2020年5月28日木曜日

SAAB J-35J ドラケン

プラモデル制作記です。

粗製乱造第三弾、スウェーデン空軍のドラケンです。ダブルデルタ翼が特徴的な迎撃機ですね。エアブラシの練習として、シャドー吹きによるグラデーション表現と、メッキシルバーの塗装の実験というのが、今回のテーマです。今回も組んで塗るだけです。
そういえば、新谷かおるの「エリア88」でも出てきましたね。ドラケン。だいぶ古い話ですが。イケアのコレクションケースを検討中なので、スウェディッシュな感じでいいかもしれません。(意味不明)

ともかく始めましょう。
資料は「世界の名機シリーズSE ドラケン・ビゲン」です。表紙のオーストリア空軍機がカッコいいですが、今回は地味なブルーグレーです。ドラケンはオーストリア空軍が本家スウェーデンよりも長く運用したんですね。知らなかった。

この飛行機は一般的な前輪三輪式ではなく、尾輪もあって四輪式という珍しい形式です。という事は足回りの細かい部品が多いため、先にまとめてシルバーを吹いておきます。

ついでにエンジンの排気口も塗っておきます。組んでしまえばほぼ見えませんが、シルバーにクリアオレンジやクリアブルーを吹いて焼け具合を表現してみます。

さて、ここからいつも通りコクピットです。古めのキットなのでシンプルですが、デカールでそれなりの計器盤が再現できます。この後、ソフターでさらに密着させ、デカールの余白部分はほぼ見えなくなりました。追加工作などはしません。

あっという間に士の字です。パーツの合いは普通レベルなので、タミヤセメントを高粘度のいつものものと、流し込みタイプを併用して接着、マスキングテープで養生させます。2日程度置いた後、はみ出した接着剤と溶着部分をサンディングし、合わせ目を綺麗にします。
しかし、なかなか趣のある形をしています。

今回のテーマ、シャドー吹きによるグラデーション塗装に入ります。パネルラインに沿って黒を吹きます。クレオス2番の普通のグロスブラックです。なんだかすごいですね。今回は暗い色を先に吹き、この後に機体上面色を重ね吹きします。

上からグレーを吹きます。こちら下面ですが、グレーを吹くとなるほどシャドーができます。表現として大げさな気がしますね。更なる修行が必要です。ベアメタル部にメッキ調塗料を吹いて、デカールを置くとメカっぽさが増します。

上面のデカールを貼ります。ものすごく派手な「39」ですね。インスト通りの塗料で塗りましたが、実機写真をみるともっとブルーが強いブルーグレーな気がします。とはいえ、デカールも貼ってしまったのでこのまま行きます。必ず妥協点が出てきます…。

機首部の塗装は資料本を参考にインストを無視して塗った後、ネットでこの機番の実機を見つけて「インストが正しい」ことが判明しました。調べ方が中途半端でした。ハセガワさんごめんなさい。デカールも貼ってしまったので、紙を使ってマスキング。

修正後はこんな感じの機首になります。あとは半光沢のトップコートを吹いて、キャノピーのマスキングをはがし、小物を付けたら完成です。思ったよりも小柄で、なかなか見栄えのする戦闘機です。


