2017年1月26日木曜日

減点法、或いはノーコンティニュークリア

誰にだって難しいが我々日本人が特に苦手にしているのがいわゆる「損切り」である。投資用語としては解説不要だろう。しかし投資以外のビジネスの現場でも「損切り」が下手だと感じることがある。例えばある企業で何か新規事業をはじめたとする。アイデアを出し、企画書を作り、事業計画を立てたとしよう。欧米発のビジネス理論が一般的になっているので、当然その中に含まれてはいるものの、ついぞ実行されない計画がある。それは「撤退プラン」である。新規事業は難しい。新規性が高く、画期的(と企画者は信じる)であればあるほど、成功の確率は低い。千三つ(3/1000)の確率でしか当たらないと言われている。撤退プランには撤退条件が書かれている。例えば「2年以内に黒字転換しなければ」や「3年以内にXX億円の売上・X千万円の粗利に到達しなければ」などである。だが、これはまず実行されない。撤退条件は案外簡単に現実化する。というよりその可能性の方が圧倒的に高い。だから撤退プランはいつでもどこかで発動していなくてはならないはずだ。しかしこれがなかなか出来ない。これまでに注いできた労力が水泡に帰すと同時に「失敗」の烙印を押されることを非常に恐れるからだ。その結果、赤字を垂れ流しながら事業を継続し、あるタイミングで特損を出して会社自体が左前になるなどということは珍しくない。

なぜそこまで失敗を恐れるのだろう。
どうもわれわれは人や事業を「減点法」で評価するのではあるまいか。一人の最初の持ち点は100であるとしよう。つつがなく日々の業務を全うしているだけでは持ち点は維持できない。雇用者や上官が期待する内容をこなし続けて初めて持ち点が維持される。飛びぬけた成功があれば持ち点が一挙に増えることはある。だがそんな大成功は滅多にありはしない。すると結果を出し続けつつ、如何に失敗しないかというのが評価の基準となる。万一失敗してしまったら、それを取り戻すことは難しい。例えば-50の失敗をしたとしよう。「結果を出し続けつつ、失敗しない」というのはなかなか大変な努力が必要だ。それでさえ、毎日少しずつ目減りする評点を維持するのが精一杯だ。たとえば毎日何もしなければー1になるとすれば、毎日の努力は+1程度の評価になる。だが、失敗は簡単かつ短期的にー50の評価を招いてしまう。そうすると、普通に努力しているだけでは持ち点は50のままであり、日ごろの倍の努力で少しずつ51⇒52⇒53となるだけだ。三倍で53⇒56としていくこともできるが、とても身体が持つまい。その結果として、人は極度に「失敗」を恐れるようになる。むしろ「失敗の責任者」であることを極度に恐れるようになるだろう。だからこそ「失敗の責任」を少しでも回避すべく立場を利用して「部下」を中心とした他者へ責任を転嫁するようになる。


ではなぜ減点法で評価するのか?おそらくこれは農耕民族、それも北限での稲作民族であるという歴史と無縁ではあるまい。南方での農業であればそれほど神経質にならずに米を作ることはできるだろう。何しろもともとが南方原産のものなのだから。しかし、北限の米作ではそうはいかない。丁寧に手入れされた田んぼを作り、種籾を発芽させ、病虫害に気をつけながらそれを植える。明確な四季があるために、田植えのタイミングも水の調整もシビアだ。しかも稲作は重労働かつ労働集約的で、人の流動性に弱く、極度の協調性を要求される。何しろ失敗すれば稲は全滅し収穫ゼロもあり得る。これほどの努力を日々続けて得られるものは当初植えた田んぼの面積とほぼ等しい(若干少ない)収穫である。それを1000年以上続けてきた民族が我々なわけだ。これは減点法の評価が我々に染み付いている大きな原因の一つだろう。

