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2018年6月22日金曜日

帝王学の現代性~FY01の振返りに代えて~


今月は決算月である。会社設立の一年目を無事に迎えることができた。様々な幸運が重なった結果であり、皆様に心から感謝申し上げる。これは決して謙遜でも社交辞令でもない。そのように仕事はつながっていくということが理解できた結果である。さて、つらつらと1年間の仕事の経緯を振り返ってみてもあまり芸があるように思えないし、読者諸兄姉の参考になるとも思えないので、仕事を通じて気が付いたことを分析・整理してみることにする。


◆草創と守成といずれが難き
サラリーマン時代だが、急成長しベンチャーから抜け出た直後の会社に一年間お世話になっていたことがある。中に入ってみると、ロケーションやロゴ、企業スローガンなどは立派なのだが、業務は属人的で混沌としており、非常に非効率であった。そして非効率であるがゆえに、長時間労働は当たりまえであり、業界内ではいわゆる「ブラック企業」と呼ばれていた。リーマンショックを契機としてリストラという名の人員整理、経営者の交代を経て、今では立派にブラックとは呼ばれない大企業となっている。
この一年、支援してきたクライアント企業も同様に急成長し目下社員数数千名の大企業である。しかしブラック企業ではないものの、やはり非常に似た雰囲気である。やはり業務が属人的で非効率であり、ベテランメンバが「我流」を貫くやり方はどこか共通している。

ところで『貞観政要』という8世紀に書かれた唐の古典がある。この本は唐帝国の中興の祖である太宗と家臣の言行録として、その太宗の後継者へ「帝王とは如何にあるべきか」を教育するために書かれたもので、日本においては帝王学のテキストとして、北条政子や徳川家康が愛読していたそうだ。この中に「創業(草創)と維持(守成)のどちらが難しいか」という言葉が出てくる。結論から言えば「維持」の方が難しい(と考えるべき)と結論付けている。

◆創業向きと維持向きの人材は違う
『貞観政要』にもあるが、創業向きの人材と維持向きの人材は異なる。創業者はいわゆる立志伝中の人であったり、強烈なカリスマを持つトップが多い。そしてその周囲に普通ではない豪傑サラリーマンが集い、語り草になるような猛烈な働き方や伝説的な活躍をしたりする。そうした人材が創業向きである。私の乏しい社会人経験でも何人か知っているが、何時寝ているのか?と思うような24時間仕事に遊びに全力を尽くしているタイプが多かった。大抵、優秀で個性的でもあり、指示待ちではないというより、指示されることが嫌いである。外向的、情熱的で癖が強い。三国志で言えば、曹操の周りの豪傑たちと言うところか。
しかし、企業がある程度まで成長した後はそうした豪傑はあまり必要がなくなる。豪傑たちが作り上げた仕事を業務として仕組化し、それを維持・発展させる段階になると、むしろ「常識人」の出番となる。イメージとしては学校秀才でTPOを弁えたある意味で官僚的な人材が必要となってくる。これらの人々は指示されることにさほど違和感がない。混沌よりは秩序を、試行錯誤よりは効率化が重視される。この状態になると豪傑の持つ「強引さ・無秩序さ」は効率化の妨げになるため、あまり適合しなくなる。

◆創業期と維持期の間
さて、会社がある程度の規模になったり、ある程度存続できたとき、維持のフェーズは必ずやってくる。企業に限らず、黎明期から成長期を終えた組織体には必ず移行期が来る。例えば、私は子供の頃から地元商店街の町おこしの一環の「阿波踊り」の連(チーム)に参加していた。黎明期は商店街のオヤジ達がお囃子を、その子供たち(私もその一人だ)が踊り手をしていた。阿波踊りとしてのレベルはマチマチであったが、飛び入りも可だったし、基本的に盛り上げればよいというものだった。しかし、その二世たちが主催している現在は大所帯になり、連員の管理や練習の管理などが必須になり、良くも悪くも官僚的になる。阿波踊りとしてのレベルはかなり高いレベルで均質化している。初期のオヤジ達のようにふるまうと、効率化のベクトルと合致しないため、あまり歓迎されないだろう。これは組織の成長に伴う必然のように思える。

この移行期をスムーズに乗り切る企業もあるだろう。しかし、試練の時を迎える企業も非常に多い。『貞観政要』もまさにこの移行期の君主(リーダ)と臣下(メンバ)をテーマにしている。それが帝王学のテキストとなるからには、この移行期の問題はどの組織にも通じる普遍性のある問題なのだろう。

◆永久ベンチャーは成立しない
この移行期に特有の状態として、上層部(経営層)は創業期の立役者、ミドルは創業期の若手で構成されている。従って、創業期の陽性の無茶苦茶を成功体験として持っている。しかし、すでに大きく成長したその企業に入社してくる新人や若手は「ベンチャー」と見做して入るわけではない。その名声にふさわしいだけのある程度確立した企業だと考えて入社してくるわけである。これらの人々は会社に対して勝手に貢献するような人々ではない。良くも悪くも豪傑の上層部、その豪傑についていくだけの能力と野性味があった野武士的なミドル層に対して、学校秀才的な新参者は的確な指示がないと動けない。当り前である。その名声に引き付けられるのは、良くも悪くも安定志向の人々である。そのような安定志向の彼/彼女たちは「維持期」向けの人材である。
豪傑や野武士は「最近の若手は自主性に乏しい」「マニュアルばかり求める」「俺たちの時は勝手に仕事を探して貢献したもんだ」「人事は何を見ているんだ」等と嘆く。しかし、残念ながら当たりまえなのだ。十数年前の自分たちのように自主性に富む人々は大企業なんかに入ってこない。起業しているかベンチャーに行くだろう。さらに自分たちの成功体験が強烈なので、事情のあまりわかっていない若手が「勝手に」仕事をすれば烈火のごとく怒ったり、挙句にマイクロマネジメントに陥ったりもする。にも拘らず、自分たちのノウハウをマニュアルやルールとして文書化していないので、若手は何を基準に動いたらいいかわからないのだ。そして人事だが「自主性に富む≒忠誠心が低い」のは当然であるため、そのような人材を回避するものである。おかしな癖のある新人を採用して現場に文句を言われたくもあるまい。従って、創業者や豪傑たちの夢である「永久ベンチャー」は殆ど絶対に成立しないのである。
「永久ベンチャー」とはご想像の通り、「創業期の勢いと活性度のまま成長を続ける企業」のことだが、そのようなことにはまずならない。ほとんど法則のごとくならない。この移行期間はその会社が非常に不安定になる。これは上位層が自分たちの理想を諦め、中間層が仕事を標準化・マニュアル化することを受け入れるまで続く。

