2019年も終わりに近づいた。仕事はというと、2回目の決算も終えて、まだまだではあるもののともかくも黒字で決算ができた。様々な縁に恵まれ、フリーコンサルタントやPMO事業については一定程度満足すべき状態あろう。これについては感謝しかない。
さて、プライベートでは年長の娘の小学校受験、いわゆる「お受験」を経験した。おかげさまでご縁があり、4月の入学に向けて諸々準備をしているところである。とは言え、ここに至るまではなかなか手ごわいハードルや紆余曲折もあった。正直なところ、妻の負担が非常に高く、夫としては、出来ることをフォローするくらいだったが、「家族3人一丸」となって取り組まないとクリアすることが難しかったハードルだったと感じている。
良い結果を得たからこそ言えることかもしれないが、家族にとっても、私にとっても非常に貴重な経験だったと感じている。まだ記憶が確りしており、少し冷静になってきたこのタイミングで思うところを記しておく。How to的なものはネットを探せばいくらでもあるので、一人娘の父としての感想やその時々の考えを書いてみる。
2018年
妻から娘に「お受験」をさせたいという話を受けて、近所の大手幼児教室に通い始めた。妻も私も公立小学校出身であり、娘は近所の公立小学校に入学するものとばかり考えて居たので、少々面食らった。もともと私は早期教育は勿論、学校教育それ自体にも期待値が低かったので、小学校受験になかなか意味を見出せず、「まあ、やりたいというならば悪いことではないだろうから協力しよう。」という程度のスタンスだった。幼児教室に行ってみると、いわゆる「お受験スタイル」の親子が、講師の話を真剣に聞き入っている。最初は斜に構えていたが、まわりの真剣さにだんだんとその理由が知りたくなった。とりあえず、仕事で支援している会社の女性メンバに色々と聞いてみると案外、女子校や私立小学校出身者が多い。まずはお茶がてら、インタビュー活動をしてみた。「公立小学校は楽しくなかったけれど、私立に編入してからが楽しかったし、今につながってる。」とか「小中高と女子校だったが、ある意味集中せざるを得ないので部活に打ち込んだ。おすすめするかと言われれば、もちろん!」というような肯定的な意見ばかりで驚きであった。自分の母校を悪く言う人は少ないというバイアスはあるだろうが、私自身は友人関係を除いて(これは恵まれた)、自分の小学校や中学校をそこまで肯定的にとらえていないし、一人くらいは否定的なことを言うだろうと予想していたが、皆無だった。このあたりから、私自身の認識が変わってくる。
2019年冬~春
娘の家庭学習も本格化し始め、勉強机を購入し、宿題のプリントや紙工作を中心とする制作など、妻は仕事のない時は勿論、仕事のある時でもできる限りの時間、一緒に取り組んでいた。思うようにできなかったり、進まなかったりした時、妻にはかなり精神的にも負荷がかかり始めた。娘もそれなりに大変だっただろう。私も時々勉強を見たが、妻よりも甘いため、ついついぬるい感じになってしまい、妻からダメだしされる体たらく。
一方、学校見学会や入試説明会などもポツポツと始まり、これまで全く縁のなかった私立の小学校に行って色々と話を聞き始めた。また、教育関係の本なども何冊か読んだ。
その結果、早期教育への懐疑はさほど払拭されなかったが、私立学校への理解は少しずつ進んだ。
それぞれの学校で特色のある取り組みをしているが、最も大きいと私が感じたのは、やれ「詰め込み教育」だ、「ゆとり教育」だ、はたまた「学力が低下した、やっぱり詰込みだ」とその時代時代のムードに反応する世論に振り回される公立学校に比べ、時代に対応しながらも軸のブレが少ないことである。それは親にとってのメリットというより、子供にとってのメリットであろう。学校教育、特に義務教育の成果というのは、結果が出るまでに時間がかかる。少なくとも、社会人となって一人前と見做されるくらいまでの時間、どんなに早くとも25才ぐらいで初めて結果が分かり始めるはずである。すると、18年~30年ぐらいのスパンで効果を計測しなければならない。長期スパンで物事をとらえるのは「世論」の最も苦手な分野である。結果が出る前に右へ左へ蛇行するのは、その教育を受けている子供にとって、特に過渡期の子供にとってはたまったものではあるまい。昨日詰込みだったのが、今日ゆとりというのは、子供にとっては混乱しかもたらさないだろう。そこへ行くと、少なくとも伝統のある私学は理念のような背骨があり、軽薄な世論に左右されにくいというメリットがある。
