2018年6月8日金曜日

厄介で不幸な呪い


今月は決算月である。コンサルタントとして独立してからほぼ1年が過ぎた。2017年の7月10日に独立したので、12か月目に突入したという事になる。この1年間の振返りは、一周年を迎えてから書くとして、サラリーマン時代から大きく変わった部分を書いてみたい。


◆厚切りジェイソン
いわずと知れてたテラスカイの役員にして、お笑い芸人の厚切りジェイソン氏。本名はジェイソン・デビッド・ダニエルソンらしい。さてこのジェイソン氏のお笑いではない言動はなかなか破壊力がある。「歯に衣着せぬ」というか非常に率直に本質を突いてくる。さすがに頭脳明晰である。
サラリーマン時代、ジェイソン氏の言動が苦手であった。いや、なかなか書くのに躊躇するが、その自由さに「嫉妬」を感じていたというべきであろう。
よく彼は「炎上」する。いわく、

『「空気を読め」という表現がよくされますが、一体どういう意味でしょう?「空気を読め」ですよ。空気は明らかによめませんよ。でもこれにより、自分を表現することができなくなっているのです。』

『ええ、心から純粋に人生を楽しんでいそうな人は非常に少ないと感じているよ。電車乗ると全員疲れている、イライラしている。笑顔がない毎日。
いつも周りはどう思っているかを優先している人しょっちゅう見るけど。
幸せになってもいいんだよ。』

『日本の一般企業では残業しないと大した給料をもらえないというのは、仕事を効率悪くやる人にご褒美をあげている』

『残業大国である一方、日本の非工業業界の生産性が先進国の最下位。米国の半分。WHY? Why is hi-tech Japan using cassette tapes and faxes?』

◆イラつくのもわかる
イラつくのも今ならわかる。批判する日本人の苛立ちも、ジェイソン氏の苛立ちも。「本業」を聞かれるのが嫌いだというジェイソン氏。そして「日本から出ていけ」という批判する側。批判する人々な脳みその程度によって、批判の仕方は異なるが、そのロジックはよく理解できる。

まず批判する人々は絶望している。雁字搦めになっているが、それが自縄自縛とも薄々気が付いている。例えば、普通に勉強して、普通の大学に入って、或いは専門学校に入って、ただ不景気だという理由で、或いは「新しい生き方」などの甘言に幻惑されて、非正規雇用で社会人生活を送っており、将来にも展望を持てずにいる。じゃあ海外で働くかというと言語障壁が高すぎて、或いは、英語が少々できても、それだけではダメと思い込んでいて、己をダマしダマし生きているような絶望感だ。たとえ、非正規でなくともシュリンクする市場、内部留保をため込むしか能がない経営者の支配、それをひっくり返すほどの力量がない己に絶望していたりする。

そういう時の思考は簡単だ。「俺も/あたしも我慢して不幸を生きているのだ。ここはそういう国だ。それがイヤなら出ていけ。」或いは、「不幸は構造的な宿命なのだ。一生懸命に人生を諦めようとしているのにうるせえな。」である。勿論、同時代、同世代にもそうでない人がいることぐらいは理解しているし、不幸でない人々と恐らく紙一重の差しかないことも理解している。だが、もう絶望して気力が萎えているのである。ほとんど成功体験がないのだから仕方がない。クソみたいな仕事をクソみたいな上司の下、それもなんの見通しも、独身の異常に多い特にアラフォー世代にとっては、家族の慰めもないまま、イヤイヤながら生活のためだけに働いているのだ。少なくとも自覚としてはそうだ。違うとは言わせない。私もそうだったのだから。

私大文系を卒業し、斜陽産業の情報子会社に新卒で入社し、そこから最大手の外資系コンサルティングファームへ転職し、ベンチャー系人材会社から、日系の一部上場企業でのサラリーマン生活をしてきた。氷河期世代としては、まずまずのキャリアではあろう。だが、その私でさえも、上述のように絶望していた。違うのは、妻に恵まれ「独立への勇気が持てた」というだけである。

さて、ジェイソン氏の苛立ちはこうだ。
「能力が低いわけでもないのに、思い込みで委縮して、自分で不幸になっている。WHY?! Japanese people!」
そしておそらくジェイソン氏は日本が好きだ。それも今ならよくわかる。好きでなければ、わざわざタレントとして、或いは経営層として好感度が下がる可能性のある「炎上」を自ら招き寄せるようなマネはしない。それが分からないほど馬鹿であるはずがない。

私の父は中卒のケーキ職人だが、小さなケーキ屋を立ち上げ、細々とではあるが立派に家族を食わせてきた。貧乏か金持ちかで言えば貧乏にはいるし、すでに店も畳んでいる。しかし、店を辞めた後も職人なので特に定年などもなく、いくつかのケーキ屋で働いて、76になった去年ようやく引退した。よく考えると「良い大学、良い会社、定年まで失敗しない」という生き方は少し前まで全く一般的でもなければ、唯一の正解でもない。中卒だろうが、なんであろうが、とにかく生きて、やりたいと思ったことをやり、家族をつくり、食わせるのは、少し前までできていたのだから、我々ができない道理はないのだ。ただ、中卒で苦労した父の世代は、大卒大企業エリートが輝いて見えていたにすぎない。だから、今現役の我々に「いい学校・いい会社」と言っただけである。要するにケーキを食べたことがないから、ケーキがものすごく美味しそうに見えていたにすぎないのである。

