2017年2月20日月曜日

日本的「リベラリズム」

ご多分にもれず、私は消極的自民党支持者であり、他の代替政党よりはマシという理由だけで自民党を支持している。経済政策を中心に到底支持できないことも安倍内閣は多いのだが、民進党をふくめた日本の「リベラル」と称する政党が到底選択肢になり得ないので仕方がない。また日本維新の会は到底支持できない。理由は本文を読んで頂くとわかると思うが、「維新」といいだす政治家はろくでもないという常識による。選挙というのは「クソの中からマシなクソを選ぶ」ことが民主主義ではあるべき姿なので、「ましなクソ」自民党しか選ぶところがないという状況については、それはそれでよい。ウィンストン・チャーチルの「最悪の政治家を選ぶのは難しい。これこそ最悪と思ったら、すぐにもっと悪いのがでてくるからだ。」というのが真理であろう。



日本の「リベラル」というのは何なのだろうか?知ろうともせずに批判だけするのは私の流儀ではないので、これまでそれなりに調べてみたり、国政のではないが政治家と議論したりもした。その結果の途中経過報告でしかないが、目下のところの私なりの結論は「日本の伝統的な悪しきインテリ」というものだ。左翼とかサヨクとか反日日本人とか色々いわれているが、これでは反日でないリベラルとか、いわゆる社会主義や共産主義にシンパシーを感じていないリベラルを定義できない。しかし、リベラルと自称するのは大抵「知的職業」と言われる職種に就いている(自称)インテリが殆どであり、ある意味で戦前どころか、奈良・平安の昔から存在するタイプだと思えてきたので、上述のような定義とした。

慕夏思想(ぼかしそう)という言葉がある。山本七平が『現人神の創作者たち』の中で触れたものだが、特殊な復古主義的理想主義である。「慕」は慕うという意味であり、「夏」は伝説の古代中国の王朝の名であるから、意味自体は簡単で、「夏のようになりたい」ということだ。つまり、ここではないどこかに理想的な国があり、そこと自国を比較した上で、その相違点を批判するというような態度のことである。大陸の辺境に位置する日本は、近代以前は西方からあらゆる文物を取り込んだ。平安末期まではあきらかに西方、即ち中国大陸が文化文明的に先進的であったため、日本人は「優れた文物は西方から入ってくる。」と考えていたらしい。それは裏返すと「自国の文物は西方からのモノに劣る。」と考えていたということでもある。従って、水戸光圀のような人も「明帝国」を理想とし、そこから日本を批判するというようなスタンスであった。

慕夏思想それ自体は良いも悪いもなく、中心的な文明の傍にあった辺境的文明の特質なのかもしれないが、本来は「慕夏主義」とでも称すべき集団や階層が「リベラル」という名前を名乗っていることに言葉の混乱があり、その混乱が日本の「リベラル」たちに妙な力を与えている。本来は単なる慕夏主義≒出羽守でしかないのに、あたかもご立派な思想があるかのように本人たちの自覚無く僭称させてしまっているのではあるまいか。

彼らはあくまでも「批判者」である。構造としては、「私たちは真理を知っているが、無知蒙昧な大多数はそれを知らない。(その結果、世の中が理想郷から遠ざかっている。)」というものだ。それゆえに、1.自分たちが知的階層(インテリ)であると自己規定していること、それゆえに、2.無知蒙昧な多数を指導することを使命、乃至は正義と考えていること、3.構造的に批判される立場となる与党にはなれない(なると失敗する。民進党を見よ。)こと、が彼らの本質である。従って、彼らが真理と思い込む「教義」は何でもよい。リベラリズムだろうが、軍国主義であろうが、ファシズムであろうが、共産主義であろうが同じことだ。もちろん朱子学でも大乗仏教でもかまわない。

さらに、本質的に「批判者」でしかないので、将来に向けた展望(ビジネス用語で言えばロードマップ)は持っていないし、「教義」の理解さえ不十分であることが多い。持っているのは妙なユートピア思想(理想とする「夏」)のイメージだけである。例えば共産主義の理想が達成されていると自ら看做している「ソ連」でも「北朝鮮」でも「地上の楽園」とは喧伝するものの、それではどのようなステップでそれを達成するのか?という展望は大抵皆無であって、せいぜい革命ごっこをして、象徴的に何か事を起こせばあとは何とかなる(後に続く者がでてくる)という根拠のない思い込みだけしか持っていない。

