2017年1月6日金曜日

2017年スタート「観る層/観ない層」

謹んで新春の慶びを申し上げます。

さて、色々ありました丙申も終わり、丁酉が始まりました。昔の暦であった十干十二支もほぼ誰も知らなくなりましたが、これはこれで文書が引き締まって良いので私は勝手に使い続けようと思います。

2016年は随分日本国民の「分断」が進んだと感じていました。分断といってもいわゆる「左右」や「ドリーマーv.s.リアリスト」ではありません。これはもはや決着がついています。そうではなくて、どの物語を信じるかというような観点での分断です。

マーケティング的に色々なフレームワークを駆使して分析することは、それぞれの専門家に任せておくとして、ここでは身近な人々とSNSやテレビなどを「観察」した結果、考えたことを書いてみます。

最近の構図としてはこんな感じでしょう。
「これまで大多数に信じられてきた物語の崩壊(陳腐化)が随分進んだにも関わらず、エスタブリッシュメント(を自認している人々)と旧来の物語から抜け出せない人々が、未だにその物語の有効性を信じている(フリをしている)」

ものすごく大雑把に言えば「テレビ(マスメディア)を観る(信用する)層と観ない(信用しない)層」に分断してきたと言うことです。統計を取った訳ではないので何とも言えませんが、社会的地位や収入の多寡とはあまり関係がない気がします。

「観る層」(面倒なので略)はマスメディアの論調をそのまま事実と看做すか、そうでなくとも深く考えることなしに「みんながそうだから」という理由でそれに乗る人々であり、インターネットが主要インフラになる以前よりかなり減ったものの、未だにかなり多数を占めています。かつては「ほとんど」の日本人がそうだったといってもいいでしょう。この層の人々はマスメディアが流す「旧い物語」を未だ信じています。もっと大雑把にニーチェの「畜群」と言ってもいいしオルテガの「大衆」と言ってもいいでしょう。

「観ない層」はかつては非常に少数派でしたが、インターネットの発達により、かなり増えてきたと考えられます。この層はマスメディアの情報をあまり信用せず、テレビをたまに観ても批判的で、グラフなど恣意的に放送しようものなら、「検証」してその情報操作を突っ込んだりします。この層の人々は概ね「旧い物語」の賞味期限はとっくに切れたと看做しており、新たな物語を模索するか、物語そのものに懐疑的だったりします。

この状況はSNSなどを見ていても(自慢話をアップしたり、幸せごっこを演出したりするFacebookでさえ)かなり、知的にバラけた状況に見えるので、SNSが日本人全体の近似値をあらわしていると言うことはできると考えています。

ここで思い出すのは適菜収氏の『B層の研究』などの著作で有名になった小泉純一郎元首相の選挙戦略のフレームワークでしょう。これは四象限の縦軸を「知能指数」、横軸に「構造改革」への好悪を取った身も蓋もないフレームワークで、広告代理店が選挙の宣伝戦略のために作成したものです。大胆に言い切ってしまえば、「観る層」が上記のフレームワークのA層(知的で構造改革肯定)+B層(知的でないが構造改革肯定)に該当し、「観ない層」がC層(知的で構造改革否定)+D層(知的ではなく構造改革否定) に当たると考えています。

そしてこの分断は私には非常に好もしいものです。
要するに「観ない層」が増えることが、ほとんどそのまま「戦後の終わり」へつながって行くと考えられるからです。マスメディアが主催してきた70年間、商売以外のリアリティのない「戦後空間」が崩壊し、我々がリアリティを取り戻して行く、そのプロセスの第一歩が2017年であれと考えています。

年初ですので、未来を言祝ぎたいと思います。


それでは本年もよろしくお願い申し上げます。

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