また、志望校を絞り込むのに、敢えて「カトリック系」を選択した。我が家はカトリックではないし、特に宗教的にどうこうということは無い。ただ、ポリティカル・コレクトネスが猛威を振るう今、倫理道徳という価値判断に関することは学校で教えにくくなっている。特に、宗教をタブーとしている公立学校において、きわめて基本的な「なぜ人を殺してはいけないのか」や「なぜ人をいじめてはいけないのか」或いは「なぜ売春がいけないのか」のような問いに対して、自信をもって説明することが難しくなっている。そういった中で「神(と教会)」を持ち出すことのできるカトリックは、子供が従うにせよ、反発するにせよ、一つの基準、価値体系を示すことができる。それは、日本においては稀有な経験となるだろうとも考えている。もう一つのメリットはそれだろう。
このような考え方から、もちろん妻と一緒に志望校を決めた。また自分自身の受験の記憶から、志望校よりも一段上のレベルを第一志望として、当初の志望校を滑り止めにするということにした。
2019年夏
夏季講習が始まる。5歳児が週4日~5日でみっちり勉強してくるという、信じがたい状態を作り出す、幼児教室の手腕と請求金額にびっくりしながらも、少しずつ娘の成績が伸び始めた。春頃は下から数えたほうが早かったが、ここに来て、成績が上向き始める。家庭学習をしていても、かなり難しい問題でも解けるようになってきた。面白いことに、こちらは気楽な習い事として、ピアノ教室に通っているのだが、成績が伸びるタイミングと、急に上達するタイミングがシンクロするのである。娘が「できない!」と言っていた問題が解けるようになると、その週のピアノのレッスンでは弾けなかったフレーズが急に弾けたり、楽譜を急に理解できるようになったりした。子供の発達段階は面白い。
だが、面白がってばかりもいられない。娘が解けない問題を解説する場合、大人からすると娘が理解できない理由がなかなか分からなかったりする。当然のことながら、我々大人は相当のことを教育や経験から訓練されており、無意識の前提が非常に多い。ところが、子供、特に幼児はその前提がほとんどないので、つまずくポイントがなかなか分からないのだ。この時期、妻の負荷と精神的な不安は非常に重かった。一人ではなかなか背負いきれない。夫である私でも的確なフォローなどできるはずもなく、そこはやはり幼児教室との二人三脚になっていく。
丁度このころ、とある学校の説明会に親子で参加し、「縄跳び」をしている子供を見つけた。小学校受験はいわゆるペーパーテストは勿論、親子や個別の面接、行動観察など様々な科目があったりする。勿論、運動もしかり。それまでできなかった毬付きなども何とか克服したが、縄跳びはノーマークだった。過去問などを見ると縄跳びが課題として出ていることもあって、早速縄跳びを購入し練習してみる。娘は当初「よっこいしょ」と縄を前に投げ出し、「えいっ」と跳ぶというもの。「そうか縄跳びって結構難しいのだな」と妙に納得し、「縄跳びの教え方」などをネットで検索し、色々試行錯誤してみる。もっとも効果があったのは縄跳びにボール紙を巻いて、グリップを長くして練習するというもの。あれほど不格好だった娘の縄跳びがみるみる上達し、だいたい2週間くらいで普通に跳べるようになってしまった。「お受験」をしていなければ、ここまで娘と一緒に縄跳びに向き合うこともなかっただろう。小さな成功体験だが、家族にはとてもよい経験になった。
2019年秋~受験本番
9月・10月となってくると、娘の模試の成績もそれなりに軌道に乗った。不安ばかりが先行していたが、このあたりから親も肚ができてくる。これまでの頑張りに、父親・夫としてできる事は少ないが、全力を尽くすと改めて決心し、私ができる事として志望校の過去問題集から親子面接を分析して、想定問答集を作り、家族で練習をした。尤も、娘は幼児教室でやっているので、どちらかと言えば私と妻のトレーニングである。過去3年分を分析し、エクセルで一問一答形式のQAを作る。また書き物は私の担当なので、志望動機などを練って願書を清書した。このころになると、娘もおおよそ受験ということが分かってきて「頑張る!」と言ってくれるように。上述したように、手段として設定した第一志望校に成績としては届く可能性が出てきたので、この際「受かってしまえ」と念じつつ、いざ本番。
面接ではスムーズでも、実際の試験では色々あって、結果、2勝2敗。手段としての第一志望には届かなかったが、元々の第一志望に無事ご縁があり、夫婦で歓喜。娘はじわじわと実感したようだった。入学手続きを終えて、お世話になった幼児教室の講師陣にも報告し、2019年11月6日(水)我が家のお受験は終了した。