◆老いてもはや諫めを入れぬ王は貧しい羊飼いの子供にも劣る
しかし、これは創業メンバにとっては非常に難しいことのようだ。私自身も駆け出しの経営者だが、己一代で大企業に成長させたような経営者達はやはりものすごい。その実績/姿勢/カリスマ性は私のようなすれっからしでさえ尊敬に値すると考える。お世辞ではなく、人並み外れた力量があったがためにそこまで会社なり組織を成長させたわけである。だが、その強烈すぎる成功体験は人を全能感に陥れる。この全能感を制御するのは普通の人間には難しい。周囲には耳障りのよいことしか言わないYESMANばかりが集まり、会社に関することに限定されるとは言え、意のままにならないことはなく、マスメディアなどでも賞賛されという状態で正気を保つことはできない。だからこそ「帝王学」が必要になる。「帝王学」は「人をどう使うか、意のままに操るか」と一般に勘違いされているが、実際には真逆で「いかにして自分の全能感を制御して正気を保つか」という方法論に近い。旧約聖書の時代にも「老いてもはや諫めを入れぬ王は貧しい羊飼いの子供にも劣る」という言葉がある通り、これは人類普遍的なテーマらしい。この帝王学を身に着けえなかった帝王は必ず、身内に裏切られて滅ぶのである。織田信長しかり、隋の煬帝しかり、そしておそらくスターリンも。そしてそれは「是非もなし(良い悪いはない・仕方ない)」なのである。それを直接知っていた徳川家康は信長(や独裁者としての秀吉)を反面教師として強い危機感の下『貞観政要』を学んだのだろう。

◆現場の軍師として/経営者として
コンサルタントとしてまさに移行期にあるクライアントの企業の現場を支えることがこの一年のミッションであった。そのミッションを通して一番強く感じ、考えたことを今回は整理した。ここでまとめた問題の一つの解決策として『貞観政要』のような帝王学を次世代のリーダクラスに紹介・解説するようなコンテンツを作成し、研修の形で展開することがあるかもしれない。勿論、『貞観政要』のような名著を私が書けるわけではない。しかし、そのロジックを紹介し、換骨奪胎して現代日本人が理解しやすいようにまとめることはできるかもしれぬ。少なくとも二年目はこのコンテンツ作りとソリューション開発にも力を入れていきたいと考えている。



2018年4月1日日曜日

For your happiness


仕事は楽しいか?
多くの企業で新年度が始まる。日々の仕事が楽しいという人は幸いである。しかし様々な理由により毎日の仕事が苦痛である人は多いであろう。特に会社勤めの人で仕事が苦痛である人はかなり多い。実際に2017年の米ギャラップ社の調査によればやる気のない社員は70%、非常にやる気ある社員は6%であり、132/139ヵ国という非常に低い結果が得られた。それなりに高給で知名度も高い会社でも、行き詰まり感と愚痴に満ちていた。ちなみに「周囲に不満をまき散らす無気力社員」は24%。我が国を代表するような大企業を含む、いくつかの企業を渡り歩いた経験に照らすと大体正確に実態をとらえており「まあそんなもんだろう」というのが感想である。この状況に対する処方箋はそれこそ「自分のビジネス」として考えていくテーマではあるが、とはいうものの一般的な解がそう簡単にあるはずもない。これまでの経営や慣習、雇用の硬直性など様々な要因が複雑に絡み合っているので、個別具体的に考えていくしかない。このブログポストで書きたいのは、そういうことではなく、ある種の人々にとっては自分のことを自分で決めるようにすることで劇的に仕事が面白く、ストレスが軽減するという経験的な話である。それは私自身のストーリーでしかないので誰にでも通用する話ではないし、誰にでも有用という訳でもない。だが、読者の内の誰かの参考となればと思う。

不全感の元
私の仕事上の「不全感・不幸という感覚」の源泉はどこだったのか。20年ほど社会人をやりながら考え続けてきた結果、どうやら「自分自身の手綱を自分で握っていないこと」がそれであったように思う。というのは独立した現在、少なくとも主観的には幸福と感じているし、仕事上のストレスはほとんど感じない。サラリーマン時代よりも働いている気もするが、苦痛は感じない。その結果から判断するに「自分自身の手綱」を他人が握るか、自分で握るかが私の幸福のカギであったらしい。勿論、家族に恵まれているという要素はあるがそれば別途論じることとする。

20代前半で最初の企業に就職してからの3-5年くらいは、修行期間であった。特別な才能や強烈な「やりたいこと」があったわけではない私の場合はただ「使えないプログラマ」と「インチキSE」であった。謙遜ではない。プログラミングは未だに好きでも得意でもないし、当時の私のレベルはSEとしても非常に低レベルであった。そこからは外資系コンサルティングファーム、日系の総合人材企業、日系の製造業の中のシステム事業部と恐らく幸運なことに大企業ばかりを経験してきた。職種も様々だ。プログラマ、SE、グループ内営業、コンサルタント、人材紹介営業、法人営業、コンサルタント、商品企画、できることは何でもやってきたつもりである。待遇面でも外資系コンサルティングファーム時代を頂点に、いわゆる一流どころの給料であったので、実感はなかったが比較的恵まれてはいたはずだ。だが、楽しかったか?と言われれば非常に答えにくい。いや、逃げずに言えば「苦痛だった/モチベーションを維持するのが不可能だった」と答えるべきだろう。誤解のないように記しておくが、今となってはこれらの企業、同僚、上司には感謝しかない。それぞれの場所で多くのことを学んだし、その経験は私の仕事人生そのものである。それぞれの会社を批判するつもりはない。私が悪しざまに書いたとしたら、それは「構造」に対する批判だととらえていただければありがたい。

前置きが長くなってしまった。特に日系企業でのサラリーマン時代の苦痛を書いていこう。外資系での苦痛は「苦痛の意味」が異なるから別の機会に譲りたい。

苦痛の分析
まずは評価だ。被評価者として査定されるわけだが、これがたまらなく嫌であった。理由はこうだ。何をどう努力すれば評価が上がるのかがわからないからだ。実際、営業職でない限り、目標は定性的でしかも恣意的だった。勿論、人間が人間を評価するのだから、最後は好き嫌いであることぐらいは理解していた。しかし、それにしても不透明である。結局「上司の覚えをめでたくする」以外に評価を上げる方法はない。私の場合は良くも悪くも多くの上司と反りが合わなかったので、とりあえず被評価者として「評価を上げる」努力は完全に放棄していた。なぜこいつのご機嫌を取らねばならないのだという思いがどうしても拭えなかった。他にも理由がある。ここで評価が高かろうが低かろうが、さほど報酬に変化はない。またこの評価と昇給・昇格の関係もよくわからない。
では営業職なら明確なのか。確かに営業職は売上という動かしがたい「定量的目標と実績」がある。予算を達成すれば、評価は上がる。だが、残念ながら、担当商品やエリアは選べず、基本的にスタート時に大体ゴールが決まっている。最初に貧乏くじを引いてしまえば、予算達成できるかできないかが大体予想できてしまう。担当エリアなどは合議風の強制で決まるので、納得感はまるでない。では新製品やサービスを立ち上げればよいかというと、新しい商品やサービスをペイするまで育てるのは非常に難易度が高い。千三つ(成功するのは3/1000という意味)と呼ばれる領域での営業活動は既存事業での営業活動と難易度があまりにも違う。しかし、成熟した日本の大企業では新規事業を評価する尺度がない。新規事業に対しても売上目標が設定され、達成できないと実質的なつるし上げ会が始まる。勿論、評価者も周囲も本音ベースではわかっているので「大変だなあ」という声掛けはもらえる。だがそれが評価に反映されることはない。あるのかもしれないが私には知りようもなかった。

