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2017年6月11日日曜日

Zero fighter. In other words, the glory of Japanese Navy

産経ニュースの「零戦」に関する配信記事が右寄りの新聞の割にかなり雑だった。雑というのは異論の多いことをあたかも定説のように書いており、さらに強調していることである。あまり興味のない一般人に広く紹介する記事にもかかわらずこの雑さはいただけない。「現用飴色」論争という、航空評論家でイラストレータの野原茂氏が言い出した「零戦の色」に関する「珍説・新説」に関する論争がある。端的に言ってマニアにしか用のない馬鹿馬鹿しい話なのだが、米国と違ってカラーフィルムの技術がなかった日本の機体は、文献と証言に頼るしかなく、このような水掛け論的な論争が始まる余地がある。野原氏の議論は矛盾と不備が多く、ある一つの文献に在ったという「わずかに飴色かかりたる灰色」を「飴色」と強弁してしまっている。普通「わずかに飴色かかりたる灰色」は「灰色」だろう。他の文献にも誤謬が多く、野原氏の説は信用できない。研究者や知見者はおよそ飴色に否定的、商業ベースは飴色に肯定的というのが現状である。

模型ファンにしか用がない話はこれくらいでやめよう。先日千葉県は幕張で開催されたRedBullエアレース2017を観戦してきた。初めて観戦したのだが、さすがはレシプロ機の最高峰レースの一つ、「空のF1」と呼ばれるだけのことはあって物凄く面白い。テレビ画面で見ていてもさほどではなかったが、クルマなど問題にならない高馬力、高回転のエンジン音が心地よく、アクロバティックなレースを観ていればの細かいレギュレーションの意味もわかる。なんと言ってもスケール感やスピード感を間近で観られる臨場感が素晴らしい。しかも結果は日本人レーサーである室屋義秀選手とチームファルケンが優勝した。

エアレースには空の祭典という位置づけもある。クルマやジェット機と違ってなかなか間近で観られる機会のないプロペラ機(レシプロ機)が高度20−50mを飛び回る祭典には、やはりレシプロ機の最盛期だった第二次世界大戦時代の機体が観たいものである。ジエットという技術革新のあと、レシプロの高性能機を作る意味は失われ、あの当時以上の飛行機はもう永久に現れない。今回のエアレースではブライトリング社が所有する、1940年製(!)のダグラスDC-3と、レストア(修復)された三菱 零式艦上戦闘機がデモフライトを行なった。世界中に4機しかない飛行可能なレストアされた零戦のうちの一機であり、熊本大震災の際にもくまモンのロゴをつけて飛んだ企業を含む有志「零戦里帰りプロジェクト」によるもので、戦後初の日本人パイロットによる国内飛行だった。映像ではロシア製の新造機を含め飛翔する零戦を何度も観ているが、この目で零戦のフライトを観たのは初めてだった。私が観た日は予選の日で、チェックのためかランディングギアを出したままの飛行だったが、夕暮れの中をゆっくりと脚を出したまま飛び去る零戦はあたかも「帰投(帰還の海軍用語)」のようであり、非常に感動的で、観客からも歓声が上がり、それぞれが手を振っていた。

さて、産経新聞の紹介があんまりなので、零戦について簡単に紹介したい。ただあまりにも有名な零戦については良質な専門書も山ほど出ているので、ちょっと聞いたことはあるけどというような人向けにごく簡単に書いてみたい。新聞よりはマシな紹介になるといいのだが。



零戦(ゼロセン•レイセンどっちで読んでもいい。どちらも戦時中から使われていた。)は帝国海軍航空隊が運用した戦闘機である。当時の日本は空軍がなく、陸軍と海軍がそれぞれ航空隊を持っていた。これは米国も同じである。1940年、即ち皇紀2600年に採用されたため、当時の命名規約に則って下の2桁00から「零式」となった。だから、一年前に採用された機体は99式である。正式名称は零式艦上戦闘機(この場合は「れいしきかんじょうせんとうき」)である。艦上というのは航空母艦(空母)で運用することができるということである。空母は案外小さいので、普通の飛行機は滑走路が短すぎて離着艦できない。だから、海軍というのは今でも専用の機体を運用しているものである。