兎にも角にも、なかなかに大変で誰にでもお勧めできるようなものではないし、結果は20年後ぐらいにならないと分からない。挙句にそれが吉と出るのか凶とでるのかも定かではないのだが、何しろ我々親子3人には貴重な経験であり、得難い年となったのが、2019年だった。皆様ありがとうございました。
2019年12月16日月曜日
2017年12月30日土曜日
年の瀬の振返り
2017年もあとわずかとなった。この辺りで振り返りをしておこうと考えてブログを書いている。このブログは公的なものと私的なものの中間と位置付けている。ある意味で仕事の延長であり、ある意味で遊びの延長でもある。とは言うものの「日本のビジネスマンの考えること」とサブタイトルを打っているので、少し公的、或いは仕事的なものに寄せて振り返ってみたいと思う。
独立と会社設立
2017年の私にとって最も大きな出来事はサラリーマンを止めて独立起業したことである。15年前の2002年(27歳)、当時は百貨店のシステム子会社で駆け出しのSEをしていた。しかし、ある意味人並みだが「このままここで働いていて意味があるのか」と考え始めた。就職氷河期の中で拾ってくれた会社ではあったものの、いわゆる情報システム子会社だったため、グループ内の仕事しかできず「下駄を穿かせてもらっての仕事」と感じていた。今思えばなかなかありがたい境遇ではあったものの「IT革命」やら「新自由主義」が流行り始め、若者らしく野心を燃やし始めたということだっただろう。
そこで「エクスペリエンス」(現:パーソルキャリア)のキャリアコンサルタントに相談したところ「コンサルティング会社で修行し、その後事業会社のIT部門長になる、若しくは独立開業する」というストーリーを吹き込まれた。事業会社のIT部門長はともかく、その独立までのストーリーは当時の私には非常に魅力的に思えた。その後、外資系コンサルティング会社へ転職、結婚する際も「いずれ独立する」と妻に宣言し、それから二回転職し10年、妻からも「するする詐欺だ、いつ独立するんだ!グズグズしすぎ!」と𠮟咤激励を受け、ようやく踏ん切りをつけての独立起業だった。2017年7月10日という会社設立日はこの先どうなろうと決して忘れられない日である。
独立直前に外資系コンサルティング会社時代の同僚に紹介を受け、コンサル仕事も久しぶりだったので「勘を取り戻す」という意味でPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)として現在の常駐先にお世話になることになった。独立してみると様々な偶然が重なっていくことが実感できる。「なるほどこれが『縁』か」と。袖すり合うも他生の縁。よく言ったものである。
お陰様でそれから半年間、それなりの評価を受けて無事に仕事ができている。経済的にも以前よりは恵まれた状態を維持できているのも、一重に皆様の(急にビジネス調でおかしいな)、言い換えれば「縁」のおかげである。
今後は研修サービスや中小企業向けCIOサービス、また業務ITに関連する製品開発を展開していきたいというのが現在の予定である。勿論様々な紆余曲折があるのでどうなるかは分からない。だが20年のサラリーマン生活で理解したこととして「自分で決めなきゃ、誰かに決められてしまう」という公理がある。 意思だけは持っておかないとやりたいことができなくなってしまう。それを回避するためにやりたいことの明確化をしながら正月を過ごしたいと考えている。
最初の現場
コンサルティング業界は他の業界とはまた違う守秘義務があるので、書ける範囲で書く。この10年弱は品川は港南で働いていたが、久しぶりに都心で働いている。とはいえ品川駅は港区なので区内で移動しただけといえばだけなのだが。
常駐先では優秀な、或いは有望な若者達と働いている。同年輩の人々はいわゆる部長以上という若い会社である。
「貞観政要」という唐の時代の古典に「草創と守成といずれが難きや」という問いがある。意味は「創業と維持はどちらが難しいか」ということである。この答えは「難しさの質が異なるので、やり方や組織を質的に転換しないと創業に成功しても維持できない」ということが書いてある。常駐先はまさに創業に成功し急成長した企業である。しかし、大企業への質的な転換ができておらず様々な問題が管理不能なレベルで起きていたりする。私の仕事はプロジェクトを通じて整理を行い、デスマーチ(IT業界の用語。プロジェクトがうまく進まず、メンバーに超人的な努力を強いる状況になること)となっているプロジェクトを軟着陸させることがまずは第一義、さらに「守成」のフェーズで仕事の仕方や方針を理解してもらうことにある。