次は働き方である。ハードワークが嫌なわけではない。実際、40過ぎた今でも、必要とあらば徹夜も辞さない。昨年末から今年の年初にかけては大体毎日タクシー帰りであった。平均的な一日の労働時間は15時間ぐらいだっただろう。それでも精神的なストレスがないからどうということはない。ただ肉体的に疲れるだけである。しかし、日系企業で働いていた時はそうではなかった。自分で行動計画をざっくり立てて、それに従って日々行動しているのだが、上司の思い付きで差し込み作業が入る。すると計画が狂う。顧客の都合で差し込み作業が発生するなら文句はない。それは仕事の内であるし、そんなことは織り込み済みである。だが、上司の思い付きはそうではない。激務の間でも平気で無意味としか思えない会議を招集したりする。とあるお客様の案件で関西地区でシステム構築案件での話である。私が見積もりをしたのだが、常識的に考えて一人ではできない工数であり、納期であった。見積もった当初は3名程度で考えていたわけだが、ふたを開けたら、私がそのまま担当して、しかも一人。当時の上司に向かって何度もヘルプサインを出し、一人では無理だと訴えたわけである。しかし、一向に改善される(人がアサインされる)気配はない。東京のオフィスにいる際は何度もその話をしているのだが、社内メンバで何とかしろの一点張りである。勿論、社内メンバはそれぞれの案件を抱えており、身動きが取れない。そのくせ、時折思い付きで会議を開催しては独演会をする。いらぬ作業指示が来る。ただでさえギリギリの工数がさらに圧迫される。ストレスの頂点に達した私は、こんなメールを出した。「もうあなたとコミュニケーションをとる必要を感じない」と。そして良い関係性を構築していた顧客から、こちらの内実を話して「貴社の体制が不安だ」と訴えてもらったのだ。結果、外注のソフトウェア会社に助けてもらうことができた。勿論そのお膳立ては社内メンバと私が行った。何しろ、社内の上司が実質的に敵になるのだ。この下らなさったらない。社内調整と説得に工数を食われてのハードワーク。馬鹿々々しいにもほどがある。

人は時間的、体力的に働きすぎて死ぬのではない。四面楚歌の状態や意義を感じない仕事をやらされた結果のハードワークには耐えられない。多くの過労死の原因はそこにあるはずだ。睡眠時間を削ろうが、寝ないで働こうが、楽しく働いてさえいれば死んだりしない。楽しくないのに長時間働くから死ぬのである。

三つ目はマイクロマネジメントである。30代も半ばになると、ある程度の判断は自分でできるようになる。だが、権限移譲という概念が薄い日系の大企業ではやたらと細かいマイクロマネジメントがなされる。ある領域を任せたのなら、任せればよい。しかしそれができない。口では「君に任せる」というが、それは口先だけである。結局我慢できずにあれはどうなった、これはどうなった、どうするんだのマイクロマネジメントが始まる。それに従って失敗した時に一緒に尻ぬぐいをしてくれる上司はまだよい。だが、それさえないのにマイクロマネジメントをされるとはっきり言えば「馬鹿にされている」としか感じられない。「俺はあんたの子供でも家族でもない」といつも考えていたし、嫌がらせに「はい!いまからトイレに行ってきます!」などと叫んでもみた。これはある特定個人を非難しているのではない。日系企業ではかなりの確率でこのマイクロマネジメントをしたがる上長が存在する。そのくせ、失敗すると尻ぬぐいさえしてはくれない。ただ、部下のせいになるだけである。基本的に「大人として」部下を扱うことをしない。正確にはできないのだろう。その時代の私の口癖は「そんなに気に入らないならクビにすればいいでしょう」であった。大人気ないが、相手も大人扱いしないのだ。それぐらいがふさわしい対応だろう。

「自分の手綱を自分で握る」
この「楽しくなさ」の根幹はどこにあるのだろうか。最初に記した通り私の場合は「自分の手綱を自分で握れないこと」にあったようである。結局、サラリーマンを辞めて自分で会社を作り、零細コンサルティング会社を経営することになった時、社会人生活を楽しくないものにしていた「不全感」は消し飛んでしまった。サラリーマン時代と変わらないぐらい、或いは場合によってはそれ以上に働いているが、ほとんどストレスらしいストレスは感じない。ようやく自分自身の人生を生きている気がするし、自分で自分をしっかりとコントロールしている感覚が持てている。お陰様で仕事にも恵まれ、サラリーマン時代よりも経済的にもずっと恵まれている。もっと早くに独立すればよかったと思うほどである。実際にはベストなタイミングだったと思っているが、気分としてはそうだ。

まず評価はない。あるのは評判と報酬という名のフィードバックだけである。ハードワークもやらされているわけではないので全く苦にはならない。勿論、上司なんてものはないからマイクロマネジメントや社内政治とも無縁である。嫌な仕事は断ればいいし、失敗したら、やり直すだけである。その仕事を失うかもしれないが、また別の案件を獲得すればいいだけのことである。会社勤めの「安定」を手放す不安もよくわかる。私もそれで10年以上悩んだからだ。必要とされるスキルと縁さえあれば、日本は思いの外独立起業に優しい。考えてもみてほしい。私の父は中卒のケーキ屋だが、小さな町のケーキ屋として立派に経営してきた。それを考えれば、ビジネスマンとしてのスキルさえあれば、出来ないこともあるまい。また政府としては起業・開業を増やしたいので各種制度も充実しているし、税理士にいくらか支払えば、面倒なことはすべて代行してくれる。名刺の会社名に未練がなければ、あとは勇気だけである。

世の中の変わらなさや会社のくだらなさを嘆くのは簡単である。「家族がいるから」もよくわかる。しかし、世の中も会社も変えることは難しい。社会構造はそう簡単に変化しないし、変化してよいものでもない(それは革命である)。会社も経営者でない限り変革するのはそう優しいことではない。それにくらべたら、自分と家族をサラリーマン以外の手段で喰わすことははるかに容易なはずである。

