2018年6月22日金曜日

帝王学の現代性~FY01の振返りに代えて~


今月は決算月である。会社設立の一年目を無事に迎えることができた。様々な幸運が重なった結果であり、皆様に心から感謝申し上げる。これは決して謙遜でも社交辞令でもない。そのように仕事はつながっていくということが理解できた結果である。さて、つらつらと1年間の仕事の経緯を振り返ってみてもあまり芸があるように思えないし、読者諸兄姉の参考になるとも思えないので、仕事を通じて気が付いたことを分析・整理してみることにする。


◆草創と守成といずれが難き
サラリーマン時代だが、急成長しベンチャーから抜け出た直後の会社に一年間お世話になっていたことがある。中に入ってみると、ロケーションやロゴ、企業スローガンなどは立派なのだが、業務は属人的で混沌としており、非常に非効率であった。そして非効率であるがゆえに、長時間労働は当たりまえであり、業界内ではいわゆる「ブラック企業」と呼ばれていた。リーマンショックを契機としてリストラという名の人員整理、経営者の交代を経て、今では立派にブラックとは呼ばれない大企業となっている。
この一年、支援してきたクライアント企業も同様に急成長し目下社員数数千名の大企業である。しかしブラック企業ではないものの、やはり非常に似た雰囲気である。やはり業務が属人的で非効率であり、ベテランメンバが「我流」を貫くやり方はどこか共通している。

ところで『貞観政要』という8世紀に書かれた唐の古典がある。この本は唐帝国の中興の祖である太宗と家臣の言行録として、その太宗の後継者へ「帝王とは如何にあるべきか」を教育するために書かれたもので、日本においては帝王学のテキストとして、北条政子や徳川家康が愛読していたそうだ。この中に「創業(草創)と維持(守成)のどちらが難しいか」という言葉が出てくる。結論から言えば「維持」の方が難しい(と考えるべき)と結論付けている。

◆創業向きと維持向きの人材は違う
『貞観政要』にもあるが、創業向きの人材と維持向きの人材は異なる。創業者はいわゆる立志伝中の人であったり、強烈なカリスマを持つトップが多い。そしてその周囲に普通ではない豪傑サラリーマンが集い、語り草になるような猛烈な働き方や伝説的な活躍をしたりする。そうした人材が創業向きである。私の乏しい社会人経験でも何人か知っているが、何時寝ているのか?と思うような24時間仕事に遊びに全力を尽くしているタイプが多かった。大抵、優秀で個性的でもあり、指示待ちではないというより、指示されることが嫌いである。外向的、情熱的で癖が強い。三国志で言えば、曹操の周りの豪傑たちと言うところか。
しかし、企業がある程度まで成長した後はそうした豪傑はあまり必要がなくなる。豪傑たちが作り上げた仕事を業務として仕組化し、それを維持・発展させる段階になると、むしろ「常識人」の出番となる。イメージとしては学校秀才でTPOを弁えたある意味で官僚的な人材が必要となってくる。これらの人々は指示されることにさほど違和感がない。混沌よりは秩序を、試行錯誤よりは効率化が重視される。この状態になると豪傑の持つ「強引さ・無秩序さ」は効率化の妨げになるため、あまり適合しなくなる。

◆創業期と維持期の間
さて、会社がある程度の規模になったり、ある程度存続できたとき、維持のフェーズは必ずやってくる。企業に限らず、黎明期から成長期を終えた組織体には必ず移行期が来る。例えば、私は子供の頃から地元商店街の町おこしの一環の「阿波踊り」の連(チーム)に参加していた。黎明期は商店街のオヤジ達がお囃子を、その子供たち(私もその一人だ)が踊り手をしていた。阿波踊りとしてのレベルはマチマチであったが、飛び入りも可だったし、基本的に盛り上げればよいというものだった。しかし、その二世たちが主催している現在は大所帯になり、連員の管理や練習の管理などが必須になり、良くも悪くも官僚的になる。阿波踊りとしてのレベルはかなり高いレベルで均質化している。初期のオヤジ達のようにふるまうと、効率化のベクトルと合致しないため、あまり歓迎されないだろう。これは組織の成長に伴う必然のように思える。

この移行期をスムーズに乗り切る企業もあるだろう。しかし、試練の時を迎える企業も非常に多い。『貞観政要』もまさにこの移行期の君主(リーダ)と臣下(メンバ)をテーマにしている。それが帝王学のテキストとなるからには、この移行期の問題はどの組織にも通じる普遍性のある問題なのだろう。