戦闘機というのは敵の飛行機を叩き落とす(撃墜する)ための飛行機である。だから、高速かつ身軽でなければならない。さらに武装が強力なら申し分ない。相手よりも速く、すばしこく、武装が強力ならば圧倒的に有利である。しかし、これらの条件を同時に全て満たすのは難しい。なぜなら、速いということは素早いことと矛盾する。ちょっと考えるとわかるが、クルクルと素早く動き回るというのは旋回性能が良いということである。蝶はヒラヒラと飛ぶ。そして予測不能にクルクルと動き回るから、狙いが定めにくく鳥もあまり狙わないそうだ。なぜこんなことができるかというと、体の大きさの割に翼の面積が大きいからだ。だから非常に素早く、ヒラヒラと舞うことができる。だが翼の面積が大きいとトンボや蜂のように高速で飛ぶことはできない。スズメバチなどは体の割に翼が小さいが、蝶よりもはるかに高速で飛翔できる。だが蝶のようにヒラヒラと舞うことはできない。これが、速さと身軽さ(速度と旋回性能)の矛盾である。更に武装が強力という条件は重量を増すことにつながる。戦闘機の部品でエンジンを除けば武装(大抵は機関銃)がもっとも重い。銃というのは基本的に重ければ重いほど強力なので、強力な武装を積むと、明らかに身軽さに悪影響を及ぼす。エンジンの出力が小さければ速度も落ちる。

ところが、零戦という飛行機は、それを高いバランスで実現させてしまったのだ。1940年当時の基準では速度は一流(500km/h以上)、旋回性能は超一流、武装も当時の水準を抜いたものであり、さらに長時間かつ長距離飛べるという万能っぷりであった。言ってみれば、ボクシングも柔道も強く、短距離走も速く、マラソンも強いという訳のわからない戦闘機であった訳である。普通は「どれか」に優れているものだが、「全て」に優れているという途方も無いことである。当時は軍事大国ではあっても後進国、航空技術など西洋の猿真似(残念ながら1930年代前半までは当たっている)と思われていた日本がこのような万能戦闘機を生み出したことは画期的な出来事であった。戦争が始まっても、先に中国戦線で戦っていたアメリカ義勇軍からの「日本軍の戦闘機は超一流だ」という報告をアメリカ軍やイギリス軍は信じることができず、開戦からおよそ2年間はどちらも零戦に圧倒されてしまう。何しろ、味方のどの飛行機よりも速く、素早く、強力なのだ。敵うはずがない。ゼロというネーミングも手伝って、神秘的なレベルでアメリカやイギリスのパイロットに恐れられた。

これが大げさでないことは1941年の米海軍航空隊の訓示に現れている。「次の場合は戦闘を放棄して良い。1.雷雲に入った時 2.ゼロと遭遇した時」この訓示を聞いた時、誇り高いトップガン達はどれほどプライドが傷ついたことだろう。だが、黄色い猿が作って操縦しているはずの零戦にはどうしても歯が立たなかった。例えば強力な武装を例に挙げてみよう。今日のジェット戦闘機にはミサイル以外に機関銃も付いている。機関銃は進化したバルカン砲だが、最新鋭かつ最強と呼ばれるアメリカのF-22ラプターの機銃の口径は20mm(直径2cmの弾丸が打ち出されるということ)である。では零戦はといえば、なんと同じく口径20mmである。つまり、戦闘機としては時代を先取った最強に近い武装である。当時のアメリカの機銃はほとんど7.7mmから12.7mm。これに加えて一流の速度と、そしてこれは大戦末期まで揺るがなかった素早さ(旋回性能の高さ=格闘戦の強さ)が加わり、初期の頃のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は一説には50:3(零戦が50機撃墜する間に3機しか墜とされない)ということもあったそうだ。

だが、非常識なまでに高性能な戦闘機には、非常識な弱点がある。アリューシャン列島で不時着した零戦を徹底的に調べ上げた米軍は弱点を見つけた。速く、素早く、パンチ力がある戦闘機を実現するために設計者の堀越二郎技師のとった方法は徹底的な軽量化だった。骨格に当たる桁にも軽量化のために孔を穿ち、操縦席のシートさえ穴だらけである。増してや防弾板など以ての外。そしてそのため、比較的脆弱であり急降下速度も遅く、高速時のカジの効きも悪い。ほんの些細な弱点かもしれないが、そこをつかねば勝てないし、アメリカのパイロット達は日本のパイロットよりも高い柔軟性があった。それ以降、対零戦の戦法を確立し少しづつ、しかし確実にキルレシオを逆転させていった。

