2018年5月24日木曜日

「ITの世界において日本は世界に貢献していない」について


最近ネット記事などを読んでいると「ITの世界において日本は世界に貢献していない」という趣旨の言葉を目にする。元々ITでは存在感の薄い日本であるので、まあそんなものだろうとは思うが、製造業やほかの業界から見ると「どんなことになっているのか??」という疑問もあろうかと考えるので、少し考えてみる。


IT技術はネットワーク技術の発達によって「時間と空間を超える」事をその本質の一つに加えた。要するにインターネットを媒介として、世界のどこにいようとも、瞬時に情報共有やコミュニケーションが成立する。IT業界に限らず、社会的にも政治的にもこのことの意味は大きく、協力であれ、対立であれ国境や国籍の意味が多少なりとも薄れてきた。

さて、協力と対立の内「協力」に着目してみる。インターネット上には様々な国籍を問わないコミュニティが大小問わず、自然かつ大量に発生しているのが現状である。FacebookやTwitterなどのSNSはその基盤の一つであるし、国際的なコミュニティが達成した成果としてはコンピュータOS「LINUX」などがある。勿論、現在進行形で様々なインターネット上のコミュニティがあり、IT業界においては相互に情報やノウハウを共有したり、切磋琢磨したりしている。IT技術はあまりにもその進歩が速いため、情報を囲い込むよりも共有し、相互フィードバックすることで技術者自身はその技術をブラッシュアップし、自分の技術の陳腐化を防ぐことができる。また、相互フィードバックなので、その技術者の知見もコミュニティに還元することで、そのコミュニティへの貢献となるわけである。

しかし、ネットワーク技術でも超えられない壁がある。お分かりの通り「語学」、この世界のデファクトスタンダードである英語がそれである。一般に「日本人は英語の読み書きはできるが、会話が苦手」と言われていたりする。しかし、私の見るところ多くのIT技術者を含む日本人は「読み書きすらままならない」のが実態であり、ましてや「会話」などほとんどできない。勿論例外はかなり多いが、大多数はその状況なので、英語のコミュニティから見れば「いないも同然」であり、活発な英語話者のメンバにとって「日本からの貢献」は無きに等しい。従って、「ITの世界において日本は世界に貢献していない」という命題は真であるし、これからも劇的に変化することはないだろう。

個人としては・・・
技術者個人としての対処方法は大きく3つある。一つ目は英語コミュニティに飛び込みながら英語を身に着けて、そのコミュニティに貢献するという方法である。実際にはさほど難易度が高いわけではないだろうが、幼少期から、英語(と外国人、特に欧米人)に対するコンプレックスを植え付けられて育った土着の日本人には心理的障壁が高すぎて、この道を取る人が多数派になることはない。従ってライバルとなる日本人は少ないため、国内での希少価値は高く維持できる。個人に対して私が推奨する方法はこれである。英語で仕事と仕事の話ができる技術者は日本においては永久に少数派なので、英米文化と英語の天下が続く以上は強力なアドバンテージとなる。

二つ目は「そういうもの」と割り切って、日本で、日本語の仕事に徹し、世界貢献など相手にしないことである。実はライバルが多く、よほど独自性や高い技術力を持たないと代替可能な人材にしかなり得ないので、収入面でもよいことはない。しかし、得意なことに特化して自分のリソースを投下できるし、日本国内の市場は小さくないので生きていくことはできるだろう。また日本語を障壁に使うことができるので、国内で開発された技術を国内の中でフィードバックし合いながら高め合うと同時に、非日本語話者を排除することもできるだろう。ただこれについてはあまり可能性がない。それはIT業界においては日本の技術はむしろ後進であるからである。茨の道だが、大多数の日本の技術者がこの道を選択するだろう。

三つ目は「諦める」である。世界への貢献どころか、国内への貢献、社会への貢献も諦めて、人間関係で食いつないでいくことである。得意な人は得意だろうし、特に否定はしない。しかし、技術を追求しなくなった時点で、技術者としては死を迎え、管理者やコンサルタントなどに生まれ変わる等をしない限り、その人はゾンビである。本人がゾンビであることを許容するのはOKだが、流動性が高まる雇用環境において、被雇用者としては非常に厳しい状況に置かれることは認識したほうがよい。