更に日本人は言い訳を嫌う。少なくとも言い訳をしないことに美学を感じる。言い訳には釈明という側面もあるが、失敗の原因を特定して対策を立てるという機能もある。だが稲作は作業として確立されており、失敗の原因追及は不要だ。だから失敗があるとすれば個人の都合による「サボり」なはずである。従って言い訳はただ個人の責任回避の為でしかないはずで、それは組織労働のノイズでしかない。だが稲作のような確立された作業以外でも「言い訳するな!」で封じられる。その結果、原因特定はほぼ不可能になり、原因追求はなされなくなり、組織的思考停止に陥る。

さて、農業は天候に左右される。台風等の自然災害はもちろん、冷夏でも、多雨でもだめだ。ある条件下でイナゴでも大量発生しようものなら、あっという間に作物は全滅する。これは今でも人知を超えており、回避することはだいぶ出来るようになったものの完全コントロールすることはこれからもできそうにない。

それなら出来ることはなにか?西洋人なら神に祈ったであろう。日本人も神には祈っただろうが、あいにく日本の神々は一神教の神々のように全知全能ではない。だから神々にもそこまで期待できない。
できることと言えば「不吉なことが起こらないように」と心中で祈ることだけだ。そうなると「不吉な」言葉を忌避するようになり、その言葉を使う人間を同じく忌避するようになる。言霊信仰といってもいいが「縁起でもない」というやつである。こうなると失敗は不吉そのものなので、それを分析することは難しくなる。「言い訳」は後付でなされた不吉な予言のようなものだから(事後予言という)、到底受け入れられるものではない。撤退プランとは最悪のことを想定して被害を最小限に食いとどめるためのものだが、その想定すら不吉なものであり、非常に忌避されるようになる。これは我々が失敗を直視・分析できず一度ジリ貧になるとそこから抜け出せない理由の一つであろう。そして失敗者は「不吉」なのだ。誰が二度と使うものか。

減点法で評価され、言い訳はゆるされず、ノーコンティニューで事を成さなくてはならない。これがわれわれの社会であることをまずは直視する。この体質は戦前も戦後も変わっていないように私には思える。この体質は平時には非常に効率的になる。平時とは「目的と手段が明確であり、ルーティンや決まった手順をこなすと目的が達成できるような状態」のことである。大正デモクラシーから昭和初期にかけて、あるいは戦後の高度経済成長期からバブル崩壊までは「何をどうすればよいのか」がわかっていた時代であり、それゆえに比較的日本は力強く成長していた時期である。この場合、日本の減点法はかなり協力に作用する。強制しなくとも末端まで役割を理解して、高い品質かつ効率的に物事をすくめていくことができる。

しかし非常時はそうはいかない。非常時とは「目的は自明ではなく、手段が不明確であり、成功の手順がだれにもわからない状態」のことである。戦時はまさしくその状況であり、バブル崩壊後の日本もその状況であろう。こうなると我々はうまく仕事をすることがむずかしい。減点法ということはどの状態が満点なのかが判っているということだ。それは平時である。軍隊においては戦争をしていない時期のことであり、ビジネス(なんであれ市民生活)においては、何をどうすれば勝てるのかが判っている時期のことである。しかし非常時にはその基準が揺らぎ、流動的になっているので、自ら試行錯誤を続けなくてはならないし、誰かが大枠の方向性を(それが間違っているとしても)示し、そこに向けて柔軟に組織ややり方をスクラップ&ビルドしていかなくてはならない。