また、防弾装備がないということは撃たれても墜とされてもパイロットは死ぬということだ。優秀なパイロットが次々と戦死し、石油と国力の乏しい日本はジリ貧となっていく。アメリカは零戦を凌駕する高性能な戦闘機を次々に送り込み、また豊富な石油資源を背景に十分に訓練された新人パイロットを補充する。資源も基礎工業力も乏しい日本は、敗戦まで零戦に頼るしかなく、最後はまっすぐ飛べるだけの新人パイロットが零戦に乗って特攻するということになった。それは日本海軍の栄光と没落そのものだったろうと私は考える。


ざっくりと零戦に付いて書いてみた。この程度のことは新聞ならば書いて欲しい。何色だったかなど瑣末な話である。エアレースで飛んだ零戦は22型という形式である。零戦とそのパイロットがもっとも脂ののった時期、ニューブリテン島のラバウルでアメリカ軍と激戦を繰り広げていた頃のものだ。そんなことを考えながら幕張の空を思い出している。

2017年4月25日火曜日

カバン

カバンといっても政治の話ではない。所謂「鞄」の話である。といっておしゃれでもパトロジックな話でもないのでご安心を。

通勤電車で妻に「カバン」を大事にしていないといわれた。今使っているのは吉田カバン(Porter)のカンバス地トートなのだが、確かに平気で床に置くし、一度修理にも出したが、仕事道具を詰め込むので金具周りが痛んでいる。そもそもこの若干カジュアルなカバンを購入したのは、Tumi製のビジネスバッグがビジネスカジュアルにあまり合わないということだったのだが、そのTumi製ビジネスバグの金具が金属疲労で壊れてから、ついつい修理を先延ばしにしてトートを使い続けている。だから今はスーツにトートというよくわからないスタイルで通勤したり、客先にいったりである。


吉田カバンのトートはたしか20,000円弱、Tumiのビジネスバッグは50,000円位だっただろうか。妻は言う「いいカバンを持ったらワクワクとかしないの?」「特にしない」「じゃ、なんでもいいじゃない」このあたりで私が乗り換える新宿駅についた。乗り換えた山手線の車中で、なるほど「ずいぶんカバンに対する位置づけが違う」と考えた。

一般論としては女性にとってカバンとは非常に重要だろう。どんなカバンであれ、何も手に持っていない女性の姿はどこか落ち着かない。モデルだろうとその辺を歩いているオバちゃんだろうとやはり「カバン」を持ってこそサマになる。その意味で、カバンは服と変わらない重要度を持ったアイテムなのだろう。だからこそ買い物などに行くとこちらが呆れる位カバン選びに熱中できるのだろう。むしろカバンに合わせた「服選び」という買い物の仕方もあるくらいだ。

翻って男性である私にとってのカバンとは道具以外の何者でもない。頑丈で使いやすいことが第一義である。ある程度よい物を持つのは端的に言って「馬鹿にされないため」であり、おしゃれという要素はほとんどない。たまに成金風のオッサンが飲食店のカウンターで後生大事になにやら高そうなカバンを隣のイスに混んできても置いていたりすることを見るが、軽蔑とともに叩き落してやろうかと考えたりもする。道具への執着が周囲への気遣いよりも優先する男性は私には理解できない。

さて、「いいカバンを持ったらワクワクする」というのはどういうことなのだろう。このあたりの心の働きはいまひとつわからないのだが、「自己肯定感」ということなのだろうと想像する。大げさに言えば「素敵なカバンを持った自分が素敵」ということだ。その心の働きは否定しないし重要なことだと思うのだが、よい物を持って「自己肯定感」を得るという心の働きが私にはあまりない。どちらかというと「これを持つぐらいには稼げていますよ」という多少の自己顕示欲の満足ぐらいである。

「男は一番身近な自分の妻を通じていい加減に女を理解した気になっている」とどこかで読んだが、それも仕方がない。妻ほど身近で違う環境で育った女性はいないのだから。というわけで勝手なことを書くことをご容赦いただきたい。

