2019年12月16日月曜日

2019年振り返り(≒お受験振り返り)

2019年も終わりに近づいた。仕事はというと、2回目の決算も終えて、まだまだではあるもののともかくも黒字で決算ができた。様々な縁に恵まれ、フリーコンサルタントやPMO事業については一定程度満足すべき状態あろう。これについては感謝しかない。

さて、プライベートでは年長の娘の小学校受験、いわゆる「お受験」を経験した。おかげさまでご縁があり、4月の入学に向けて諸々準備をしているところである。とは言え、ここに至るまではなかなか手ごわいハードルや紆余曲折もあった。正直なところ、妻の負担が非常に高く、夫としては、出来ることをフォローするくらいだったが、「家族3人一丸」となって取り組まないとクリアすることが難しかったハードルだったと感じている。

良い結果を得たからこそ言えることかもしれないが、家族にとっても、私にとっても非常に貴重な経験だったと感じている。まだ記憶が確りしており、少し冷静になってきたこのタイミングで思うところを記しておく。How to的なものはネットを探せばいくらでもあるので、一人娘の父としての感想やその時々の考えを書いてみる。

2018年
妻から娘に「お受験」をさせたいという話を受けて、近所の大手幼児教室に通い始めた。妻も私も公立小学校出身であり、娘は近所の公立小学校に入学するものとばかり考えて居たので、少々面食らった。もともと私は早期教育は勿論、学校教育それ自体にも期待値が低かったので、小学校受験になかなか意味を見出せず、「まあ、やりたいというならば悪いことではないだろうから協力しよう。」という程度のスタンスだった。幼児教室に行ってみると、いわゆる「お受験スタイル」の親子が、講師の話を真剣に聞き入っている。最初は斜に構えていたが、まわりの真剣さにだんだんとその理由が知りたくなった。とりあえず、仕事で支援している会社の女性メンバに色々と聞いてみると案外、女子校や私立小学校出身者が多い。まずはお茶がてら、インタビュー活動をしてみた。「公立小学校は楽しくなかったけれど、私立に編入してからが楽しかったし、今につながってる。」とか「小中高と女子校だったが、ある意味集中せざるを得ないので部活に打ち込んだ。おすすめするかと言われれば、もちろん!」というような肯定的な意見ばかりで驚きであった。自分の母校を悪く言う人は少ないというバイアスはあるだろうが、私自身は友人関係を除いて(これは恵まれた)、自分の小学校や中学校をそこまで肯定的にとらえていないし、一人くらいは否定的なことを言うだろうと予想していたが、皆無だった。このあたりから、私自身の認識が変わってくる。

2019年冬~春
娘の家庭学習も本格化し始め、勉強机を購入し、宿題のプリントや紙工作を中心とする制作など、妻は仕事のない時は勿論、仕事のある時でもできる限りの時間、一緒に取り組んでいた。思うようにできなかったり、進まなかったりした時、妻にはかなり精神的にも負荷がかかり始めた。娘もそれなりに大変だっただろう。私も時々勉強を見たが、妻よりも甘いため、ついついぬるい感じになってしまい、妻からダメだしされる体たらく。
一方、学校見学会や入試説明会などもポツポツと始まり、これまで全く縁のなかった私立の小学校に行って色々と話を聞き始めた。また、教育関係の本なども何冊か読んだ。
その結果、早期教育への懐疑はさほど払拭されなかったが、私立学校への理解は少しずつ進んだ。

それぞれの学校で特色のある取り組みをしているが、最も大きいと私が感じたのは、やれ「詰め込み教育」だ、「ゆとり教育」だ、はたまた「学力が低下した、やっぱり詰込みだ」とその時代時代のムードに反応する世論に振り回される公立学校に比べ、時代に対応しながらも軸のブレが少ないことである。それは親にとってのメリットというより、子供にとってのメリットであろう。学校教育、特に義務教育の成果というのは、結果が出るまでに時間がかかる。少なくとも、社会人となって一人前と見做されるくらいまでの時間、どんなに早くとも25才ぐらいで初めて結果が分かり始めるはずである。すると、18年~30年ぐらいのスパンで効果を計測しなければならない。長期スパンで物事をとらえるのは「世論」の最も苦手な分野である。結果が出る前に右へ左へ蛇行するのは、その教育を受けている子供にとって、特に過渡期の子供にとってはたまったものではあるまい。昨日詰込みだったのが、今日ゆとりというのは、子供にとっては混乱しかもたらさないだろう。そこへ行くと、少なくとも伝統のある私学は理念のような背骨があり、軽薄な世論に左右されにくいというメリットがある。