ところが、この「慕夏主義者」たちは、日本の歴史の中で一定の力を持ってしまう。そこが日本人の弱点であり、「反省」すべき大きなポイントであるにもかかわらず、問題意識さえもたれていないことが多い。この理由を解き明かしたいとは考えているが、おそらく純粋・理想を尊ぶ妙な赤心主義(赤穂事件など)や事大主義的傾向と関係があるだろうが、それはまだ研究中であるので他の機会に譲るとして、この慕夏主義者の具体例を示してみる。水戸光圀の話は記した。山崎闇斎だのというような明治以前の話は割愛する。明治以降に話を絞ろう。

226事件というクーデターを起こした青年将校たち、或いはその思想的な指導者であった北一輝、それを擁護した当時のメディアが典型的な慕夏主義者たちであろうと思う。彼らのユートピアは天皇親政の「宋学」の世界であった。その意味では「後醍醐帝」に近い心情だったかもしれない。

青年将校の首謀者の一人安藤大尉はまじめでやさしい人だっただろう。中隊長として部下の信頼も厚い将校であったそうだ。当時東北地方は恐慌の影響に加え、歴史的な飢饉に見舞われていた。貧困と飢饉のなか、300戸の部落から200人の娘が売られているというような、想像を絶する惨状だった。部下の東北出身者にはそっと自分の月給をわけるような安藤大尉だったが、北一輝や皇族、或いは他の青年将校達とのふれあいの中で、権力中枢と財界の腐敗がこの現状の主要因であり、世論はかれらにだまされている、即ち「盲いたる民、世に踊る」という状況だと考えるに至る。「昭和維新・尊王討奸」というスローガンは彼らの心持をよくあらわしているのだろう。そして安藤大尉や青年将校たちの主観では「巨悪である重臣たちを取り除くことによって、天皇親政の理想郷が実現する」というのが正義となった。しかしクーデターは失敗し、彼らの主観では巨悪の、しかし実際には有能かつ民のことを考えた大蔵大臣高橋是清を殺し、彼らの主観では自分たちが尽くしているはず(=自分たちを支持してくれるはず)の昭和天皇に拒絶され、反逆罪で処刑されるに至る。

結局、「天皇親政」という理想郷を設定して、現状をただ憂いて批判するだけで、自分たちの理想に向けたステップを粘り強く推進するというようなロードマップを考えず、単純に「クーデターを起こせば何とかなる。自分たちは理想の捨石となるのだ。」というようなヒロイズムにとらわれ、与党になる、即ち、「軍の中枢に上り詰めて改革・改善をする」という王道を行かなかった。

厳しいようだが、幼稚な理想主義であり(命を懸けてのクーデター未遂は一定の敬意を表すが)、北一輝のような慕夏主義的インテリに共鳴し、新聞紙上を賑わす「昭和維新」的な「悪しき」インテリに呼応することで「国家社会主義」という理論的根拠を得たような気になって自滅したというのが、226事件の顛末であった。

国家社会主義といえば、ナチス党である。山本七平によれば、青年将校たちはこぞってナチスドイツの将校たちの真似をしたそうだ。青年将校の理想郷は(彼らの妄想する)第三帝国であったのだろうか。

戦後は丸山真男を始め、いわゆる左翼インテリが慕夏主義者であった。ソヴィエトを理想郷とし、社会主義理論を振りかざし、「連帯(共産主義革命)」をスローガンとして、クーデターですらないデモを起こしはするものの、政権奪取の展望は無く、ただひたすら自民党と戦前日本の批判者として一定の影響力を持ち続けた。彼らは決して与党精神を持つことなく、226の将校たちのように命を懸けることもせず、ひたすら批判しただけである。こちらについては解説不要だろう。だいぶ力が弱まっているとは言え、現在でも彼らは健在だからだ。彼らの教義は「共産主義」→「社会主義」→「リベラリズム」と変遷しているが、それ自体に意味はない。ただ、世界情勢が変わって、正義を気取るためのトレンド、あるいは変遷する理想郷を追いかけているだけである。繰り返すがただの批判者であるため教義は何だって良いのである。

ただし、メディアが煽りすぎて政権を奪取してしまうと、そもそも与党精神、あるいは当事者意識が欠けているため、旧社会党や旧民主党のように政権担当能力は皆無であることを露呈してしまう。

「慕夏思想」は日本人の弱点である。思想の左右を問わず、なぜか「慕夏思想の悪しきインテリ」一定の力を持ってしまう。その理由の一つとして慕夏思想に戦前・戦後一環して忠実な「朝日新聞」に代表されるマスメディアの存在があるだろう。226に対しては減刑運動を展開し、軍人もびっくりの軍国主義を煽り、戦後は言わずもがなである。

結局、日本のリベラルは「リベラリズム=自由主義」とは無関係である。それは単なる慕夏思想による体制批判の「心情」を持ち、正義に「自己陶酔」する特殊な理想主義者の一団でしかない。それを一定数がなぜ支持するのかは、また稿を改めて考えたい。

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