感や閉塞感は少し和らいだものの、相変わらず私を含めた多くの日本人はある種の「停滞と諦観」の中を漂っているように思える。具体的には自分が置かれた状況、たとえば賃金、たとえば承認欲求等が、大なり小なり好転することはないという慢性的なペシミズムの中にいるようなことだ。

他方、いわゆる「グローバリズム」がバズワードを超えて、ブレグジットやトランプ新大統領の誕生のような、それに対する反動の動きが出てきたとはいえ、 ひとつのイデオロギーとして字義通り地球全体を覆っている。そこには様々な観点で問題点を見出すことができるが、殊、日本においては経済ジャーナリズムを中心に相変わらず「閉鎖的」「語学力の不足」「構造改革の不足」が叫ばれ、あげくに発展性のない特殊化した閉鎖系の世界としての「ガラパゴス」というような評価がなされている。そのことがただでさえ自分を過小評価する多くの日本人にとって、自信を掘り崩す結果となり、そのペシミズムを強化しているのではなかろうか。

実際に多くの日本人は語学ができない。語学といってもここでは英語のことであるが、近年急速に発達したSNSにおいても、日本語圏での閉鎖系でのコミュニケーションとなり、実際に海外において日本がどのように評価され(それは決して低い評価でないことが多い)、どのように見られているかが日本人には伝わることがなく、ペシミズムのフィードバック・ループの中に落ち込むことを散見する。

「日本的経営の破綻やブラック企業の横行」「少子高齢化と長期需要不足によるデフレーション」 「イノベーションの不足やマネタイズの失敗」などの問題に集約される「日本的な問題」がここ20年ぐらいのニューストレンドとなっている。ジャーナリズムそれ自体の問題はあるにせよ、これほど長く同一の問題が世の中に流通し、しかもそれが一向に解決しないにもかかわらず「グローバル化と多様性」をその処方箋として叫ばれ続け、小泉改革と金融ビッグバン、労働規制の緩和、TPP参加検討、累進課税の緩和などの文字通り構造的改革を継続してきたにもかかわらず、あまり事態が好転しているようには思えない。

私は一介のビジネスマンに過ぎない。世界経済を精緻に論じたり、金融工学を解説したりする力はないし、またその意図もない。ただ、ビジネスの現場で感じ取ることや、社会人として見聞すること、また多少の読書などから、自分なりにこのペシミズムに対してジャーナリズムが喧伝する処方箋以外の処方を考察してみたいと思う。答えを出すというようなことはできなくとも、ジャーナリズムや評論家とは異なる観点で、そもそも何が問題なのかという「問い」を立てることぐらいはできるかも知れない。

大雑把にいって、「日本的経営の破綻やブラック企業の横行」「少子高齢化と長期需要不足によるデフレーション」 「イノベーションの不足やマネタイズの失敗」という問題は、新自由主義的政策による構造改革によって、実体経済から自立した金融市場の発達による企業活動の阻害(長期的投資の後退と短期的投機の発達)、所得の不平等な再分配から来る一般的な社会的余裕の欠如、グローバル成功企業や成功したと見做されている者との比較からくる人々の自己不全感と言い替えてもいいだろう。単純化すると、「不平等で余裕のない状態」である。これらの構造的な経済問題や社会問題はそれぞれの専門家に任せるとして、ここで着目したいのは、「不平等で余裕のない状態」に対して、一般の日本人や日本の組織がどのように振舞い、それがどのような結果を生むのかである。

一般に、逆境の時に人はその本性を見せるという。おそらくこれは集団に当てはめても同じであろう。というよりも、人々が集団になり、最大公約数的になったときにその集団の本性というべきものが見えるように思う。そしてその「逆境の際の振る舞い」がどのような結果をもたらす可能性があるのかという事を考察するために、過去の危機的状況を振り返ることも無益なことではあるまい。近代において日本の最大の危機が太平洋戦争(大東亜戦争)であり、日本の近代的組織の嚆矢であり、その最大の物が帝国陸海軍であったことは間違いない。

近年、1984年に発表された『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』という本が再刊され、ビジネスマン界隈で話題となった。この本は組織論的、戦術的な側面から帝国陸海軍の失敗を研究したもので、さまざまなケーススタディの後、「組織的学習に失敗したため、同じ失敗を繰り返す結果となった」というのが結論である。ではそもそも、なぜ組織的学習ができなかったのか、あるいは破滅に向かって突き進むことを知りながら、それを食い止め得なかったのかという考察が個々のケーススタディではある程度追求されているものの、書籍の趣旨からすれば当然なのだが、あまりにも組織論によりすぎているように感じた。
それならば「組織の形」、たとえば機能別とか事業部制、あるいはマトリックス型に変換さえすればそれが防げたのかと考えると、そうとは思えない。組織論的にこの問題を捉えることの限界であろうし、またアカデミックな人々による研究の限界点でもあるように思う。もちろん、一般の(市井の、あるいは凡百のと言い換えてもいいが)人々からは出てこない、精緻な研究に基づいたマクロ的な観点での研究結果が無意味といっている訳ではない。しかし、その書籍を読むであろう我々のような市井の一般人には「へえ、そうか」という言葉は出てきても、実生活に引き付けて考えたり、参考にしたりすることが難しい。

そこで、もう少しミクロな観点から、帝国陸海軍における失敗を眺め、それを現代日本を生きている一介のビジネスマンが体験するような出来事と比較しつつ「なぜそうなるのか?」という問いを立ててみたい。これは山本七平が「空気の研究」などで試みたことの極小版であるかもしれないが、山本七平がそれをあらわした1980年代から、何が変わり、何が変わっていないのか、そしてそこから参考になることはないのかという点から見ても意味のないことではあるまい。

別の観点として、普通に生活しているだけでも、現代日本は「思想の転換」が起きているように思える。ある種のイデオロギーが崩壊しつつあり、しかしそれに変わる受け皿としてのイデオロギーが見つからないという風に私には見える。特にインターネットによる影響は非常に大きく、ネット空間の影響が実社会に強く作用していることは肌身で感じ取ることができる。その中で、あえて「あの戦争に対する本当の反省とはなにか」という古いが、未だに社会的な意義のある問いを考えてみたい。

なぜなら、社会的ばバッシングやネットでの「炎上」につながる原因として、「あの戦争をどう考えるか」があるからだ。つまり、未だに人々を強く拘束する何かがあるということだろう。それは普通に考えると建前と本音が大きく分離している状況であり、あるいはタブーが強く作用していることに起因しているだろう。そしてタブーとは「見ないように見ないように」している何かがあるということである。そう考えると「一億総懺悔」といわれた「反省」とは何だったのだろうかと考えるのは私一人ではあるまい。反省とは「自分のしてきた言動を省みて、その可否を改めて考えること(デジタル大辞泉)」であるという。ならばそろそろ、「一億層懺悔」という「反省」を反省し、戦後を反省してみるということが必要なのではないだろうか。その材料として、帝国陸海軍の時代から何が変わり何が変わっていないのかを改めて「省みる」ことも無益ではあるまい。