この文章に共感してしまった人は独立することをお勧めする。勿論、誰にでもできるわけではないだろう。向き不向きもあるだろう。だが、独立起業することで見えてくるものもたくさんある。サラリーマン時代に培った何かがあれば、恐らくは誰かがそのスキルやノウハウを必要としているものである。これも独立して初めて実感できたことである。私のスキルや経験が本当に役に立つのか?自問自答を10年した。今はある程度の自信をもって「役に立つ」と言い切れる。また「人脈」の本当の意味も独立しないと分からないと思う。実際に人脈がつながり、仕事が頂けるという経験をしなければそのありがたさは理解できない。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は真理である。迷っているならば独立したほうがよい。周囲の意見を聞く必要はない。出来ない理由はいくらでもある。しかし、できる理由は実際に独立しないと分からない。あなたの幸福のために、切に思うのである。

2017年12月30日土曜日

年の瀬の振返り

2017年もあとわずかとなった。この辺りで振り返りをしておこうと考えてブログを書いている。このブログは公的なものと私的なものの中間と位置付けている。ある意味で仕事の延長であり、ある意味で遊びの延長でもある。とは言うものの「日本のビジネスマンの考えること」とサブタイトルを打っているので、少し公的、或いは仕事的なものに寄せて振り返ってみたいと思う。

独立と会社設立
2017年の私にとって最も大きな出来事はサラリーマンを止めて独立起業したことである。15年前の2002年(27歳)、当時は百貨店のシステム子会社で駆け出しのSEをしていた。しかし、ある意味人並みだが「このままここで働いていて意味があるのか」と考え始めた。就職氷河期の中で拾ってくれた会社ではあったものの、いわゆる情報システム子会社だったため、グループ内の仕事しかできず「下駄を穿かせてもらっての仕事」と感じていた。今思えばなかなかありがたい境遇ではあったものの「IT革命」やら「新自由主義」が流行り始め、若者らしく野心を燃やし始めたということだっただろう。
そこで「エクスペリエンス」(現:パーソルキャリア)のキャリアコンサルタントに相談したところ「コンサルティング会社で修行し、その後事業会社のIT部門長になる、若しくは独立開業する」というストーリーを吹き込まれた。事業会社のIT部門長はともかく、その独立までのストーリーは当時の私には非常に魅力的に思えた。その後、外資系コンサルティング会社へ転職、結婚する際も「いずれ独立する」と妻に宣言し、それから二回転職し10年、妻からも「するする詐欺だ、いつ独立するんだ!グズグズしすぎ!」と𠮟咤激励を受け、ようやく踏ん切りをつけての独立起業だった。2017年7月10日という会社設立日はこの先どうなろうと決して忘れられない日である。

独立直前に外資系コンサルティング会社時代の同僚に紹介を受け、コンサル仕事も久しぶりだったので「勘を取り戻す」という意味でPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)として現在の常駐先にお世話になることになった。独立してみると様々な偶然が重なっていくことが実感できる。「なるほどこれが『縁』か」と。袖すり合うも他生の縁。よく言ったものである。
お陰様でそれから半年間、それなりの評価を受けて無事に仕事ができている。経済的にも以前よりは恵まれた状態を維持できているのも、一重に皆様の(急にビジネス調でおかしいな)、言い換えれば「縁」のおかげである。

今後は研修サービスや中小企業向けCIOサービス、また業務ITに関連する製品開発を展開していきたいというのが現在の予定である。勿論様々な紆余曲折があるのでどうなるかは分からない。だが20年のサラリーマン生活で理解したこととして「自分で決めなきゃ、誰かに決められてしまう」という公理がある。 意思だけは持っておかないとやりたいことができなくなってしまう。それを回避するためにやりたいことの明確化をしながら正月を過ごしたいと考えている。

最初の現場
コンサルティング業界は他の業界とはまた違う守秘義務があるので、書ける範囲で書く。この10年弱は品川は港南で働いていたが、久しぶりに都心で働いている。とはいえ品川駅は港区なので区内で移動しただけといえばだけなのだが。
常駐先では優秀な、或いは有望な若者達と働いている。同年輩の人々はいわゆる部長以上という若い会社である。
「貞観政要」という唐の時代の古典に「草創と守成といずれが難きや」という問いがある。意味は「創業と維持はどちらが難しいか」ということである。この答えは「難しさの質が異なるので、やり方や組織を質的に転換しないと創業に成功しても維持できない」ということが書いてある。常駐先はまさに創業に成功し急成長した企業である。しかし、大企業への質的な転換ができておらず様々な問題が管理不能なレベルで起きていたりする。私の仕事はプロジェクトを通じて整理を行い、デスマーチ(IT業界の用語。プロジェクトがうまく進まず、メンバーに超人的な努力を強いる状況になること)となっているプロジェクトを軟着陸させることがまずは第一義、さらに「守成」のフェーズで仕事の仕方や方針を理解してもらうことにある。

2017年は、プロジェクトメンバーとして一緒に汗を流しながら「メンバーからの信用」「プロジェクトの把握」というステップが終わったというところである。この後はプロジェクトの立て直しのステップにかかる。なかなかタフだが、愉しくもある。PMOであると同時にフィクサーのような仕事であるが、久しぶりのコンサル仕事でも「案外、まだ私も役に立つ」と感じることができた半年間であった。

読書
2017年はE・H・カー「危機の20年」、エマニュエル・トッド「シャルリとは誰か」、佐伯啓思「アメリカニズムの終焉」、太田房雄「大東亜戦争肯定論」、エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」というあたりが非常に印象に残っている。大体年間100冊程度読むが、起業後はそれほど数が読めなくなってしまった。とはいえ40-50冊読了した中で、上記の5冊は必ず再読するだろう。また、エドモンド・バーグ「フランス革命の省察」もなかなかであった。保守思想の源流と呼ばれるバーグだが、その源流とはフランス革命への罵詈雑言というのが面白い。基本的には私も保守の立場であるが、確かに保守というのは新たな思想や行動に対する常識からの平手打ちという側面がある。とはいえ、少しづつ立体的に現代史と保守思想の理解が深まってたと感じる一年であった。来年はもう少しプラグマティックに地政学や国際政治学を勝手に学んでいきたいと思う。また仕事柄、失敗学も研究していきたいところである。

娘の成長
2013年に生まれた一人娘も今年で4歳になる。だんだん成長して、いつの間にか普通に会話のキャッチボールが成立するようになった。不思議な感覚である。勿論人並みに「プリキュア」と「ディズニープリンセス」が大好きなのだが、どういうわけか「恐竜」にハマっている。妻に言わされている部分もあるけれど「大きくなったら恐竜学者になる!」と最近は言っている。私も知らない恐竜も図鑑やカードを見せて「これは何?」と聞くと「スティラコサウルス!!」と答えるように。単にイラストで覚えているのかと思い、別の図鑑を見せてみる。恐竜は色が不明確なのと、羽毛の有無が最近分かったので、図鑑によってかなり違う。しかしやはり「スティラコサウルス!」とちゃんと答えるので、どうやらちゃんと特徴でとらえているらしい。子供の成長はすさまじい。ちなみにブラキオサウルスがお気に入り。アロサウルスやスピノサウルスのほうがパパはかっこいいと思うけど。