◆永久ベンチャーは成立しない
この移行期に特有の状態として、上層部(経営層)は創業期の立役者、ミドルは創業期の若手で構成されている。従って、創業期の陽性の無茶苦茶を成功体験として持っている。しかし、すでに大きく成長したその企業に入社してくる新人や若手は「ベンチャー」と見做して入るわけではない。その名声にふさわしいだけのある程度確立した企業だと考えて入社してくるわけである。これらの人々は会社に対して勝手に貢献するような人々ではない。良くも悪くも豪傑の上層部、その豪傑についていくだけの能力と野性味があった野武士的なミドル層に対して、学校秀才的な新参者は的確な指示がないと動けない。当り前である。その名声に引き付けられるのは、良くも悪くも安定志向の人々である。そのような安定志向の彼/彼女たちは「維持期」向けの人材である。
豪傑や野武士は「最近の若手は自主性に乏しい」「マニュアルばかり求める」「俺たちの時は勝手に仕事を探して貢献したもんだ」「人事は何を見ているんだ」等と嘆く。しかし、残念ながら当たりまえなのだ。十数年前の自分たちのように自主性に富む人々は大企業なんかに入ってこない。起業しているかベンチャーに行くだろう。さらに自分たちの成功体験が強烈なので、事情のあまりわかっていない若手が「勝手に」仕事をすれば烈火のごとく怒ったり、挙句にマイクロマネジメントに陥ったりもする。にも拘らず、自分たちのノウハウをマニュアルやルールとして文書化していないので、若手は何を基準に動いたらいいかわからないのだ。そして人事だが「自主性に富む≒忠誠心が低い」のは当然であるため、そのような人材を回避するものである。おかしな癖のある新人を採用して現場に文句を言われたくもあるまい。従って、創業者や豪傑たちの夢である「永久ベンチャー」は殆ど絶対に成立しないのである。
「永久ベンチャー」とはご想像の通り、「創業期の勢いと活性度のまま成長を続ける企業」のことだが、そのようなことにはまずならない。ほとんど法則のごとくならない。この移行期間はその会社が非常に不安定になる。これは上位層が自分たちの理想を諦め、中間層が仕事を標準化・マニュアル化することを受け入れるまで続く。

◆老いてもはや諫めを入れぬ王は貧しい羊飼いの子供にも劣る
しかし、これは創業メンバにとっては非常に難しいことのようだ。私自身も駆け出しの経営者だが、己一代で大企業に成長させたような経営者達はやはりものすごい。その実績/姿勢/カリスマ性は私のようなすれっからしでさえ尊敬に値すると考える。お世辞ではなく、人並み外れた力量があったがためにそこまで会社なり組織を成長させたわけである。だが、その強烈すぎる成功体験は人を全能感に陥れる。この全能感を制御するのは普通の人間には難しい。周囲には耳障りのよいことしか言わないYESMANばかりが集まり、会社に関することに限定されるとは言え、意のままにならないことはなく、マスメディアなどでも賞賛されという状態で正気を保つことはできない。だからこそ「帝王学」が必要になる。「帝王学」は「人をどう使うか、意のままに操るか」と一般に勘違いされているが、実際には真逆で「いかにして自分の全能感を制御して正気を保つか」という方法論に近い。旧約聖書の時代にも「老いてもはや諫めを入れぬ王は貧しい羊飼いの子供にも劣る」という言葉がある通り、これは人類普遍的なテーマらしい。この帝王学を身に着けえなかった帝王は必ず、身内に裏切られて滅ぶのである。織田信長しかり、隋の煬帝しかり、そしておそらくスターリンも。そしてそれは「是非もなし(良い悪いはない・仕方ない)」なのである。それを直接知っていた徳川家康は信長(や独裁者としての秀吉)を反面教師として強い危機感の下『貞観政要』を学んだのだろう。

◆現場の軍師として/経営者として
コンサルタントとしてまさに移行期にあるクライアントの企業の現場を支えることがこの一年のミッションであった。そのミッションを通して一番強く感じ、考えたことを今回は整理した。ここでまとめた問題の一つの解決策として『貞観政要』のような帝王学を次世代のリーダクラスに紹介・解説するようなコンテンツを作成し、研修の形で展開することがあるかもしれない。勿論、『貞観政要』のような名著を私が書けるわけではない。しかし、そのロジックを紹介し、換骨奪胎して現代日本人が理解しやすいようにまとめることはできるかもしれぬ。少なくとも二年目はこのコンテンツ作りとソリューション開発にも力を入れていきたいと考えている。



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