おおよそ、5人日、期間としては2週間で完成しました。もう少し粗製乱造というか、エアブラシの表現をテーマにした制作を続けます。次回もジェット機です。

2020年5月25日月曜日

FW190 A-3

プラモデル制作記です。

在宅勤務も2か月目。物置と化していた書斎を片付け、仕事場兼作業部屋として復活させました。すっかり離れていたプラモデル制作も、片付けた作業部屋で再開し、復帰第一作はタミヤの新金型によるスピットファイアMk.Ⅰでした。前回記したようにスピットファイアの製作テーマは「さっさと完成させる」ことであり、裏目標としては「エアブラシの練習をする」という事でした。
プラモデルを再開してから結構長く筆塗りしかしていなかったのと、エアブラシを購入してから多忙になってしまったこともあって、まだまだ手の内に入ったとは言い難いエアブラシです。こればかりは作業をこなしていく他に上達の道はありません。しかし、思い入れのある機体(日本機や妻にもらったもの)だと、資料を集めたり、リベットを打ったり、ディテールアップをしたりと、どうしてもなかなか進捗しません。そこで、割り切って前回同様、部屋の片隅に積み上がった「積み(罪)キット」から、思い入れなどない外国機をチョイス、粗製乱造など気にせず、ともかく「完成させること」「エアブラシ(マスキングと塗装)を手の内に入れる」ことを2020年のテーマとして手を動かすこととしました。とは言え趣味の世界。いつなん時どうしても「零戦が作りたい!」となるかもしれませんが。

さて、今回はタミヤの1/48「フォッケウルフFW190 A-3」です。以前Me262を制作したので、ドイツ空軍特有のグレーバイオレット等の「グレーXX」「XXグレー」は塗料の在庫があること、スピットファイアで水冷機を作ったので、空冷機を作りたかったこと、迷彩塗装だけれど難しすぎないことあたりが理由です。

早速始めましょう。
今回も作って塗るだけです。資料は世傑で十分でしょう。
定石通りコクピットから。新金型のスピットファイアを作った後だと寂しい感じですが、まあ普通のコクピットです。シートベルトは老眼と戦いながら、ファインモールドのナノアヴィエーションを使いました。細かすぎて塗り分けが大変です。色鉛筆は単なる比較用です。ちょうど娘がお絵かきしていたので、拝借しただけです。

基本的にはグレーの機体ですが、発色の悪い「黄色」の箇所があるので、下地に白を吹いてみます。今回はサーフェーサーなしです。それにしても、このピトー管やら機関砲やらを折らずに完成させることはできるのでしょうか。主翼下面と一体成型されています。アフタパーツを買う気もないので、気を付けて作業します。

下地をつや消し白で塗装し、黄色を数回に分けて吹きました。まあこんなものでしょう。
降着装置の格納部など、マスキングをこなしながら、下面をライトブルーで塗装。前回のMe262でも思いましたが、どうも明るすぎる気がするので、後でトーンを落とします。
基本塗装をエアブラシで拭いてから、筆でモットリングを書いてみます。なかなか細吹きができず、このあたり慣れた筆に頼ってしまいましたが、当然厚みもムラも全然違います。トーン落しの時にどうにかごまかせるか…
この鶏デカールを含め、デカールを貼ります。やはり、イメージよりもトーンが明るすぎる気がします。キャノピーのマスキングは直線的かつ窓枠も少ないのでラクチンです。さすが機械の国。工業力は高い。
光沢のスモークを吹きます。スミ入れに備えてツルツルにするためです。半艶とデカールによる段差をツライチにするため、少し多めに吹きました。
というわけで、激落ちくんで水磨ぎをして、タミヤの墨入れ塗料で墨入れし、小物を付けたら完成です。アンテナ線は今回も省略。コレクションケースの購入を検討しており、それが設置されてから張ってみようと考えています。どうしてもアンテナ線があると埃が取りにくくなるためです。また翼と一体成型されている機銃も、折れそうで今回は開口しませんでした。単なる手抜きですね。

5月3日に作業開始してから、GW中とは言え、5月6日に完成しました。過去最短です。タミヤキットの精度があってこそですが。スモーク+激落ちくんというパターンで、とりあえず筆とエアブラシのチグハグさはごまかせました。
このウォークラインのデカールは途中で切れてしまいました。長いデカールは難しい。仕方がないので、「ガンダムマーカー」の白で書き足しましたが、線が寄れてしまいました。ピトー管の類は奇跡的に折れずに完成を迎えました。これは別の部品にして欲しいですが、真鍮線か何かで置き換えなさいという事なのかもしれませんが…

そしてチョンボの告白。主翼上面の国籍マークの位置が左右で違います。右が正しい位置。「あ!」と気が付いた時にはデカールは定着してしまった後でした。リカバリを考えましたが、あきらめてそのままです。何しろ「完成」がテーマなので、あきらめも肝心。実は前回のMe262でも同じことをしています。成長しないというかなんというか。

