2019年2月4日月曜日

維持フェーズへの転換


企業のライフサイクルは様々だが、コンサルタントとして、或いは従業員として、創業期から維持期への転換を見た。また、すでに維持期に入っている、日系の大企業と外資系の大企業も内部から眺めていた。否、少しでも前に進めるためにもがいていたというほうが正しいが。
20年ちょっとの社会人生活の中で、それぞれライフサイクルにおいてステージの異なる企業と深くかかわる中で、なにやら自然法則のようなものが見えてきたように思う。いつかは丁寧に書くとして、ここでは「法則」にかかわるスケッチを描いてみたい。


◆成長フェーズから維持フェーズの転換
ある企業が急速に成長することがある。私がかかわったある企業はおよそ十数年の間に、ベンチャーから3000人の規模に成長し、国内市場でも有数のシェアを占めるまでとなった。時流に乗り、倍々ゲームで成長を続けていたが、3000人を超えたあたりで、急速に成長が鈍化。丁度リーマンショックもあって、マイナス成長を記録することもあるようになった。その業界は非常に労働集約型であり、一定以上のスキルと体力と行動力が必要な業界である。そのような企業が成長した要因として最も大きいのは「時流」に乗ったことがあるだろう。
この企業は「人材企業」であり、企業への人材派遣、人材紹介(正社員候補の紹介・転職の仲介)が中核事業であった。

この企業を仮にA社とする。A社は2000年代に急速に成長した。2000年代と言えば、どういうわけだか熱狂的な国民の支持を得て小泉内閣による新自由主義的政策の嵐が吹き荒れた時期である。新自由主義の定義は置いて、企業経営者の間で「人件費という固定費を縮小、或いは変動費に変換する」というブームがあったことは間違いない。終身雇用をはじめとする日本型経営が、経済の成長鈍化或いはマイナス成長を背景に疑われ始め、ブルーカラー労働者のみが対象であった期間工的発想をホワイトカラーに持ち込んだ時期であった。2019年の現在でも大きくは変わっていないが、企業が人件費を抑制した結果、賃金水準は横ばいからマイナスが当たり前になり、ただでさえ少子高齢化でデフレーションが進んでいたところに、追い打ちをかけるように景気を直撃するととなった。
そうしたデフレーションを梃子に大きく成長した企業がいくつかある。その一連の企業群は雇用において買い手市場であり、人件費を抑えることが成長のコアとなるような労働集約的企業群である。後に過労死や過労自殺などが発生することで「ブラック企業」といわれるようになる企業が多い。A社も御多分にもれず、労働集約型業務を低い人件費で遂行することで成長したのである。それが前述の「時流」に乗ったという意味である。

とはいうものの、売上が倍々ゲームで伸び、賃金も倍々とはいかなくとも伸びているベンチャー企業の急成長の時期には問題は表面化しない。社員数も少なく、コミュニケーションも活発であり、若くして役職者や役員となっていく先輩社員を見ている間は、多少労働環境が悪かろうと、人は心を病んだりしない。
心を病むのは先の見通しが立たないまま過酷な環境に置かれているからである。「今に見てろよ、俺だって/私だって」というマインドが支配的なのが成長期のベンチャーというものである。
しかし、市場は変化する。これまでのビジネスモデルが通用しなくなる日は必ずやってくる。市場それ自体は変化しなくとも、そのビジネスモデルが成功すればするほど、模倣者も増え、市場も飽和し、これまでのやり方だけでは成長が鈍る。この「停滞」の段階が、一定以上の規模になる前にやってくる企業は、大企業にはなり得ない。それらは、幸運なら大企業に吸収されたり、不幸ならば倒産したりと消滅するか、中小企業として細々と続いていくかする。しかし、「停滞」前にある程度の規模まで成長した企業が大企業候補となるわけだ。

「大企業」ではなく「大企業候補」としたのは、ベンチャーが所謂「大企業」になるには、規模だけが条件ではないからである。規模はあくまで必要条件であり、十分条件ではない。大企業になるには質的転換が必要なのである。言い換えると、成長フェーズから維持フェーズへ転換することであり、ある意味では経営者にとって「夢をあきらめる」ということにもなる。

◆成長が鈍化した時に起きる事
日系の大手製造業でも勤務した経験から、当り前だが大企業とベンチャーでは、社員のマインドが大きく異なると認識している。敢えて対比すれば、以下のようになろうか。
  • ベンチャー:野武士的・混沌・非効率・陽性・大変
  • 大企業:官僚的・秩序・効率的・陰性・シンドイ
大企業はすでに成功してしまったため、当たり前だがそれを維持することが主目的になる。維持だけではないという声もあろうから、発展的維持とでもしておこう。どうやって現状を効率的に回すかが主目的になるため、社員の意識は「効率化」に向く。メンバーがバラバラでは効率的にならないため、基本的には秩序を志向し、様々なルールが取り決められ、保守的になっていく。官僚的になっていく。これは、ほとんど自然現象と言いたくなる不可避な現象である。