それでは皆様よいお年を。


2017年3月24日金曜日

経営コンサルティングとITコンサルティングの狭間(自己紹介:仕事編)

「IT系何でも屋」が現状の実質的な職務ですが、自己認識としては「経営系ITコンサルタント」です。「系」ってなんだよ?とわりとよく訊かれるので、もっとよい言い方がないものかと考えますが、なかなか良い呼称が見つかりません。ともかく「経営系ITコンサルタント」という造語を定義しながら、「経営とIT」の整理をしておきます。



経営コンサルタントは業務遂行に特別な資格が必要ないこともあって、なかなか定義が難しいものです。一般的には「経営理論」「財務会計」「業務運用」「組織管理」などの理論に精通し、特定領域の実務経験やコンサルティング業務経験に基づいて、経営者・経営層に対して根拠のある的確なアドバイスや経営計画作成の支援を行う人というところでしょうか。勿論、得手不得手やそれぞれの専門性はあっても、まずはこのあたりの専門家であることが経営コンサルタントを名乗るための資格でしょう。

次にITコンサルタントですが、これも定義が非常に難しいものです。ベテランのシステムエンジニアやプロジェクト・マネジャをITコンサルタントと呼んだり、ERPに代表されるパッケージシステムの導入の専門家をそう呼んだりします。とはいえ、その経験と知識に基づき、IT製品・サービスの導入と活用によって、経営上の問題を解決に導く専門家というのが、その定義でよいでしょう。

さて、「経営とIT」はほぼ不可分の領域ですが、現実には経営や実務に強い経営コンサルタントはITに精通しているケースは少なく、ITコンサルタントは経営や実務について疎いというのが、割とよくある話です。経営コンサルの立場で言えば、IT屋は経営や実務を知らず、理想的かつ教科書的な業務を想定してシステムを導入したがる連中だという認識ですし、ITコンサルタントからすると「そんな課題はITで一発解決するのに、経営コンサルは回り道ばかりする」というのが得てしてその認識だったりします。

経営実務とIT双方に精通するのは、実際かなり無理があります。どちらも広大かつ複雑な海のような領域なので、たとえて言うと「太平洋」と「大西洋」双方を地理学・海洋学・生物学・気象学・航海・船舶などの観点で、少なくともすべてを広範囲に知っており、かついずれかの分野で専門性を持っているという状態だからです。これは一人の人間にはいくらなんでも無理です。経営とITに精通するというのは大げさに言えばそういうことです。

その問題を解決するため大手コンサルティングファームならば、それぞれの領域の専門家を束ねたプロジェクトチームで案件にあたります。その結果、ただでさえ単価が高いコンサルティングフィーは非常に高額なものとなり、中小企業ではなかなか手が出ないものになっています。(2000万~数億のオーダー)

本来、改善の余地が多く、経営にせよITにせよコンサルティングが有用なのは中小企業のはずですが、大手ファームはなかなか利用できません。従って、中小企業が利用するのはフリーや小規模なコンサル会社というケースがほとんどでしょう。そうすると、それぞれのコンサルタントは経営実務には詳しくてもITが弱い、あるいはITは強いが経営実務は苦手ということになりがちです。

そこに私のような「経営系ITコンサル」の役割があると考えています。基本的なベースとして製造業・流通業を中心に業務コンサルティングを行いながら、「要求定義」や「ビジネスフロー」作成を行います。それが結果的に経営上の問題点を解決するためのITからのアプローチとなり、後工程を担当するITコンサルタントやシステムエンジニアへの橋渡し作業となるわけです。私のような「コウモリ」は意外と少ないのですが、パソコンやオフィス機器導入相談や、無料ツール活用というようなちょっとした相談から、ERP導入やSCM革新相談までその道の専門家ほどではないにせよ、経営上の問題点を勘案しながらお請けできるので、案外重宝な存在のようです。


もしも、フリーや小規模なコンサル会社の利用をご検討ならば、「経営系ITコンサル」あるいは「IT系なんでも屋」のような観点を足して、コーディネータに「何でも屋もチームに加えなくていいの?」といってみてください。(なんだか宣伝みたいですが・・・)

2017年2月26日日曜日

芸術と商売

「お前などは彫像を商うよりも、豆でも商っているほうがふさわしい」

花の都フィレンツェがルネサンスの中心であった14世紀から15世紀に活躍した彫刻家のドナテッロをご存知でしょうか。重要な芸術家なので美術史や世界史の授業では大抵触れられているはずですが、レオナルド・ダ・ヴィンチ程には知られていない芸術家です。しかしその胆力は豪胆で知られるレオナルドに勝るとも劣りません。

「ある時、ジェノヴァの一商人が、ドナテッロにブロンズの頭部像を注文した。仲介をしたのは、メディチ家の当主で、当時のフィレンツェの事実上の支配者でもあり、ドナテッロのパトロンでもあったコシモ(コシモ・デ・メディチ)である。ブロンズ像は、見事に完成した。商人も、満足のようだった。ただ、ジェノヴァ商人にしてみれば、ドナッテロの要求した額が、非常識に思えたのである。ブロンズ像制作に要した期間は、一ヶ月かそれに少し足した期間にすぎない。一日分の労賃を半フィオリーノとしても、高すぎる、というわけである。
(中略)
『おまえなどは、彫像を商うよりも、豆でも商っているほうがふさわしい』
 といって、つくりあげたばかりの像を窓から投げ捨てた。道路にたたきつけられた像は、ひしゃげたブロンズのかたまりと化してしまった。

後悔したジェノヴァ人は、言い値の二倍だすからもう一度つくってくれという。だが、ドナッテロはもう耳を貸さなかった。コシモ・デ・メディチが推めても、耳を籍さなかった。」(塩野七生『わが友マキアヴェッリ』より)

これを読んでどう思われたでしょうか。ジェノヴァの商人に同情しますか?それともドナテッロにシンパシーを感じますか?1フィオリーノはおよそ12万円と考えて良いようです(現在の貨幣に換算するのは難しいですが、ざっくりと)。
すると大体6万円/日×30日として180万円という計算になります。このときにドナテッロが要求した額はわかりませんが、たとえば1000万円とだとしましょう。すると、人月単価で180万円(これだってマネジャークラスのSEもしくは、独立系のコンサル並みの価格です)で製作したものの付加価値が1000万円-180万円、即ち820万円であるとドナテッロは主張したわけです。