というわけで正味三日。粗製乱造第二弾でした。しばらく粗製乱造が続きます。まだFw190の在庫はまだあるのですが、D-9という水冷式なので、水冷式が作りたくなったらやりましょう。

次はジェット機です。

2020年5月7日木曜日

スピットファイアMk.Ⅰ

プラモデル制作記です。

色々忙しくなり、すっかりプラモデル作りから遠のいていましたが、コロナ禍のせいで在宅勤務となったので、書斎兼作業部屋を掃除&整理しました。エアブラシなども綺麗にしたので、積キットを減らすべくプラモデル再開です。
日本機だと、リベット打ったり、改造したりとかなり時間をかけてしまって、なかなか完成しないという悪循環にはまりがちなので、今回は思い入れのない外国機で「さっさと完成する」という実にいい加減なテーマでタミヤの新しいスピットファイアを選んでみました。何しろ「完成」がテーマですので、組んで塗装するだけで、十分カッコいいものがよく、このスピットは2018年発売のモデル、最新技術と考証に基いているはず。きっと期待に応えてくれるでしょう。
早速組んでいきます。資料は「世界の傑作機」くらいです。なにせ、組んで塗るだけなので、資料は少ない方が良いです。
まずはコクピット。さすがに最新キット。ただ組むだけでこの密度です。老眼で辛いですが、細かい部品を無くさないように慎重に組みます。シートベルトはエッチングです。

あっという間に「士の字」です。楕円翼が美しい。とはいえ、ここはモールドでよくない?という部分も部品化されていたりして、それらがものすごく小さくて、何しろ無くさないようにしないといけません。
模型的に面白いので、ダンケルク撤退戦仕様で塗装します。

この地味な色味が英国調ですね。かっさかさのつや消しは趣味でないのでセミグロスでトップコート。
というわけで、週末とGWの2日程度を使って、期間としては1か月、作業時間は正味6人日で完成です。リベットレスですが、キットの精度の高さで、とても上達したような勘違いを引き起こします。
テーブルに黒と白の翼面が映り込んでちょっと面白い。
スピットファイアですね。「英国を救った戦闘機」です。零戦や隼には苦戦したようですが。エンジンはロールスロイスマーリン。日本機ばかり作っているので水冷エンジン機は不慣れです。排気管以外全く見えないエンジンはキットでは省略されています。
コクピットは開状態にしました。今回はアンテナ線は省略というか後回しです。飾り方を考えてから張る予定です。
この調子で暫く外国機でエアブラシの練習をしていくつもりです。






2020年3月4日水曜日

区別する道徳

「人助けランキング、日本は世界最下位」英機関 日本は冷たい国なのか ホームレス受け入れ拒否問題 (飯塚真紀子) - Yahoo!ニュース

「世界人助けランキング(World Giving Index 10th edition)」というものがあるらしい。なんでもランキングがあるものだと妙な感心をしてしまったが、それはおいて、この記事内の以下のようなコメントにすこし引っかかりを感じた。

 注目すべきは、調査した3つの観点の中でも、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点で、日本は125位と世界最下位であることだ。この観点でボトム10の国々は下記の表にある通り。その顔ぶれを見ると、ほとんどが、現在またはかつての共産主義国だ。そんな国々よりも日本はランキングが低く、世界最下位なのである。

 この結果をどうみたらいいのか? データが全てとは言えないが、このデータだけに従えば、日本は世界でも最も人助けをしない国ということになりはしないか? 今回の行政のホームレス受け入れ拒否やそれに賛同している人々が少なからずいることを考えると、この結果は日本の冷たさを表しているかのようにも見える。
そして、ソーシャルキャピタル(人的ネットワーク)の低下という仮説に収斂されていく。