2017年は、プロジェクトメンバーとして一緒に汗を流しながら「メンバーからの信用」「プロジェクトの把握」というステップが終わったというところである。この後はプロジェクトの立て直しのステップにかかる。なかなかタフだが、愉しくもある。PMOであると同時にフィクサーのような仕事であるが、久しぶりのコンサル仕事でも「案外、まだ私も役に立つ」と感じることができた半年間であった。
読書
2017年はE・H・カー「危機の20年」、エマニュエル・トッド「シャルリとは誰か」、佐伯啓思「アメリカニズムの終焉」、太田房雄「大東亜戦争肯定論」、エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」というあたりが非常に印象に残っている。大体年間100冊程度読むが、起業後はそれほど数が読めなくなってしまった。とはいえ40-50冊読了した中で、上記の5冊は必ず再読するだろう。また、エドモンド・バーグ「フランス革命の省察」もなかなかであった。保守思想の源流と呼ばれるバーグだが、その源流とはフランス革命への罵詈雑言というのが面白い。基本的には私も保守の立場であるが、確かに保守というのは新たな思想や行動に対する常識からの平手打ちという側面がある。とはいえ、少しづつ立体的に現代史と保守思想の理解が深まってたと感じる一年であった。来年はもう少しプラグマティックに地政学や国際政治学を勝手に学んでいきたいと思う。また仕事柄、失敗学も研究していきたいところである。
娘の成長
2013年に生まれた一人娘も今年で4歳になる。だんだん成長して、いつの間にか普通に会話のキャッチボールが成立するようになった。不思議な感覚である。勿論人並みに「プリキュア」と「ディズニープリンセス」が大好きなのだが、どういうわけか「恐竜」にハマっている。妻に言わされている部分もあるけれど「大きくなったら恐竜学者になる!」と最近は言っている。私も知らない恐竜も図鑑やカードを見せて「これは何?」と聞くと「スティラコサウルス!!」と答えるように。単にイラストで覚えているのかと思い、別の図鑑を見せてみる。恐竜は色が不明確なのと、羽毛の有無が最近分かったので、図鑑によってかなり違う。しかしやはり「スティラコサウルス!」とちゃんと答えるので、どうやらちゃんと特徴でとらえているらしい。子供の成長はすさまじい。ちなみにブラキオサウルスがお気に入り。アロサウルスやスピノサウルスのほうがパパはかっこいいと思うけど。
それでは皆様よいお年を。
2017年10月24日火曜日
子供の教育
先日、我が家の一人娘が4歳を迎えた。今は保育園で無邪気に遊んでいるが、そろそろ学校教育を中心にどうしていくかが気になり始めている。近頃は厚労省管轄の保育園でさえ英語教育や空手などを取り入れていてびっくりする。娘も時々私が聞き取れないレベルの発音をしたりして、親としては喜んでしまったりする。勿論、幼児期特有の耳の良さでしかないことぐらいは知っている。単なる親バカである。
実際に親になってみると「子供にはもって生まれた特質がある」ことを実感する。娘は比較的大人しいが、それでもふざけるのは大好きだし、一人っ子のわりに周囲の友達に引きずられたりする。運動は嫌いではないようだが、パワーとスピードはあるのに敏捷性に欠ける。この辺りは私に似てしまってちょっと申し訳ない。娘の友達や従兄弟たちを見ていると当然ながら娘とは全く違う性質を持っている。落着きはないが、娘と対照的にすばしっこく、バランス感覚が優れている子。或いは、親分肌で周囲をまとめる力のある子。
こうした「性質」は教育とは何の関係もないだろう。詳しいことはわからないが遺伝的要素など生物学的なことに起因しているに違いない。話題になった双子の研究などによると、教育や環境などによる後天的な要素は先天的な要素に比べてあまり、その子供のその後に影響を与えないらしい。まあ、それはそうだろう。子供が真っ新な白紙であり、教育しだいでどうにでもなるなら、少なくとも先進国では賢者ばかりになるはずだ。勿論、実際には「上智と下愚は譲らず」の言葉通り、2割ぐらいの賢者と愚者、8割程度の「普通の人」という分布は変わらない。そのように考えると「大賢者」を教育で作ることは諦めたほうがいいだろう。私自身の実感としてもハードウェアとしての頭の良しあしは生まれながらに決まっており、後天的にどうにかすることはできない、と考える。