◆自分自身への呪い
「僕たちはガンダムのジムである」という本があった。残念ながら未読であるが、タイトルはなかなか秀逸だ。つまり、主役級のスーパーなロボットであるガンダムではなく、我々凡人は量産型で数しか取り柄のないロボット程度であるという事だろう。ガンダム世代の私にはよくわかる。そして、ある程度大人になったガンダム世代はそういう「ジム」「ザク」が世の中を回しているという事に気が付いている。

だが、本当だろうか?その比喩は本当に適切だろうか。

確かに我々は凡人ではある。しかし、凡人には「やりたいことをやる資格がない」という思い込みは何ら根拠がない。また「やりたいことをやって失敗するリスク」がよく語られるが、やりたいことなのだから、天才的に能力を発揮するかもしれないし、失敗しないかもしれない。失敗したところで、失敗と再起不能は同義ではない。別にジェフ・ベゾスやマーク・ザッカーバーグ、ジャック・マーのような人々だけが起業家というわけでもない。彼らのようになることが、必ずしも成功ではない。今は老いてしまった商店街のオヤジどもだって、かつては立派な起業家だったではないか。

私はそのように考えることで独立した。独立してみれば、様々なご縁や事柄が重なって、どうにか一年食えている。随分覚悟して独立したのに、経済的にもワークライフバランス的にも日本の一流企業のサラリーマンよりずっと良い。勿論、運の要素も大きいだろう。だが、少なくとも軸となるスキルと経験があれば、とりあえず食うには困らない。理由は実に単純である。つまり私などよりずっと優秀な人々が、独立起業を恐れてサラリーマンのままなので、ライバルが少ないのだ。謙遜ではない。実際にそうなのである。この十数年、日本は廃業が起業を常に上回っている状況である。起業が難しいからではない。後継者探が探せなくて経営者が事業継承に失敗し、年齢と共に会社をたたんでいるだけである。ただそれだけのことなのだ。

だが、私は知っている。日本のサラリーマンのリスク回避は骨がらみである。そのリスクとは、食えなかったらどうしようということもあるが、周囲と異なる対応をした結果失敗した時につるし上げられることの恐怖である。山本七平の議論によれば、実際に日本においては「空気」が意思決定をする。従って多くの日本人は自分で意思決定することに慣れていない。そして、集団の心理が「空気」を創り出すので、「空気」が決定したことはだれも責任を持たない。名目上の責任者さえ、「あの空気ではああするしか仕方がなかった」「あの時の空気を知らない奴に何が分かる」と言い出す。

私は20年程社会人生活をしているが、重大な決定について「空気」以外の意思決定をほとんど見たことがない。実は「空気」による決定と「本質的かつ外的なリスク回避」はほぼ無関係である。ただ、失敗の責任を誰も取らされたくないだけなのだ。それはほとんど呪いである。いや真正の「呪い」そのものである。そしてその呪いに個人も罹っている。転職や独立などという人生における重大な意思決定、それは「空気」が決めてくれる訳もない。だからできないのだ。会社の仲間だけではない。家族や親類、友人含め、それで失敗した時に「ほら見たことか」「上手くいくわけないだろう」「家族の生活をどうしてくれるんだ」という吊し上げの場(裁きの場)に立たされることの恐怖に勝てないのである。

そしてジェイソン氏の言動が腹立たしく感じるのは、彼が日本人でないが故に、正確には日本で育たなかった故にその呪いにかかっていないからである。彼は素直に考えたことを口にしているに過ぎない。「空気を読め?空気なんて明らかに読めないでしょ」である。勿論、アメリカには別の呪いがあるのだが、それはアメリカで育ち、住まないと恐らく肌感覚で分からない。

◆呪いを解くには
神代の昔から、自分で呪いを解く方法は一つしかない。それは勇気である。勇気をもって呪いに反することをすることである。別にご先祖様に感謝とか「スピリチュアル」な話をしているわけではない。呪いの本質は「社会も含む他者からの思い込みの強制である」それが内面化(血肉化)されてしまうと心理学的には「抑圧」、民俗学的には「呪い」と呼ぶだけである。私の経験では、社会よりも肉親の呪いの方が強い。その呪いは一見「教訓」の形をとっている。そして呪い手たる肉親、多くは親だろうが、呪っている自覚はない。だが、それは呪いなのだ。「レールを外れたら地獄が待っている。集団に従え。」という。
しかし、これを読んでいるあなたは大人だろう。大人としての勇気をもって、その呪いに打ち勝ってみてほしい。そして実際には、吊し上げなどまずされない。元の会社のメンバーは、呪いの真っただ中にいるのでそれどころではない。家族も不安なだけなので、食えることさえわかれば、安心してくれる。そしてきっと言うであろう。「独立/転職/移住おめでとう!」と。呪いの反対語は祝福である。

勿論、保証はされない。だが、会社が何を保証してくれるというのか。一年やってみた実感として、リスクは特に変わらない。寧ろ、自由な分、リスクも少ないように思う。

勇気をもって踏み出すものに幸いあれ。

0 件のコメント:

コメントを投稿