しかし、大枠の仮説を立て、スクラップ&ビルドを繰り返すことに「減点法」「言い訳無用」は適さない。帝国陸海軍の上層部の評価の基準はまず学歴である。陸大、海大卒業時の成績順に出世が決まる。海軍では成績順にハンモックの位置が決まっていたのでハンモックナンバーという。陸軍では成績優秀者に下賜された時計に因んで「金時計組」という。その序列に従って出世が決定した。
平時ならそれでよかっただろう。ところが戦争に突入してもこれ以外の基準を作り出すことができず、出世は一に学歴であった。米国のようにキンメル提督が更迭され、ミニッツが提督に抜擢される(士官学校での成績はあまりよくないが、実戦では抜群だったらしい)ようなこともなかった。
兵器はどんどん進歩し、それに伴って戦術はどんどん変わっていってしまう。しかしながら学校での成績は過去の内容を覚えてアウトプットするペーパーテストが基準になるので、むしろ柔軟に対応していくことは成績優秀者ほど難しくなる。平時なら米国でも学歴で出世が決まる。だが、非常時には「抜擢」による柔軟な組織運用や過去にとらわれない「大枠の仮説」(これを戦略という)ができる人間に任せるべきことを米国は知っていた。

成績優秀者で上層部に入った人々はその時点まで、平時の基準でノーコンティニュークリアを繰り返してきたので、「軍隊と戦争のことは何でも知っている」と自己規定している。だが、現実はどんどん変化していき、その知識や経験はあっという間に時代遅れになる。しかし、すべてを知っていると自己規定しているので、意見には耳を貸さず、自分の知識や経験の中で、現実を把握しようとする。かといって失敗を分析しようものなら、不吉なものに触れないという言霊信仰が頭をもたげてくる。分析しようとした人は「敗北主義者!」という烙印を押され、左遷や冷遇されることになる。(沖縄での八原高級参謀のように)

その結果、平時のやり方にただ固執し、ひたすらそれを繰り返すということになる。否、なった。帝国陸軍は「砲撃」⇒「突撃」⇒「占領」というやり方に固執したため、射程外からの戦艦による砲撃(艦砲射撃)により、大砲群を破壊し、連射ができる自動小銃や機関銃を大量に配置し、突撃してくる敵軍をなぎ倒す、という米軍の新戦術に対応できず、ひたすら「玉砕」という名の全滅を繰り返した。それは戦術をスクラップ&ビルドから新たに構築するということが、失敗したときの再起が難しい「減点法」という評価に阻まれた結果のひとつだっただろう。

もちろん帝国海軍も同じである。第二次大戦の時代、すでに戦艦は時代遅れであった。戦艦は更に強力な攻撃兵器である航空母艦と航空母艦が運用する大食いの「飛行機」という兵器を運用するために必要な補給艦や兵員を輸送する輸送艦を護衛する役目しかなかった。だが、帝国海軍はそれを理解していながら、「撃沈した敵艦の種類による査定ポイント」という時代遅れの評価に固執し、その結果補給艦や輸送艦を叩かず戦艦や巡洋艦ばかり狙った。その結果は当然ながら、各戦域において敵航空母艦と大兵力による蹂躙を許し、帝国海軍は壊滅した。

最終的にとられた戦術は陸軍も海軍も共通して「特攻」である。結局のところ作戦としての「特攻」とは、どれほど言葉を飾ってみたところで、現実に適応しきれなくなった上層部がすべてを投げ出してしまったということなのであろう。

流動化しているビジネスの環境。もはやどうすれば「勝てるのか」は不明確であり、プロダクトやサービスは当然の前提として「ビジネスモデル」の勝負になっている。この環境の中で「減点法」という評価方法を制度的・表面的にでなく、文化的・根源的に克服しないと企業をはじめとした日本の組織は帝国陸海軍の轍を踏むことになるだろう。失敗しつつある事業を「損切り」し、失敗から何かを学び、新しい事業を始め、また撤退し、また始める。これが我々は未だに苦手だ。かつてなら「死んでいった英霊に申し訳ない」となり、今は「これまでの投資をどう回収するんだ!」となる。

ウチの会社は旧軍とは無関係、それは歴史の彼方の話と思うなら、それはそれで仕方がない。また同じ失敗を繰り返すことになるだけだ。これは日本人が逃げてきた「反省」の大きなポイントだと、同じ弱点を持っている私は考えている。


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