経営の立場としては・・・
日本人の英語力向上やらグローバル人材育成やらというような話は、基本的にうまくいかない。前述のように、モノリンガルな技術者が絶対多数で今後もあり続けるだろう。「世界へ貢献」などする気がなくとも、日本で生き残っていけるだろう。経営目標の究極は「ゴーイングコンサーン」なので、それはそれでも何も困らない。経営者がどうしたいかが殆ど全てである。しかし、Web系のベンチャーは是が非でも国際的なコミュニティに参加し、最新の技術をキャッチアップし続けたほうがいい。舶来上等は骨がらみで、相変わらず米英発の技術はありがたがられるし、実際に日本よりも進んだ技術やトレンドを活用できるだろう。

一次請けのSIerならば、現状以上にビジネスモデルを改善するのは難しい。ITゼネコンであることを徹底し、技術よりも人的ネットワークと管理技術を徹底的に鍛えるほうが生存確率があがるだろう。下手に改革すると、市場における優位性を失いそうである。ただし、海外展開をする場合はこの限りではないが、日本国内のパイは大きいので、そこまで切実に「グローバル化」する必要はないはずだ。

二次請け以降の小規模SIerで、その状況を打破したいならば、技術力を向上する方向性は有力な選択肢である。自社プロダクトを追求すると同時に「コードが書けない/技術力がない」管理職を撲滅するところからスタートしてはどうだろうか。おそらく技術者たちは「IT業界最底辺」の自己認識に苦しんでいるはずなので、そこを打破するきっかけとして、技術力至上主義と世界コミュニティへの貢献を旗印にするのも悪い選択肢ではないと考える。その場合はDevOpsなどの導入方法論も磨いていくと鬼に金棒となるだろう。事業会社主体でのシステム導入を進め、米国式に業務システムは内製化の流れを作るという戦略などもありうる。

国家・政府としては・・・
経営まではコンサルタントとして、対応施策を記したつもりであるが、国家や政府に対しては評論家的に意見を述べるほかはない。

さて、日本政府がIT産業においては、殆ど全ての観点で「米国はもちろん、インドや中国に対しても日本の優位性はない」という認識を持っているだろうか。恐らくあるまい。また、それを語学の問題に収斂させがちだが、それは問題の矮小化である。また、私利を追求することで社会へ貢献する個人や経営者と異なり、平均的、或いは平均以下の個人も考慮に入れて政策を行わなくてはならない。自由放任かつ弱肉強食というのはすでに政治ではない。それは政治の放棄である。

まず、ITという成長産業において、技術の最前線に立つプログラマ(コーダー)が、最下層のヒエラルキーに組み込まれているという現状を認識していただきたい。名だたる国内のSIerには営業力と調整力と管理能力があるだけで、産業構造としてその下に組み込まれた、二次請けや技術派遣、或いは偽装請負のシステムエンジニアやプログラマが支えている。彼・彼女たちは非常に低い単価、即ち賃金で業界を支えている。IT土方という言葉があるように、ほぼ「誰でもできる仕事」と位置付けられている。語学がどうこうというより、成長産業にいながら、死んだ魚のような眼をした労働者をなんとかするのが先だろう。

その上でこの産業は(宗主国の)米国がトップランナーなのだから、英語でのコミュニケーションスキルは大きなアドバンテージになり得る。つまりIT技術者は英語を学ぶ動機が本来ある層である。しかし、国家ぐるみで英語への劣等感を拡大再生産する上、語学が苦手な層とかなりの率で被るので、この層は語学に対するモチベーションそれ自体が破壊されている人が多い。あくまで私見というか偏見ではあるが。

学校教育で英語でのコミュニケーションができるようになるなどと言う実現不可能な目標は諦めて、取り敢えず、中学英語で最低限の単語と文法を覚えたら、あとは語学学校に任せて、必修科目から外すなど、劣等感の払拭をメインテーマに据えていただきたい。劣等感という心理的障壁がなければ、必要に応じてJavaやC#やSQLと同様にこの層は英語を身に着けることができるだろう。

何しろ、まずは劣等感をなんとかしないことには、最初から負けているし、いじけたままでは貢献する気など起きないのが人情というものであろう。