ナルシシズムは必要な感情であり、特に女性にとっては「死活的」に重要項目だと感じる。特に見た目の美しさへのこだわりや流行への感度の高さを厳しく相互チェックしながら生きている女性にとっては「ルックスや存在感がイケてる」ということは心の支えになるのだろう。それは美しさやセンスのよさがどれほど生きるうえで有効な武器であるかを肌で感じているからなのだろうと想像する。

男性にとってはどうなのだろう。「ルックスや存在感」をとりあえず分割して「ルックス」に限って考えてみる。人によって著しく異なるだろうが、平均から平均以下ぐらいの容姿の男性は思春期を迎えるころから「ルックス」については生得的なものを超えることがほぼ不可能ということを理解する。従ってこの領域での勝負から下りることが合理的である。女性はフラットな関係のなかの相互チェックを重んじているように見えるが、男性はなんでも「勝負」なので勝てない領域では努力しなくなる傾向がある気がする。

その結果、スーツを着ていればそこそこ見られるが、それ以外は話にならないお父さんが量産される。お父さんは自分のルックスに何の価値も感じていないので非常に無頓着になる。「君子身辺を飾らず」なんて故事を言い訳にしつつ、そこに意識が向かない。妻に指摘されてとりあえず近寄りがたくならないように「清潔感」にだけ気をつける。勿論私も例外ではない。私などは恥を忍んで言えば、ひねくれたナルシシズムを鎮めるために意図的に頓着しないようにしてしまう。

最近ちょっと思うのだ。「女ウケしなけりゃそのカネ、死に金」的な男性向けライフスタイル誌のような価値観にはまったく共感できないけれど、思春期から青春時代に勝負から下りてしまっているので、ルックスはカバンも含めて多くの男性にとって未開拓(あるいは全く開拓が足りていない)の領域なのではあるまいか。
趣味の道具レベルで「身近な洋服やカバン」の良し悪しを見分けられるぐらいになったほうが、少し人生が楽しくなるのではななかろうかと。

我と我が身の容姿の悪さを嘆いていても仕方がない。それよりも、何とか身近なものに楽しさを見出して、少しは見られるように身辺を飾ってみてもよいのではないかと。足が短いなら短足なりに、腹が出てきたならば出腹なりに、顔が悪いなら不細工なりにとりあえず楽しめる範囲で自分の格好を楽しめるようになればよいのではなかろうか。


往々にして休日のオッさんたちは不細工でダサい。少し成金のオッさんは高いものを着ているが、だいたい似たり寄ったりの格好で苦笑いしてしまう。(腕まくりのジャケット、微妙な色味のカットソー、七分丈パンツに、妙なローファー風の革靴というのを近頃はよく見る。何かの制服なのだろうか。)自分なりのスタイル(姿勢/哲学)をちょっと追求することを楽しめれば、自分も楽しいし、妻の機嫌はよくなるし、職場でも明るく振舞える・・・かもしれない。

2017年2月15日水曜日

破壊的イノベーションの生まれる時

趣味の一つで飛行機のプラモデル制作をしています。所謂、実物をスケールダウンした、スケールモデル専門です。いい年をして何が面白いのかという疑問がおありでしょうが、これが面白いのです。一つには立体を組み上げるという楽しさですが、これなら何を作っても同じ楽しみはあります。世代的には「ガンプラ」も楽しいものです。(ちなみにグフが好きです)しかしスケールモデルは実物があるので、実物を見たり、いろいろな資料を当たりながらプラモデルに落とし込んでいくということができます。なかでも飛行機は実物をそう簡単に所有できるわけでなく、古い飛行機ならば資料しかありません。書籍やネット、博物館などに行ってそれらを漁るのも飛行機モデル作りの醍醐味だと勝手に考えています。

私もそうですが、飛行機モデル好きの7割ぐらいは「戦闘機」が一番好きなのではないでしょうか。身近な旅客機やエアレーサーのような民間機も格好いいのですが、軍用機、とりわけ戦闘機はやたらと格好よく見えます。軍用機は戦闘機以外にも、輸送機・爆撃機・攻撃機・偵察機など様々ありますが、「飛行機を叩き落とす」という目的のために作られた戦闘機は、いわば「猛禽類の精悍さ」のようなものがあるように思えます。何しろ、敵だって同じようにこちらの飛行機を叩き落とそうとするわけですから、少しでも「速く・高く・すばしこく」なければなりません。そうやってしのぎを削って性能向上してきた結果、贅肉のない機能美のようなものを戦闘機は纏ったのでしょう。