では「あらゆる教育は無駄」かというとそんなことはないだろう。ハードウェアの性能はどうしようもない。しかし、例えば「努力には意味がある」、「知見を広げる事が人生を楽しく、豊かにする」ということを実感させたりすることで、物事へのスタンスを身に着けることはできる。その手伝いぐらいは教育にもできるだろうと考えている。「手伝い」としたのは、結局、本人の資質に左右される部分が大きいからだ。「馬を水飲み場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。」の言葉通り、水を飲むか否かは本人次第である。ここについては我が子を信じるしかあるまい。
自分自身を振り返ると、両親のサポートという観点で、いくつか「もう少し何とかなったな」というポイントがある。私の両親が特段なにか問題があったとは思わないし、感謝している。しかし、自分もまた人の親になったという点で考えてみると、もう少しサポートすれば、もう少し世界が拡がったかもしれないという出来事があった。一つは小学校高学年の頃、交換留学生の話があった。カナダのケベックが私の出身地と姉妹都市かなにかになっており、留学生の候補に私ともう一人が上がったのだ。結局、私は行かず、もう一人の女の子が行ったのだが、私が行かなかった理由というのが、「家が狭くて恥ずかしいので、交換留学生を受け入れられない」という主に母の反対である。当時は「ちょっと残念」くらいだったが、今にして思うと、随分勿体ないことをしたなとも思う。例えば、家が手狭なら、隣の区に住んでいた祖父母の家に来てもらうくらいの知恵は働かなかったのかとも。とは言え、両親を責めても仕方がない。そうではなくて、そういうタイミングの時に、親としてサポートするだけの力と見識を持っておこうということである。
また、結果的には小さなコンサル会社の経営者になってしまったが、幼少期から飛行機が好きで「パイロットエンジニア」になりたいと思っていた。案外、身体能力も高く、まあ、勉強も人並みよりは出来、視力も未だに2.0ということで、できない理由はとくにない。エンジニアには後からでもなれるのだから、まずはパイロットを目指せば、それは(もちろん、色々な曲折はあるにきまっているが)実現可能性はそれなりにあっただろう。エンジニアはともかく、パイロットはあり得ただろうなと思う。しかし、当時の両親はそれを「冗談の類」として受け止めていた。両親が悪いわけではない。おそらく、「いい学校→いい会社」がよいというその時代の社会規範にとらわれており、一人息子がそこそこ「頭がよい」のに、そのような「特殊」な道を歩ませる意義を見出せなかったに違いない。
それは全く無理からぬことである。人はある時代のある場所に生まれ育つ。それは宿命であり、逆らうことはできない。しかし、それでも我が娘が、私には理解しにくい夢を持ったとしても、それを真正面から受け止めて、検討、サポートような親でありたいと思う。家庭教育でファームウェアとOSを形成し、学校教育は最低限のアプリケーションをインストールする場である。教育について親ができるほとんどすべてのことは、選択肢を提示すること、知見を広げるチャンスを与えること、漫画でもいいから読書など最低限の習慣を身に着けさせることに尽きるのではなかろうか。
とりとめのない文章になってしまったが、子供の教育について考えてみた。
2017年3月21日火曜日
FROZEN
フジテレビでディスニー映画の『アナと雪の女王』を放映した。2013年生まれの3歳になるうちの娘が大好きなので、BlueRayで購入して何度となく観た。サウンドトラックも購入して、車の中のヘヴィローテーションはこの1年ぐらいずっと『アナ雪』だ。ディズニー映画には全く興味がなかったから、ちゃんと観たのはこれが初めてだ。興行収入も歴代一位で、ご覧になった人も多いだろうから、以下、ネタバレのレビューを書いてみる。因みに映画マニアでもなんでもないので、素人の戯言と思っていただいて間違いない。それでもよろしければ少しお付き合いいただきたい。
内田樹(全共闘の生き残り左翼だが、文章は時々見るべきものがある)がどこかで「優れた映画には大抵、優れた心理学的な要素がある」と書いていたが、この映画にもそれはとても多い。あらすじは先日地上波で放送されたのでご存知の方が多いだろうし、こちらをご確認いただくとして話を先に進めたい。