見積の提示はきっとなかったのでしょう。当時既に知られた存在であったドナテッロに、最高権力者のコシモを経由してアプローチしたのですから、ジェノヴァの商人もある程度は「はずんでやろう」とは思っていたに違いありません。おそらく、相場の2-3倍ぐらいを考えていたと想像します。「一日分の労賃を半フィオリーノとしても・・・云々」と言ってますから、きっと相場の一日分は1/4フィオリーノ即ち3万円ぐらいだとして、3×30日で90万円、その倍額として180万ぐらいを想像していたのではないでしょうか。ところが、ドナテッロの要求額は桁が違いました。



ジェノヴァの商人は後悔して「言い値の二倍だす」と言っているのですから、芸術の観点で価値が分からない人間ではないのでしょう。しかし、商人としてのセンスがドナテッロの要求額が非常識と思わせ、結果、傑作(だったかも知れない)を無価値なブロンズの塊にしてしまったのです。



一見、非常識な芸術家の非合理な言動に常識的な商売人が翻弄された話に読めますが、現代の我々が後出し的に眺めるとドナテッロが正しかったことが分かります。ドナテッロの彫刻は不滅の価値を持ったのですから。実はここに我々日本の企業とビジネスマンの限界と突破口があるように思えます。

2016年のアドビシステムズの調査では世界一クリエイティビティの高い都市は東京であると評価されているのにもかかわらず、自らをクリエイティブとと考える人の割合は、案の定最下位であり、クリエイティビティへの投資が成長のカギと考える人の割合も最下位でした。日本人はドナテッロであることに気がつかないということのようです。或いは、未だに「ドナテッロなど日本に生まれる訳はない」とでも思っているのでしょうか。ここから見えてくることの一つに「評価」の力が不足しているということが考えられます。

何かの価値を測る場面、例えば「新しい製品の価格を決める」という状況を考えてみましょう。ある製品の価格案を作成するよう頼まれたとしましょう。どうやってその製品の値段を決めればいいのでしょうか。既存製品の多い分野ならば「相場」や「他社見合い」でおよその価格が決定できるでしょう。後は原価率などから最大限の粗利が取れるように設定すればよいのです。しかし、世の中にないもの、新規性の高い製品だったらどうでしょう。

それでもまずは競合になりうる既存製品の相場を調べるでしょう。その製品の要素を分解して、それぞれの競合製品の価格を調べ、コスト計算を行い、投資回収のシミュレーションを行い、そこから付加価値分を含めた妥当な価格を導き出すという作業をするのではないでしょうか。しかし、この付加価値分というのがなかなか曲者で、B2Bの分野ではどうしても製品購入の投資対効果(ROI)が求められるます。それは値引きの方向に引っ張られるので、取り合えず「えいやっ!」と高めに設定するしかありません。ここでは高めというのがミソです。値引きは後からいくらでもできますが、自分の意思での値上げはまず無理だからです。

更に難しいのが人月商売です。人月単価をいくらにするのか?というのはなかなか難しいものです。システム構築(SI)の世界なら、ゼネコン同様に多重請け構造になっているため、およそ相場が決まっており一次請けベンダで1人月(一人が一ヶ月≒20日働く単位)で、100万円~150万円、二次請け三次請けで50万円~100万円というところでしょう。それをベースに何人月でシステムが構築できるかを事前に見積りし、価格を決定するのです。ところが、この見積は多くの場合外れます。自社内で完結してればいいですが、下請けを使っていると粗利がどんどん削られていき、赤字プロジェクトになったり、メンバーが徹夜に継ぐ徹夜のようなデスマーチがよく発生します。

さて、ここで経営者が考えるべきはどうやって「ドナテッロ」になるかです。本当に貴社の技術者は売価で100万円くらいの価値しかないのでしょうか?貴社に蓄積されているノウハウや知的財産、バックアップ体制やネームバリュー、何より価格以外の差別性を突き詰めましょう。もし「安価であること」しか差別要因がないのなら、それ以外の要因を出来るだけ早くつくることが経営者のやるべきことです。貴社にしかできないことは何か?これを突き詰めることが正しい自己評価につながるはずです。それができればたとえ腹の中だろうと、元請け会社に「お前は豆でも商っているほうがふさわしい」ということができるでしょう。そうすることで、投資すべき会社や案件の目利きポイントが少しずつ分かってくるはずです。

自分(自社)にしかない価値を見つけ、或いは徹底的に作り上げ、最大公約数的な価値から代替不可能な価値の提供へ変換する。それはマス・プロダクトよりも芸術品に似ています。芸術品は全ての人が理解できる必要はありません。理解できる人が高い価値を感じればそれでいいのです。あまりにも当たり前のことですが、我々は合理的になることによってのリスク回避にあまりにも偏っているのではないでしょうか。合理性とは誰もが理解できることの言い換えなので、それを追及すると、どこにでもあるモノやサービスになりがちです。リスク回避は絶対に重要ですが、それにとらわれ過ぎるとどこかの銀行のように「担保と保証」ばかりに依存意するようになります。それでは芸術品は創ることはできません。ドナテッロに鼻で笑われてしまうでしょう。

我々日本人は「ドナテッロ」だと世界は見ているのです。堂々と見合う金額を提示し「得をするのはあなたです」と言い切ってやりましょう。本当の価値など誰にもわかりません。ストーキングツールでしかなかったFacebookがこれほどの収益を生み出す企業になるなど誰一人予想できなかったはずです。まずは自分が納得できるまで努力して「うちの商品・サービス・技術者は傑作だ」と言い切ってしまいましょう。どうせ評価するのは他人ですが、全力を傾けたモノを「どこにでもある」と卑下すると、あたら傑作を無価値なブロンズの塊にしてしまうかもしれません。 (と半分自分に言い聞かせていたりしますが。)

2017年2月15日水曜日

破壊的イノベーションの生まれる時

趣味の一つで飛行機のプラモデル制作をしています。所謂、実物をスケールダウンした、スケールモデル専門です。いい年をして何が面白いのかという疑問がおありでしょうが、これが面白いのです。一つには立体を組み上げるという楽しさですが、これなら何を作っても同じ楽しみはあります。世代的には「ガンプラ」も楽しいものです。(ちなみにグフが好きです)しかしスケールモデルは実物があるので、実物を見たり、いろいろな資料を当たりながらプラモデルに落とし込んでいくということができます。なかでも飛行機は実物をそう簡単に所有できるわけでなく、古い飛行機ならば資料しかありません。書籍やネット、博物館などに行ってそれらを漁るのも飛行機モデル作りの醍醐味だと勝手に考えています。