1903年にライト兄弟が人類初の動力飛行をしてから様々な発明とイノベーションを繰り返し、主に軍用機の分野で今日の情報技術のような異常発達をしてきた飛行機ですが、1930年から40年代までにプロペラ機(ピストンエンジンで飛ぶレシプロ機)はほぼ完成の域に達します。「速く・高く・すばしこく」の内、「速く」というのがこの時点での軍用機の最重要な要件になっていました。とりわけ戦闘機では「速さ」は他の全ての要素を圧倒するほどの重要な要件でした。少々「すばしこさ(旋回性能・格闘性)」が悪くても、速度さえあれば敵機を圧倒できます。各国(英・米・独・日の列強。この時点ではソ連は入りません)が開発競争を繰り返した結果、およそ実用機で600km/h〜700km/h、どれほど頑張っても、800km/hぐらいがプロペラ機の限界というのがわかってきました。いわゆる「音速の壁」です。プロペラというのは回転速度が速くなればなるほど効率が落ちます。音速に近づくと空気が圧縮されてしまうのがその理由です。音速はおよそ1225km/h(≒マッハ1)ですから800km/hでもだいぶ余裕がありそうですが、機体が音速になる前にプロペラの速度が部分的に音速近くになってしまい、その結果スピードが頭打ちとなるわけです。ちなみに600km/hを越えるとまずまず高速機と言っていいというのがおよそ第二次大戦末期までの状況です。

そんな中、1944年のドイツで「破壊的イノベーション」が起きます。史上初の実用ジェット戦闘機が運用を開始しました。メッサーシュミットMe262です。先述のように実用戦闘機の速度が600km/h〜700km/hという時期に、このプロペラを持たない異様な姿の戦闘機は一気に870km/hという桁違いの速さで敵機を圧倒し始めます。同時代の敵味方の最新鋭機の速度差が200km/h近くも開いたことはありません。生みの親のドイツはそれでも戦局をひっくり返すことはできず、第三帝国は崩壊しましたが、ジェット戦闘機はまさしく破壊的イノベーションであり、それ以降プロペラ戦闘機はもはや過去の遺物となっていったのです。ある意味、現代の全てのジェット機の直接の始祖鳥がこのMe262です。


さて、Me262は発明ではありません。あくまでイノベーション(新結合・革新)の産物です。ジェットエンジンの原理の発明はなんと1791年。さらに実際にジェットエンジンが動いたのはライト兄弟の初飛行の年1903年です。それをさらに洗練させてターボジェットに仕立てたのが、イギリスのホイットルとドイツのオハインで、1930年代に戦闘機開発に適用されはじめ、既存の機体設計技術と結びついてMe262が実用化されたわけです。この破壊的イノベーションはナチスドイツを救えませんでしたが、ガラケーが駆逐されたごとく、短期間にプロペラ戦闘機を駆逐してしまいました。これ以降プロペラ戦闘機が新規に開発されることはもはやありませんでした。

この破壊的イノベーションは難産でした。まず0→1と1→100を成し遂げた企業と人物が違います。0→1を実現したのはターボジェットの生みの親オハインを擁するハインケル社です。政治的にナチと反りが合わないエルンスト・ハインケル社長は総統のヒトラーや空軍元帥のゲーリングに嫌われ、作り上げた試作ジェット戦闘機を量産させてもらえませんでした。ただこの試作機も650km/hを超えていため、いくらハインケルが嫌いでも首脳部は無視できず、社長がナチ党党員のメッサーシュミット社にジェット戦闘機を開発させます。ヴィリー・メッサーシュミット社長兼設計技師はただのゴマスリ野郎ではなかったため、ハインケル(というかオハインの)発想を下敷きにしつつも、後退翼のような新機軸の技術を盛り込んだMe262を完成させ、1→50ぐらいまでやりきります。これにはナチ上層部に気に入られているという立場を利用した政治力が不可欠でした。というのもエンジンを担当したBMWは最後までハインケル以上のエンジンを完成させ得ず、計画が何度も挫折しかかっているからです。結局エンジンを完成させたのはユンカース社でした。もしも主任技師がメッサーシュミットではなく、ハインケルであれば実用化どころか葬り去られていた可能性が高いでしょう。