 日本は、東日本大震災の時の人々の助け合いの姿勢が示すように、ソーシャル・キャピタルが高い国だと評価されていた。近年、格差の拡大により、日本のソーシャル・キャピタルは減少傾向にあるが、ホームレスの受け入れ拒否やそれに賛同する多々の声は、日本のソーシャル・キャピタルのさらなる低下を表しているような気がしてならない。
果たしてそうなのだろうか。少しピントがずれている気がしてならない。山本七平は「空気の研究」の中で
『まず、日本の道徳は差別の道徳である、という現実の説明からはじめればよい』
と書いている。これは道徳教育の問答の中での言葉だが、意味合いとしては、日本人は知人/非知人を明確に区別しており、

『これを一つの道徳律として表現するなら、「人間に知人・非知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人の別なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな」ということになる。この知人・非知人を集団内・集団外と分けてよいわけだが、みながそういう規範で動いていることは事実なのだから、それらの批判は批判として、その事実を、まず、事実のままに知らせる必要がある。それをしないなら、それを克服することはできない。』

と解説している。「差別の道徳」は誤解を招きそうな表現なので、ここでは「(知人/非知人を)区別する道徳」としよう。これは1977年の頃の文章だが、2020年現在でも「区別する道徳」は我々を律していると私は思う。余人は知らず、私は見知らぬ人が公共の場で倒れていたり、うずくまっていたとしても、十中八九、見て見ぬ振りをするであろう。例えば、出勤時や帰宅時、最寄りの駅で体調不良や飲酒によって倒れたり、うずくまっていたりする人がいるとする。実際、年1-2回くらいの頻度でそういう場面に遭遇する。だが、大抵は「急いでいるし、駅員の方が適切に対処するであろう」とか「既に誰かが声がけや救急車を呼ぶなどしているだろう」というような自分への言い訳をして通り過ぎる。さらに言えば、「関わり合いになると面倒である」という意識が否応なく働く。これは山本七平のいう通りの道徳律に律されている証左である。「余人は知らず」と書いたが、現実には、多くの人がさほど良心に咎められず、換言すると翌日には忘れる程度の良心の呵責で、私と同様の対応をしているように見える。

「区別する道徳」はずっと昔から、少なくとも山本七平が言葉にした1977年以前からあり、そして山本が指摘したようにそれを事実として教えていないから、当然、2020年の現在でも克服出来ていない。

 注目すべきは、調査した3つの観点の中でも、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点で、日本は125位と世界最下位であることだ。
ここまでの議論を踏まえると、上記の結果は当たり前である。ソーシャルキャピタル云々ではない。もともと我々は「見知らぬ人、即ち非知人は黙殺すべし」という道徳律の世界で生きているのだ。嘆くとすれば、それを直視しないために、克服どころか、議論さえ出来ていない事なのではないか。冷酷な物言いをしてしまえば「ホームレス」とは「誰の知人でもない」ということなのであろう。我々、日本人にとっては。

東日本大震災の時は違ったという議論もあろう。あの時は見知らぬもの同士が助け合ったではないか。と。確かにあの時は違った。その時私は東京にいて帰宅難民となったが、誰もがお互いに親切であった。しかし、それは「区別する道徳」の知人という範囲が「誰もが震災の被害者」という括りによって大きく拡大されたものであったろう。天災という誰の責任も問うことが出来ないことを前に、「天(自然) v.s. 我々」という構図になった時、外国人だろうとホームレスだろうと「我々」、即ち、「知人」と捉えたのである。

この「区別する道徳」を日本人の弱点と考え、それを克服しようとするならば、まずは、山本七平のいう通り、事実を事実として認識し、それを教え、考えることである。

普通に考えていくと、これは我々がとてもハイコンテクストな社会で生きていることが一つ、もう一つは「正義、或いは価値体系」を喪失していることの2つが大きな要因であるように思える。前者は、「世間」という相互監視を前提とする社会を生きているということである。これは日本人の定義のようなもので、これを壊すことは殆ど不可能事であろう。世間は即ち、我々にとっての「世の中」であり、社会の一種ではあろうが、お互いの考えを読み合い、即ち空気を作り出し、それに支配されることで安定を保っている社会である。これを切り崩していくのは容易ではない。後者については、まだ可能性がありそうだ。これについてはいずれ稿を改めて考えたい。