私もそうですが、飛行機モデル好きの7割ぐらいは「戦闘機」が一番好きなのではないでしょうか。身近な旅客機やエアレーサーのような民間機も格好いいのですが、軍用機、とりわけ戦闘機はやたらと格好よく見えます。軍用機は戦闘機以外にも、輸送機・爆撃機・攻撃機・偵察機など様々ありますが、「飛行機を叩き落とす」という目的のために作られた戦闘機は、いわば「猛禽類の精悍さ」のようなものがあるように思えます。何しろ、敵だって同じようにこちらの飛行機を叩き落とそうとするわけですから、少しでも「速く・高く・すばしこく」なければなりません。そうやってしのぎを削って性能向上してきた結果、贅肉のない機能美のようなものを戦闘機は纏ったのでしょう。

1903年にライト兄弟が人類初の動力飛行をしてから様々な発明とイノベーションを繰り返し、主に軍用機の分野で今日の情報技術のような異常発達をしてきた飛行機ですが、1930年から40年代までにプロペラ機(ピストンエンジンで飛ぶレシプロ機)はほぼ完成の域に達します。「速く・高く・すばしこく」の内、「速く」というのがこの時点での軍用機の最重要な要件になっていました。とりわけ戦闘機では「速さ」は他の全ての要素を圧倒するほどの重要な要件でした。少々「すばしこさ(旋回性能・格闘性)」が悪くても、速度さえあれば敵機を圧倒できます。各国(英・米・独・日の列強。この時点ではソ連は入りません)が開発競争を繰り返した結果、およそ実用機で600km/h〜700km/h、どれほど頑張っても、800km/hぐらいがプロペラ機の限界というのがわかってきました。いわゆる「音速の壁」です。プロペラというのは回転速度が速くなればなるほど効率が落ちます。音速に近づくと空気が圧縮されてしまうのがその理由です。音速はおよそ1225km/h(≒マッハ1)ですから800km/hでもだいぶ余裕がありそうですが、機体が音速になる前にプロペラの速度が部分的に音速近くになってしまい、その結果スピードが頭打ちとなるわけです。ちなみに600km/hを越えるとまずまず高速機と言っていいというのがおよそ第二次大戦末期までの状況です。

そんな中、1944年のドイツで「破壊的イノベーション」が起きます。史上初の実用ジェット戦闘機が運用を開始しました。メッサーシュミットMe262です。先述のように実用戦闘機の速度が600km/h〜700km/hという時期に、このプロペラを持たない異様な姿の戦闘機は一気に870km/hという桁違いの速さで敵機を圧倒し始めます。同時代の敵味方の最新鋭機の速度差が200km/h近くも開いたことはありません。生みの親のドイツはそれでも戦局をひっくり返すことはできず、第三帝国は崩壊しましたが、ジェット戦闘機はまさしく破壊的イノベーションであり、それ以降プロペラ戦闘機はもはや過去の遺物となっていったのです。ある意味、現代の全てのジェット機の直接の始祖鳥がこのMe262です。


さて、Me262は発明ではありません。あくまでイノベーション(新結合・革新)の産物です。ジェットエンジンの原理の発明はなんと1791年。さらに実際にジェットエンジンが動いたのはライト兄弟の初飛行の年1903年です。それをさらに洗練させてターボジェットに仕立てたのが、イギリスのホイットルとドイツのオハインで、1930年代に戦闘機開発に適用されはじめ、既存の機体設計技術と結びついてMe262が実用化されたわけです。この破壊的イノベーションはナチスドイツを救えませんでしたが、ガラケーが駆逐されたごとく、短期間にプロペラ戦闘機を駆逐してしまいました。これ以降プロペラ戦闘機が新規に開発されることはもはやありませんでした。

この破壊的イノベーションは難産でした。まず0→1と1→100を成し遂げた企業と人物が違います。0→1を実現したのはターボジェットの生みの親オハインを擁するハインケル社です。政治的にナチと反りが合わないエルンスト・ハインケル社長は総統のヒトラーや空軍元帥のゲーリングに嫌われ、作り上げた試作ジェット戦闘機を量産させてもらえませんでした。ただこの試作機も650km/hを超えていため、いくらハインケルが嫌いでも首脳部は無視できず、社長がナチ党党員のメッサーシュミット社にジェット戦闘機を開発させます。ヴィリー・メッサーシュミット社長兼設計技師はただのゴマスリ野郎ではなかったため、ハインケル(というかオハインの)発想を下敷きにしつつも、後退翼のような新機軸の技術を盛り込んだMe262を完成させ、1→50ぐらいまでやりきります。これにはナチ上層部に気に入られているという立場を利用した政治力が不可欠でした。というのもエンジンを担当したBMWは最後までハインケル以上のエンジンを完成させ得ず、計画が何度も挫折しかかっているからです。結局エンジンを完成させたのはユンカース社でした。もしも主任技師がメッサーシュミットではなく、ハインケルであれば実用化どころか葬り去られていた可能性が高いでしょう。

そして残りの50→100を成し遂げたのは現場の実力者アドルフ・ガランド少将を中心とした現場です。最後までジェット機の本質を理解できなかったトップのヒトラーと違い、歴戦のパイロット(というかスーパーエースの一人)であるガランドは試作のMe262に試乗して「天使が推してくれているようだ」と語り、現場の戦闘機生産を徹底的に絞ってMe262を集中生産すべきと主張します。煙たがられながらもガランドは執念深く首脳部を宥めすかして説得し、半ば勝手に生き残りの優秀なパイロットをかき集めてジェット戦闘機隊を作ります。そして、圧倒的な性能とパイロットの技量で米軍を中心とした連合国に一泡吹かせ、ジェット戦闘機が次の時代のスタンダードであることを示したというのがイノベーションの実現までの大雑把なストーリーです。

こうしてみると、イノベーションを生み出すことと事業として成立させることは全く別のことであり、オリジネイターよりもコピーキャットの方がより良いプロダクトを作り、成功させることもあるということがわかります。例えば今時のビジネスマンなら誰でもお世話になっているマイクロソフトのパワーポイントも、元々は別の会社が開発したプロダクトでしたがマイクロソフトが会社ごと買収したことで、プレゼンテーションソフトのスタンダードになったわけです。もちろん、スティーブ・ジョブズ式に0→100を自分&自社でやるということもあり得ますが、これは例外中の例外と考えた方が無難でしょう。大企業の経営トップが死ぬまでイノベーターであり続けるというのは例外です。
ジェット戦闘機の始祖でさえオリジネイターではないのですから、政治力や営業力が強みであるという大企業は積極的に中小企業やスタートアップに大いに投資すべきなのかもしれません。少なくとも成功しかけている中小やスタートアップに投資するか買収してアイデアを戴いてしまう方が、0から自分で考えるよりも遥かに成功率が高いでしょう。
ただしトップのヒトラーは最後までジェット戦闘機の本質がわからず、Me262を爆撃機として運用しようとしていました。様々な理由からこの時点ではジェット爆撃機はあまり意味がありませんでした。その意味で投資に値するかを見抜く眼、あるいは伯楽の役割をもつガランドのようなキーマンが重要になってきます。善悪好悪から離れて一考の余地があると思いますがいかがでしょうか。