そして残りの50→100を成し遂げたのは現場の実力者アドルフ・ガランド少将を中心とした現場です。最後までジェット機の本質を理解できなかったトップのヒトラーと違い、歴戦のパイロット(というかスーパーエースの一人)であるガランドは試作のMe262に試乗して「天使が推してくれているようだ」と語り、現場の戦闘機生産を徹底的に絞ってMe262を集中生産すべきと主張します。煙たがられながらもガランドは執念深く首脳部を宥めすかして説得し、半ば勝手に生き残りの優秀なパイロットをかき集めてジェット戦闘機隊を作ります。そして、圧倒的な性能とパイロットの技量で米軍を中心とした連合国に一泡吹かせ、ジェット戦闘機が次の時代のスタンダードであることを示したというのがイノベーションの実現までの大雑把なストーリーです。

こうしてみると、イノベーションを生み出すことと事業として成立させることは全く別のことであり、オリジネイターよりもコピーキャットの方がより良いプロダクトを作り、成功させることもあるということがわかります。例えば今時のビジネスマンなら誰でもお世話になっているマイクロソフトのパワーポイントも、元々は別の会社が開発したプロダクトでしたがマイクロソフトが会社ごと買収したことで、プレゼンテーションソフトのスタンダードになったわけです。もちろん、スティーブ・ジョブズ式に0→100を自分&自社でやるということもあり得ますが、これは例外中の例外と考えた方が無難でしょう。大企業の経営トップが死ぬまでイノベーターであり続けるというのは例外です。
ジェット戦闘機の始祖でさえオリジネイターではないのですから、政治力や営業力が強みであるという大企業は積極的に中小企業やスタートアップに大いに投資すべきなのかもしれません。少なくとも成功しかけている中小やスタートアップに投資するか買収してアイデアを戴いてしまう方が、0から自分で考えるよりも遥かに成功率が高いでしょう。
ただしトップのヒトラーは最後までジェット戦闘機の本質がわからず、Me262を爆撃機として運用しようとしていました。様々な理由からこの時点ではジェット爆撃機はあまり意味がありませんでした。その意味で投資に値するかを見抜く眼、あるいは伯楽の役割をもつガランドのようなキーマンが重要になってきます。善悪好悪から離れて一考の余地があると思いますがいかがでしょうか。

2017年2月11日土曜日

ワークスタイル変革というけれど

先日、SANSAN株式会社が主催した「SANSAN Innovation Project2017」という展示会兼セミナーに参加してきました。諸事情がありまして、ほんの一部しか参加できませんでしたが某IT企業の社長や副社長の座談会などききながら、ぼんやりと考え事をしていました。座談会のお題は「ワークスタイル変革」。近頃よく聞く言葉です。単なるバズワードかもしれませんが。

「ワークスタイル変革」とは、結局のところ「新事業を構築したり、劇的に効率化したり」するためのイノベーション(革新)を起こす為に、働き方から見直してみよう」という取り組みというのが一般的な解釈でしょう。もっと突き詰めれば、「働き方を変えれば結果が変わる(はず)」ということになろうかと思います。

「ワークスタイル変革」などと銘打たなくとも、これまで働き方というのは結構変わってきました。古くは電信技術・・・なんて歴史を紐解かなくとも、この15年くらいの間に、インターネットを中心に「電子ファイル&メール」がオフィスワークの中心になり、SNSの発達でB2Cマーケティングのあり方は変わり、クラウドソーシングやクラウドファウンディングというようなヒトモノカネをインターネットで調達できるという猛烈な変革がありました。その結果、働く側が少しでもラクになったか、楽しくなったか、というと少なくとも企業勤めのサラリーマンはむしろ多忙になったというのが実感ではないでしょうか。

情報技術の発達が寄与したのは「効率の劇的な向上」でした。早い話が10日かかる仕事が1日で出来るようになったので、その分10倍仕事をするようになったという事に尽きます。特にオフィスワークはそうです。仕事柄いろいろなオフィスを訪問しますし、自分の所属する会社をみても、「みんな疲れているなあ」と感じます。どちらかというと、効率化がもたらしたものは、その追求による「現場の疲弊」だったのではないかという気がします。顧客満足度は大幅に向上したでしょう。(何しろ、ネットで注文すると下手するとその日のうちに届くという異常発達ぶりですし)ですが、従業員満足度はむしろ下がったと思います。現場からまったく「余裕」というものがなくなったのが、情報技術の発達の帰結ではないかと。