創業期、或いは成長期のベンチャーはその逆だと思えばよい。まだ成功していないか、成功しつつあるかであるため、「いかにして成功するか」「いかにして成功を確かなものにするか」を社員は追求する。様々な方法を試すため、無秩序で混沌としているが、「成功」にたどり着くという目的は共有されている。人的リソースも少ないところから、一人で何役もこなす野武士的なスーパーマンが活躍し、明らかに非効率で、大変であってもその大変さは陽性である。またその経験からスーパーマンたちはさらに仕事のやり方を洗練させていく。その結果、さらに会社は成長していく。

しかし、個人と同じように、企業も永久に成長し続けることはできない。ある程度の規模となると、企業内と企業外での環境的な変化が必然的に発生する。まず企業内においてはコミュニケーションが急に難しくなる。経営層の発案や指示が末端まで届かなくなる。現場からの情報は経営層に届かなくなる。双方とも悪意があるわけではない。しかし、社員が増え、場所が広くなり、関係者が増えると、コミュニケーションコストが指数関数的に増大する。いわば壮大な伝言ゲームとなるわけだ。そのコミュニケーションコストを回避するため、組織を階層化し、部課長を設置しとしていかざるを得ない。すると経営層の発案は指示は、部課長という幾人かのフィルタを通してしか伝わらなくなる。
部課長は単なるメッセンジャではない。それぞれのミッションを抱え、部下のマネジメントを行っている。その中で、経営層の発案や指示も、部下に分かり易いように、或いはミッションに沿う形で部課長の解釈を経て、末端まで伝達される。また伝達された指示も部下が自分なりに解釈するため、場合によっては殆ど真逆のものとして実行されることもある。そのような「エラーの発生」の確率は人数が増えれば増えるほど増大する。

現場から経営層の情報伝達も同じである。ベンチャー時代には社長と現場が直接コミュニケーションを実施しており、ミス(エラー)はほとんど発生しない。どちらも納得するまでコミュニケーションをするし、また人数が少ないため、それだけの時間をかけることができる。また、しっかりと理解して正しい判断を下さないとすぐに倒産の憂き目に合う可能性もあるため、お互いに真剣である。しかし、先ほどの逆に情報が上がっていくとき、部課長というフィルタが入る。そこに解釈が生まれる。そして、保身もある。バッドニュースファーストが報告の基本だが、バッドニュースが捻じ曲げられて報告される。それがほんの僅かな歪みであっても、フィルタを通るたびにその歪みが増え、経営層に届くころには逆の情報になったりする。

このようなコミュニケーションコストを削減するために、管理の専門家が必要となる。それはスタッフ部門であり、機能としては「官僚」である。スタッフ部門は目的に沿ってルールを作り、それを守らせ、全体としてのコミュニケーションを最適化しようとする。本質的に維持・管理の番人になる。会社の規模に比例して、スタッフ部門の大きさや権限も大きくなっていく。良い悪いではなく、そうしないとコミュニケーションコストの負荷で、金を生み出す本来業務が遂行できなくなってしまう。

◆大企業へ転換するということ
その副作用として、ルールを守らない野武士的なスーパーマンは組織に居場所がなくなる。創業期には多少のわがままや無軌道は「あの能力はかけがえないから、必要だから」と許容されていても、組織がコミュニケーションの円滑化のために、ルールを作り、標準化を始めると、組織メンバーにとって「ルールを守らない」ことそのものが、耐えがたいほどのコミュニケーションコストになる。その一人のために、全体のコミュニケーションコストが跳ね上がり、また「ルールも守れないくせに、初期メンバーというだけで高給を取っている」と見做されて始める。多くの場合、能力もありプライドの高い「野武士」達は転職先に困ることもないので、その組織を去っていく。

また、新たに加入してくる新入/中途のニューカマーたちの意識も変化してくる。ベンチャー時代に参画するメンバーは「ベンチャーへ参画する」という明確な意識をもって入社してくる。未整備であるが故に、ビジネス用語で言う「セルフスターター」には魅力的な環境であり、どこまでが自分の仕事などの区別などせず、また多少の暴走も自分で取り返せばよいという感覚を持ったメンバーが加入してくる。しかし、例えば1000人を超えた企業へのニューカマーたちは、「ベンチャーへ参画する」などという感覚は持ちようがない。当然のように「大企業」へ就職できたと考えるであろう。この手の人々はいわゆる「(学校)秀才型」が多く、目的や目標を自ら考えられるタイプではない。どちらかというと与えられた仕事を着実にこなすことが得意であり、官僚主義と親和性が高い。すると古参メンバは「最近の新人は『口開けて待ってるだけ』『自分から仕事を取りにいかない』」などと嘆いたりするわけである。

しかし、時計の針を戻すことは不可能である。またある種の法則性に沿って成長が企業の「質的転換」を不可避的に起こしてしまうことに対して嘆いても仕方がない。永久ベンチャーは決して成立しない。もしやり方があるとすれば、雇用の流動性を極大化して「いつでもクビを切れる」状態を維持することで、官僚主義を排すること(外資系コンサルティングファームなどで実践されている)があるが、日本においては文化の面でも雇用慣習の面でも、或いは法的な面でも難しいであろう。

残念ながら、大企業になることはベンチャースピリットを捨てることに限りなく近い。言い換えると「つまらない会社になる」という事である。しかし、それを受け入れない限り、永久ベンチャーを追求する企業は自壊するであろう。これはあたかも自然法則のような組織の必然のようである。

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