2017年2月11日土曜日

ワークスタイル変革というけれど

先日、SANSAN株式会社が主催した「SANSAN Innovation Project2017」という展示会兼セミナーに参加してきました。諸事情がありまして、ほんの一部しか参加できませんでしたが某IT企業の社長や副社長の座談会などききながら、ぼんやりと考え事をしていました。座談会のお題は「ワークスタイル変革」。近頃よく聞く言葉です。単なるバズワードかもしれませんが。

「ワークスタイル変革」とは、結局のところ「新事業を構築したり、劇的に効率化したり」するためのイノベーション(革新)を起こす為に、働き方から見直してみよう」という取り組みというのが一般的な解釈でしょう。もっと突き詰めれば、「働き方を変えれば結果が変わる(はず)」ということになろうかと思います。

「ワークスタイル変革」などと銘打たなくとも、これまで働き方というのは結構変わってきました。古くは電信技術・・・なんて歴史を紐解かなくとも、この15年くらいの間に、インターネットを中心に「電子ファイル&メール」がオフィスワークの中心になり、SNSの発達でB2Cマーケティングのあり方は変わり、クラウドソーシングやクラウドファウンディングというようなヒトモノカネをインターネットで調達できるという猛烈な変革がありました。その結果、働く側が少しでもラクになったか、楽しくなったか、というと少なくとも企業勤めのサラリーマンはむしろ多忙になったというのが実感ではないでしょうか。

情報技術の発達が寄与したのは「効率の劇的な向上」でした。早い話が10日かかる仕事が1日で出来るようになったので、その分10倍仕事をするようになったという事に尽きます。特にオフィスワークはそうです。仕事柄いろいろなオフィスを訪問しますし、自分の所属する会社をみても、「みんな疲れているなあ」と感じます。どちらかというと、効率化がもたらしたものは、その追求による「現場の疲弊」だったのではないかという気がします。顧客満足度は大幅に向上したでしょう。(何しろ、ネットで注文すると下手するとその日のうちに届くという異常発達ぶりですし)ですが、従業員満足度はむしろ下がったと思います。現場からまったく「余裕」というものがなくなったのが、情報技術の発達の帰結ではないかと。

ところで、企業活動の効率化を実現するのにほとんどこれしかないという方法が「標準化と整流化」です。業務をプロセス単位にモデル化し、流れを分析して、どこがボトルネックになっているかをあぶり出し、そのプロセスをどうすれば標準化できるかを考え実行すると結果として整流化がなされます。このステップを踏めば、ほぼ全ての現場で効率はアップします。またそのプロセスをITを利用して自動化してしまうことで、省力化し、アウトプットを減らさずに人員のカットでさえ可能となります。
業務コンサルティングの肝はこれだけといえばこれだけで、どんな仕事でも工場のラインのごとく誰がやっても整然とこなせる状況を実現するということです。

その結果、コンサルや経営側はギリギリの効率を狙いますので、人は減るのに仕事は増える(で、給料はあがらない)という状況になります。従業員満足度はむしろ下がります。さらにプロセスに区切られた仕事はKPI(その時点で達成すべき数字)で管理されますので、割合とギスギスします。日本の大企業はかなり標準化されていますので、かなりの確立で「不機嫌な職場」と化していることが多いでしょう。(偏見だといいですが)

さて、効率化と革新(イノベーション)は普通に考えると非常に相性が悪いものです。ある意味極限まで効率化された働き方(業務プロセス・勤務形態・人事評価諸々)は精密機械のようなもので「思いつきの行動」を許容できません。それを許せば間違いなく効率が下がりますし、複数の人間がいくつかのプロセスをスクラムを組むように進めているケースが多い現代の職場では、一人の思いつきの行動がかなりのダメージを業務に与えてしまう可能性があります。もちろん、多くの業務ではさらなる効率化、合理化を志向していますから「プロセスの改善」は常に起きます。しかし、その職場からプロセス・イノベーションと呼べるような革新的な改善はなかなか難しいのです。何故ならば、その変革のために一時的であれ、せっかく標準化と整流化を実現し精密機械と化した業務を混乱させる必要があり、ビジネスにマイナスのインパクトを与えるからです。いわゆるイノベーションのジレンマというものですね。

この状況からセレンディピティやら個人の勝手な探求やらが必要な「イノベーション」が生まれるとは想像できません。スタートアップ企業のように、これから或は今まさに「ビジネスの作り込み」をしているならばいざ知らず、「効率化」のフェーズを終えてしまった職場ではイノベーションのための隙間がありません。なので、「働き方を変えて結果を変える」ためのワークスタイル変革とは、隙間を作る、別の言い方をすれば効率を落としてでも少し働き手が余裕を持てる方向になるはずです。時間な余裕(工数)だけでは不十分で、働いているメンバーがそれぞれに考えるだけの精神的、環境的な余裕を持たせる必要があります。そうでなければそもそもアイデアすら出す気にならないでしょう。人間は普通はあまりにも余裕がないと「思考停止」して精神を防衛するものだからです。

ただ実際にはその企業のDNA、もしくは企業文化の中に「隙間を持たせる」ことが最初から組み込まれていないと実践は難しいものです。
その「隙間」そのものに価値があるにもかかわらず、そのDNAが組み込まれていない企業だと、大抵は「もっと効率化して、その結果出てきた時間的余裕(工数)でイノベーションを起こそう」と考えがちです。しかし、まだまだ効率化まで至らないスタートアップを除けばこれはうまく行きません。なぜなら「さらなる効率化」は結局現場のさらなる疲弊を招き、考える余裕を奪う上に、「隙間」それ自体の価値を認めないため、イノベーションをKPI的に管理しようとして、結局小粒のアイデアが言い訳的に出てくるだけになり、出てこなければ「イノベーション」を効率化しようとしたりします。「革新」を「効率化」するなんて悪い冗談でしかありません。

ワークスタイル変革でイノベーションを起こそうとお考えの企業は、まずは従業員が余力を持って、笑顔で働けることを目標に「ワークスタイル変革」を行なうべきでしょう。そしてその「隙間」「余裕」それ自体に価値があると考えてください。そしてその余裕が結果としてイノベーションにつながる(かもしれない)ぐらいに構えるべきです。もし、そんな不確実なことはできない。我が社の社員にそんな能力はないとお考えの上で、それでもイノベーションをと仰るならばベンチャーキャピタルを経由して、有望そうなスタートアップを買ってしまうやり方がより近道だと思います。



結局、不機嫌な職場に「イノベーション」は難しい。ましてや片手間では100%無理。というのが今のところのコンサル屋としての私の結論です。