アナとエルサというダブルヒロインの内、姉のエルサは生まれつき「雪や氷を作り出す」力を持っている。子供の頃は生まれ育った城の居室を雪だらけにする程度だったが、成人してからは非常に強力だ。何しろ国ごと夏を冬に変えてしまうほどのものである。X-MENのストームなど問題にならない力。ただ物語の終盤まで本人はこの力をうまく使えない。本人の感情の昂りに応じて力が溢れ、氷の壁を思わず作ってしまったり、真夏に雪を降らせてしまったり、挙句に港を凍結させてしまったりと暴走する。
エルサの心象風景がそのまま気候に反映され、その結果周囲に被害を与え、その結果本人が苦しみ、さらにその苦しみが冬の嵐になり被害が拡大という悪循環。少年期(少女期)から青年期へ移行する時のあの自意識の嵐とも取れるし、或いは特殊な才能(例えば美貌のような。あまりに美しい少女が普通にみんなと仲良くしたいのに周りが特別扱いして孤立するなどの)を持て余しているかのようなこととも取れるだろう。
様々に解釈できるが、私が気になったのはエルサの能力を親と本人がどう位置づけているかである。物語の最初で、事故とはいえ妹のアナをその能力のために傷つけてしまったエルサは、深く傷ついてしまう。また、両親である国王・王妃は「能力が操れるようになるまで」という条件付とは言え、エルサを妹から、そして世間から隔離して育ててしまう。国王はその能力を放つ両手に手袋をつけておくようエルサへ言い「落ち着くように、見せないように」という合言葉をつくって、その力を禁忌とする。英語版では「Don't feel it, Don't show it」となっており、より直接的に遮断というニュアンスになっている。
この時点でエルサは間違いなく自分の力を「忌むべきもの」として位置づけてしまっている。子供の特別な能力(才能)が理解できず、また危険だと判断した親がやってしまうことだ。例えば、芸術や芸能に特別な才能があるが「絵描きになりたい!ミュージシャンになりたい!」などと言い出されると困るので(親としてはそれが困難な道だと知っているので)、それを「下らない」などと決め付けて方向修正を図ったりする。それが例え一流になり得る才能だとしても、親が理解できなければ早々に芽が摘まれてしまうことも多いだろう。
物語の中盤、国中を凍らせてしまい、山に篭ってしまった自分を迎えに来た妹のアナとのやり取りでエルサはこんなことを言う。「私にできることはなにもない!」
これは意訳であって本来の英語版は「I can't controll the curse!」である。直訳すれば「この呪いはどうしようもないの!」であろうか。彼女にとって、雪や氷を操る力は才能ではなく「呪い」と位置づけられている。
そして「真実の愛」が「凍りついた心を溶かす」というモチーフは、物語のクライマックスで凍りついたアナを再生するという形で具現化しているように見えながら、実際にはエルサが自分自身を許し、呪いが呪いでなくなるために、誰か(ここでは妹のアナ)の無償の愛が必要にだったということに具現化して物語は幕を下ろす。
父親として、私などはここで背筋が寒くなる。本人の可能性は事後的にしか確かめられないとしても、子供の特別な「才能」、否、特別ではなくとも「得意な事」の芽を理解できないあまりに、それを「忌むべき呪い」としてしまうことはないだろうか、と。
我と我が身を振り返ってみると昔から何でも屋で勉強でも運動でも何でも一通りこなせるのだが、飛びぬけてこれが得意ということはなかった。今でも営業なのかエンジニアなのか、コンサルタントなのかわからないコウモリなので、「器用貧乏さ」が才能といえば才能なのだろう。絵も書くし、楽器も弾くが、全くやったことがない人よりはマシというレベルでしかない。私には親が理解不能なレベルの才能はなかったととりあえず結論づけても大丈夫だろう。
しかし、それは私の両親が見出せなかった能力が私にはなかったという証明にもならない。そして、今は私自身が人の親である。自分のことはさて置き、自分の子供の可能性は伸ばしたい、少なくとも、芽を摘まないようにしたいというのは人情だろう。今のところ、歌と音楽が大好きなのと塗り絵が得意ぐらいしか、才能の芽のカケラは見つからないけれど、無償の愛(のハードルは高いのだろうか?)を提供しつつ、少なくとも「いらぬ呪い」をかけたくはないと地上波初放送を観ながら考えた。
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