ところで、企業活動の効率化を実現するのにほとんどこれしかないという方法が「標準化と整流化」です。業務をプロセス単位にモデル化し、流れを分析して、どこがボトルネックになっているかをあぶり出し、そのプロセスをどうすれば標準化できるかを考え実行すると結果として整流化がなされます。このステップを踏めば、ほぼ全ての現場で効率はアップします。またそのプロセスをITを利用して自動化してしまうことで、省力化し、アウトプットを減らさずに人員のカットでさえ可能となります。
業務コンサルティングの肝はこれだけといえばこれだけで、どんな仕事でも工場のラインのごとく誰がやっても整然とこなせる状況を実現するということです。

その結果、コンサルや経営側はギリギリの効率を狙いますので、人は減るのに仕事は増える(で、給料はあがらない)という状況になります。従業員満足度はむしろ下がります。さらにプロセスに区切られた仕事はKPI(その時点で達成すべき数字)で管理されますので、割合とギスギスします。日本の大企業はかなり標準化されていますので、かなりの確立で「不機嫌な職場」と化していることが多いでしょう。(偏見だといいですが)

さて、効率化と革新(イノベーション)は普通に考えると非常に相性が悪いものです。ある意味極限まで効率化された働き方(業務プロセス・勤務形態・人事評価諸々)は精密機械のようなもので「思いつきの行動」を許容できません。それを許せば間違いなく効率が下がりますし、複数の人間がいくつかのプロセスをスクラムを組むように進めているケースが多い現代の職場では、一人の思いつきの行動がかなりのダメージを業務に与えてしまう可能性があります。もちろん、多くの業務ではさらなる効率化、合理化を志向していますから「プロセスの改善」は常に起きます。しかし、その職場からプロセス・イノベーションと呼べるような革新的な改善はなかなか難しいのです。何故ならば、その変革のために一時的であれ、せっかく標準化と整流化を実現し精密機械と化した業務を混乱させる必要があり、ビジネスにマイナスのインパクトを与えるからです。いわゆるイノベーションのジレンマというものですね。

この状況からセレンディピティやら個人の勝手な探求やらが必要な「イノベーション」が生まれるとは想像できません。スタートアップ企業のように、これから或は今まさに「ビジネスの作り込み」をしているならばいざ知らず、「効率化」のフェーズを終えてしまった職場ではイノベーションのための隙間がありません。なので、「働き方を変えて結果を変える」ためのワークスタイル変革とは、隙間を作る、別の言い方をすれば効率を落としてでも少し働き手が余裕を持てる方向になるはずです。時間な余裕(工数)だけでは不十分で、働いているメンバーがそれぞれに考えるだけの精神的、環境的な余裕を持たせる必要があります。そうでなければそもそもアイデアすら出す気にならないでしょう。人間は普通はあまりにも余裕がないと「思考停止」して精神を防衛するものだからです。

ただ実際にはその企業のDNA、もしくは企業文化の中に「隙間を持たせる」ことが最初から組み込まれていないと実践は難しいものです。
その「隙間」そのものに価値があるにもかかわらず、そのDNAが組み込まれていない企業だと、大抵は「もっと効率化して、その結果出てきた時間的余裕(工数)でイノベーションを起こそう」と考えがちです。しかし、まだまだ効率化まで至らないスタートアップを除けばこれはうまく行きません。なぜなら「さらなる効率化」は結局現場のさらなる疲弊を招き、考える余裕を奪う上に、「隙間」それ自体の価値を認めないため、イノベーションをKPI的に管理しようとして、結局小粒のアイデアが言い訳的に出てくるだけになり、出てこなければ「イノベーション」を効率化しようとしたりします。「革新」を「効率化」するなんて悪い冗談でしかありません。

ワークスタイル変革でイノベーションを起こそうとお考えの企業は、まずは従業員が余力を持って、笑顔で働けることを目標に「ワークスタイル変革」を行なうべきでしょう。そしてその「隙間」「余裕」それ自体に価値があると考えてください。そしてその余裕が結果としてイノベーションにつながる(かもしれない)ぐらいに構えるべきです。もし、そんな不確実なことはできない。我が社の社員にそんな能力はないとお考えの上で、それでもイノベーションをと仰るならばベンチャーキャピタルを経由して、有望そうなスタートアップを買ってしまうやり方がより近道だと思います。



