2017年3月10日金曜日

知らないし興味もない人々

先日、妻とたわいのないおしゃべりをしていた際にどうしたわけか、赤尾敏の話になりました。妻の勤める会社での食後の放談の席で少し話題になったようです。その際に同僚の女性(女性だけの食事でしょう)が「ほら、安倍さんは戦争したがっているから」と発言したそうです。「そういう連中はまだまだいるんだなあ」と思っただけでしたが、すこし考えてみることにします。

その発言をした女性がどのような人かは一面識もない私にはわかりません。ある種の確信犯的プロ市民かもしれませんが、まあ確率論からするとその可能性は低いでしょう。ある意味で典型的な「オバちゃん」の発言と捉えて話を書いていきます。だいぶ減ったとは言え、まだまだこのような「オッちゃん・オバちゃん」がマジョリティでしょうから。

別に悪いとは言いませんが、この手の人々は本当のところ、半径10メートルより外の世界にはほぼ興味がないと考えたほうがよさそうです。勿論、たいていテレビは大好きですから、トランプ大統領や小池都知事、安倍首相やらを知らないわけではありません。ただこの人々は「政界」や「外国」を地続きの世界とは捉えていません(理解はしているのでしょうが)。基本的には「芸能人」と「政治家」が頭の中の同じ箱に入っているでしょう。すなわち、自分とは関係がないけれど、とりあえず「有名人」という箱に。或いは「テレビに出てる人」の箱かもしれません。

実際にはテレビの向こうの「芸能人」が何を言おうが、何をしようが、われわれの生活にはほとんど影響がありません。せいぜい「快・不快」の感覚が残るだけでしょう。ところが「政治家」はそうは行きません。彼らの言動は立法・行政・司法を通じてわれわれの生活に直接入り込んできます。政治家が経済政策を間違えれば、父ちゃんの給料はさっぱり上がりませんし、為替相場が変動して、ボーナスは減るし、物価はあがるし、なんてことになったりするわけです。しかし、マジョリティの「オッちゃん・オバちゃん」はそうは考えないようです。というより考えられないのでしょう。

こうした人々を嗤うのは簡単ですが、マジョリティである以上、無視するわけにもいきません。というよりも「世論」はこの人々の声の束のことですし、その束が同じ方向を向いたときには、抗う術すらない怪物になります。現代の「リヴァイアサン」と呼ぶべきかもしれません。ちなみに束はラテン語で「ファスケス」即ち「ファシズム」の語源でもあります。実はこのリヴァイアサンがファシズムの生みの親であるわけです。

とここまで考えると「オッちゃん・オバちゃん」一人ひとりは単なる(不勉強な)善良な市民でしかありませんが、怪物「リヴァイアサン」を構成する恐るべき人々であることがわかります。この怪物をどう手懐けるのかというのが、「リヴァイアサン」に主権を与えてしまっている民主主義世界のファーストプライオリティなのかもしれません。というよりも政治家は本能的にファーストプライオリティとして行動しているでしょうが。

このリヴァイアサンを構成する「オッちゃん・オバちゃん」は抽象的に物事を考えることができません。というより抽象的な思考を受け付けません(私の文章のうまい下手は別にして、何を書いてあるか理解できないでしょう)。また、思慮に欠けるので基本的に脊椎反射で物事に対応します。この無思慮な脊椎反射が束になるとどのような力が振るわれるのかは、昨年の「保育園落ちた、日本死ね」騒動を思い出すだけで十分でしょう。これは「はてなブログ」に匿名で投稿された文章があれよあれよという間に国会での討議のネタになったというものです。とはいえ、保育園不足、待機児童問題はずっと前からあり、「はてなブログ」に限らず、専門家も市井の人も数値的根拠や自らの経験から理知的に声を上げていました。ある程度はこの声が「待機児童問題」として認知されましたが、結局爆発的な広まりを見せたのは「保育園落ちた、日本死ね 」な訳です。ベクトルが違うだけで「鬼畜米英」と同じセンスだと私は思います。

残念ながら、戦前も日本は議会制民主主義の国でした。帝国議会の議員は基本的に選挙を経るため、世論というものから自由になれません。いわゆる普通選挙が実施されている戦後はなおさらそうです。大東亜戦争は「オッちゃん・オバちゃん」の脳内にある「陸軍を中心とした一部の軍国主義者が善良な市民をだまして無謀な戦争を始めた」訳ではありません。端的に言って、市井のマジョリティ「オッちゃん・オバちゃん」達が軍人もびっくりの軍国主義的マスメディアにあおられて、「鬼畜米英!」「暴支膺懲!」と言い出したから、帝国議会が翼賛化したのです。

この「オッちゃん・オバちゃん」という「知らないし興味もない人々」というリヴァイアサンをどのように弱体化させる、言い替えれば「知らないし興味もない人々 」をどう減らすのかというのが、政治家やマスメディア、官僚、教育のような「インテリ」な人々の重要な「高貴なる責務」でしょう。


そのアルファにしてオメガの方法は「自分で調べて、自分で考える」ことを当たり前にすることでしょうが、これほど困難なこともあまりないように思います。

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