また、志望校を絞り込むのに、敢えて「カトリック系」を選択した。我が家はカトリックではないし、特に宗教的にどうこうということは無い。ただ、ポリティカル・コレクトネスが猛威を振るう今、倫理道徳という価値判断に関することは学校で教えにくくなっている。特に、宗教をタブーとしている公立学校において、きわめて基本的な「なぜ人を殺してはいけないのか」や「なぜ人をいじめてはいけないのか」或いは「なぜ売春がいけないのか」のような問いに対して、自信をもって説明することが難しくなっている。そういった中で「神(と教会)」を持ち出すことのできるカトリックは、子供が従うにせよ、反発するにせよ、一つの基準、価値体系を示すことができる。それは、日本においては稀有な経験となるだろうとも考えている。もう一つのメリットはそれだろう。

このような考え方から、もちろん妻と一緒に志望校を決めた。また自分自身の受験の記憶から、志望校よりも一段上のレベルを第一志望として、当初の志望校を滑り止めにするということにした。

2019年夏
夏季講習が始まる。5歳児が週4日~5日でみっちり勉強してくるという、信じがたい状態を作り出す、幼児教室の手腕と請求金額にびっくりしながらも、少しずつ娘の成績が伸び始めた。春頃は下から数えたほうが早かったが、ここに来て、成績が上向き始める。家庭学習をしていても、かなり難しい問題でも解けるようになってきた。面白いことに、こちらは気楽な習い事として、ピアノ教室に通っているのだが、成績が伸びるタイミングと、急に上達するタイミングがシンクロするのである。娘が「できない!」と言っていた問題が解けるようになると、その週のピアノのレッスンでは弾けなかったフレーズが急に弾けたり、楽譜を急に理解できるようになったりした。子供の発達段階は面白い。

だが、面白がってばかりもいられない。娘が解けない問題を解説する場合、大人からすると娘が理解できない理由がなかなか分からなかったりする。当然のことながら、我々大人は相当のことを教育や経験から訓練されており、無意識の前提が非常に多い。ところが、子供、特に幼児はその前提がほとんどないので、つまずくポイントがなかなか分からないのだ。この時期、妻の負荷と精神的な不安は非常に重かった。一人ではなかなか背負いきれない。夫である私でも的確なフォローなどできるはずもなく、そこはやはり幼児教室との二人三脚になっていく。

丁度このころ、とある学校の説明会に親子で参加し、「縄跳び」をしている子供を見つけた。小学校受験はいわゆるペーパーテストは勿論、親子や個別の面接、行動観察など様々な科目があったりする。勿論、運動もしかり。それまでできなかった毬付きなども何とか克服したが、縄跳びはノーマークだった。過去問などを見ると縄跳びが課題として出ていることもあって、早速縄跳びを購入し練習してみる。娘は当初「よっこいしょ」と縄を前に投げ出し、「えいっ」と跳ぶというもの。「そうか縄跳びって結構難しいのだな」と妙に納得し、「縄跳びの教え方」などをネットで検索し、色々試行錯誤してみる。もっとも効果があったのは縄跳びにボール紙を巻いて、グリップを長くして練習するというもの。あれほど不格好だった娘の縄跳びがみるみる上達し、だいたい2週間くらいで普通に跳べるようになってしまった。「お受験」をしていなければ、ここまで娘と一緒に縄跳びに向き合うこともなかっただろう。小さな成功体験だが、家族にはとてもよい経験になった。

2019年秋~受験本番
9月・10月となってくると、娘の模試の成績もそれなりに軌道に乗った。不安ばかりが先行していたが、このあたりから親も肚ができてくる。これまでの頑張りに、父親・夫としてできる事は少ないが、全力を尽くすと改めて決心し、私ができる事として志望校の過去問題集から親子面接を分析して、想定問答集を作り、家族で練習をした。尤も、娘は幼児教室でやっているので、どちらかと言えば私と妻のトレーニングである。過去3年分を分析し、エクセルで一問一答形式のQAを作る。また書き物は私の担当なので、志望動機などを練って願書を清書した。このころになると、娘もおおよそ受験ということが分かってきて「頑張る!」と言ってくれるように。上述したように、手段として設定した第一志望校に成績としては届く可能性が出てきたので、この際「受かってしまえ」と念じつつ、いざ本番。

面接ではスムーズでも、実際の試験では色々あって、結果、2勝2敗。手段としての第一志望には届かなかったが、元々の第一志望に無事ご縁があり、夫婦で歓喜。娘はじわじわと実感したようだった。入学手続きを終えて、お世話になった幼児教室の講師陣にも報告し、2019年11月6日(水)我が家のお受験は終了した。

兎にも角にも、なかなかに大変で誰にでもお勧めできるようなものではないし、結果は20年後ぐらいにならないと分からない。挙句にそれが吉と出るのか凶とでるのかも定かではないのだが、何しろ我々親子3人には貴重な経験であり、得難い年となったのが、2019年だった。皆様ありがとうございました。