結局、不機嫌な職場に「イノベーション」は難しい。ましてや片手間では100%無理。というのが今のところのコンサル屋としての私の結論です。

2017年1月7日土曜日

胃もたれ

1975年生まれなのですでに四十路なわけですが、割と見た目が若いためか、案外年齢を感じることは少ない私です。確かにお腹周りは緩んできましたが、白髪はほとんどないし、トラブルがあれば徹夜で勤務もできるし、視力も未だに左右とも2.0だし、15Kgを超えた娘を抱っこして1kmくらい歩くことも、クロールでこれもやはり1kmぐらい泳ぐこともできるしと、正直なところさほど普段は衰えを感じません。

ところが、昼食選びの時、ふと「油物」を微妙に回避していることに気がついて「ああ、どうやら俺も順調に老化しているのだなあ」と妙に納得してしまいます。何しろここでチョイスを間違えると午後の仕事のやる気と効率が大体50%以下に低下してしまうので、そう簡単に間違うわけには行きません。

午後の仕事のために回避したいランチメニューランキングです。

◆5位:カレー
辛いものが好きなので、CoCo壱番屋だろうとインドカレー屋だろうと大好きなのですが、これがまたほぼ100%胃もたれします。カツカレーなど言語道断。まず間違いなく午後は仕事になりません。ついつい匂いにつられて食べてしまい「しまった!」と思っても時遅し。全然集中できなくなり、仕事の効率は6割ぐらいに低下してしまいます。体調が悪いと医務室で横になる羽目に。

◆4位:ポテトフライ
ハンバーガーのお供ですが、これが鬼門。私の場合特にマクドナルドのポテトはいつまでもいつまでも臭いが胃の中に残り、胃もたれというより不快感で仕事になりません。御多分に洩れず炭水化物は大好きなので、30歳ぐらいまではよく食べていたのですが…
もはや休日でも食べなくなってしまいました。食べても2−3本で十分です。

◆3位:家系ラーメン
油脂を多く使うラーメンは全般に食べなくなってきましたが、最近ではそこら中にある家系ラーメンがかなり胃もたれします。いわゆる博多のとんこつラーメンではそれほどダメージがないので、とんこつ醤油になると途端にキツいのは不思議でなりません。

◆2位:唐揚げ全般
高校生の頃、部活の帰りに近所の丼物屋でご飯の上に甘辛のタレをのせ、焼き海苔を敷き、その上に大きな鳥の唐揚げが4つ乗った「海苔カラ丼」にさらにマヨネーズをたっぷりかけたものを「おやつ」として晩ご飯の前によく食べていたのですが、もはやそれが信じられないぐらい胃もたれ・ムカつきの大元です。自宅で食べる晩ご飯のおかず以外では食べません。稀に食べるのは、午後にはやることがほぼないか、遠方での仕事であとは新幹線か飛行機に乗って帰るだけの場合だけです。

◆1位:天ぷら全般
はい。もう全くダメです。天丼や天ぷらそばはもちろん、立ち食いソバでちくわ天を乗せただけで、午後は仕事になりません。一刻も早く横になりたい衝動との戦いで3−4時間がすぎ、気づくと定時でまだ何も仕事が終わっていないという悲劇になります。夜ならなんとか食べますが、食べたあとは何もしたくありません。電車に乗るのも億劫になります。

とここまで書いて、相当おっさんなことを書いてしまったようです。そうそう、私はおっさんなのです。40代は中年であり、加齢臭が似合うわけです。それを自覚して、できればあまり周囲に迷惑をかけないおっさんでありたい。そう切に思うのです。

そういえば、白髪はなくても鼻毛は白いし、徹夜で働くと二、三日は使い物にならないし、視力は良くても老眼でプラモデルを作るときは老眼鏡が必要だし、娘を抱っこして1km歩くと息切れするし、1km泳ぐとぐったりして両腕が上がりません。なんだ、衰えてるじゃん。ちゃんと。よかった。


若やぐのはいいけれど、若ぶっても仕方がない。とりあえず40代までよく生き延びたと思うことにしよう。